第2幕 そして彼は途方に暮れる。②
先ほどとは打って変わって、今度は簡素な部屋に連れて来られた。
白亜の壁と煌びやかな調度品。
まぁ、簡素とは言え、充分過ぎるほどの広さと格式。
これみよがしの装飾品や美術工芸品が無いだけで、立派な設えではある。
気になる点は、窓がない事と、内鍵が見当たらない事。
清寿は、嫌な予感が『予感』なだけであってくれと祈りつつ、重厚な扉を押してみる。二度目は力を込めて押してみる。
そして、分かりきった結果なのだが、一応引いてもみる。
──そこから察すると、これはまぁ、アレだ。
逃亡を恐れての隔離部屋。もしくは隠蔽工作のための監禁部屋。そんなところか。
何にせよ、先方には清寿を自由にさせるつもりはないらしい。
無理もない。とんだ失敗召喚だ。
何せ、『聖女』を召喚しようとして、『ハズレ』の男を召喚したのだから。
失態も失態だろう。下手すれば、国の沽券にも関わってきそうだ。
今頃、清寿の処遇を話し合っているのかもしれない。
──だが、そんなもの向こうの都合ばかりじゃないか。俺には、微塵も関係が無い。
扉の前で立ち尽くしたまま、静かに項垂れる。
その頭を支える様に手で顔を覆うと、無意識に深くて大きなため息が溢れた。
──確かに、何処かに移動せねばと思ったが、こういう事を望んでたわけじゃない。
冷静さと困惑が、波の如く交互に押し寄せてくる。
頭は上手く動いてくれない。現実? 夢? ーーむしろ、走馬灯?
まずは、そこの判断すら怪しい状況だ。
ここには、天使もパトラッシュも、ルーベンスの絵画も無いのだけれど。
──俺はもう、疲れたよ……
心の底からの感想だ。
体が一段重くなるのを感じる。思考回路が一本切れた。ーーどうすんだ、これ。
ただ、違いはあれど、思い返せば似たようなケースは山ほどあった。
自分の利益と面子が何より大事。自分の非は認めない。
自分を、世界の中心に据える事に注力してる人間の行動。
──こいつは厄介だ。
連想ゲームのように、嫌な記憶が次々と蘇る。
普段は忘れているのに、こうやって弱った時に這い出てくる。
どんなに頑丈な蓋を被せても、隙を見つけてにじり寄る。
ーーここまで来ると、嫌がらせの範疇を超えて、もはや呪詛の類だ。
腹が立つより気が滅入る。本当に勘弁して欲しい。
清寿の退職理由。それはトラブル。
トラブルの内容は、大きなプロジェクトでの失態。その結果、責任を取っての自主退職である。
この騒動の発端は、小さな亀裂。
遡る事約2年前。清寿の彼女の裏切りが切っ掛けだった。
原因は、彼女の浮気。
定番中の定番な理由でもある。
浮気のお相手は、途中入社して来た重役の息子。
まるで海外のファッション誌から抜け出てきたようなスタイルをした、わかりやすいイケメン。
しかも、超エリートとして、鳴り物入りでの転職である。
当時、この状況に、男性社員の大半は戦々恐々としていたものだ。
そんな彼は入社後、瞬く間に女性社員の注目の的となる。そして、ご多分に漏れず清寿の彼女も夢中になってしまったと言うワケである。
──夢中になるだけなら、まだ良い。
結果的に清寿は二股された挙句、こっ酷く裏切られてしまう羽目になったのだから居た堪れない。いわゆる『寝取られ』と言うやつである。
清寿の彼女は、男性の庇護欲を、実に掻き立てる女性だった。
男性社員のアイドル的存在で、重役や年配者達には特に可愛がられていた。
一方、清寿は温和で清潔な印象を受ける好青年。
目に見える評価に繋がらない地味な作業も黙々とこなす、営業企画課に所属する若手エースだった。
故に、現状では華々しい功績はないが、密かに将来を期待されていた。
そんな二人は、周りが羨むような恋人同士だった。
二人の馴れ初めは、彼女からの熱烈なアピールで始まる。
最終的には彼女の熱烈な押しに負けてしまった形だ。
付き合う直前には、押しかけ女房よろしくの状態になっていた。
この時に清寿は、見事陥落してしまったのである。
けれど始まりはどうであれ、恋人になってからと言うもの、清寿の尽くしっぷりは周りが羨むほどのものだった。
当の清寿も、そうやって周りが見てすぐ分かるほどには、一生懸命相手に尽くしてきたつもりだった。
ーーそう、清寿はやってきた『つもりだった』のだ。
けれど、蓋を開けてみれば、清寿の献身は彼女が望む内容よりも遥か下方。及第点も満たしていなかったらしい。
清寿に向ける笑顔の裏で、着実に不満を募らせてさえいたようだ。
では、何故この不満を清寿が知るところとなったかと言えば。
それは浮気が露見し、問い詰めた時に彼女に言われたからだ。
内容は『金! 金! 金! 金!』の、オンパレード。終始、自分に貢ぎが足りない事への不満だった。
まるでプレゼンテーションするように、時に諭すように懇々と。
無邪気で可愛い。……だが、細めた目の奥がギラついている笑顔を浮かべて。
──人はこんなにも醜くなれるものか
当時は、そう感心したものだ。
それと同時に、見た目とのギャップにも狂気を感じた。思い出すと、今でも悪寒が走るほどに。
しかし、疑問も浮かぶ。
……いや。疑問と言うよりは、モヤモヤして腑に落ちない気持ちへの、答えが欲しいのかもしれない。
「だったら何故、俺と付き合おうと思ったんだ?」
そう、ため息混じりに問えば。
返ってきた答えは。
「顔もそこそこ良いし、将来的に稼ぎそうだから我慢してあげた」
……との事。
我慢して『あげた』とは、なかなかに言葉の鈍器である。
胸よりも頭が痛い。
彼女は清寿に惚れていたのではなく、仮押さえだったようだ。
その言葉が、清寿の体温を静かに奪っていく。
──くだらないにも程がある。
浮気の理由は、より単純明快。
『コスパとタイパを重視した結果なの』
より将来性と金銭がある方を選びたい。
そのためにも、きちんと比較と検証をしたかったから。
彼女曰く、『私って、賢い女でしょ?』と。
この言葉を聞いた時、清寿は怒りよりも、脱力が勝ってしまった。
父を亡くした直後、弱りきった清寿の隣に寄り添ってくれた彼女。
アレもコレも全部が嘘っぱち。全ては計算尽くの虚構だったらしい。
──信じられない。吐き気がする。
この場で、茶目っ気たっぷりに笑いながら言えるその神経が。
──罪悪感よ、少しは仕事をしろ。
清寿は瞬時に嫌気がさして、この茶番を早く終わらせようと決断した。
「……そうか、分かった。彼とお幸せに」
そう無表情で告げて、彼女との交際に幕を下ろす。
その後、彼女と件の重役子息は、社内でも憚る事がなくなった。




