第9幕 欲望ボトムライン。
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清寿がここで居候を始めて3ヶ月ほどが過ぎた。
来た当初に辺りを埋めていた雪はすっかり消え去り、周りを見渡せば若葉が萌え輝いている。
空の淡さも日に日に彩度を増し、もうすぐこの場所にも、夏がやって来るのだろう。
そんな蒼天が眩い、ある日の昼食後。清寿は物思いに沈んでいた。
どうしようもない、違和感。
それを、どうしたら拭い去る事ができるだろうかと、取り留めなく逡巡していた。
──居場所がないと言うか、居心地が悪いと言うか……。
嫌がらせされているとか、邪険に扱われているとか。断じて、そう言った類の話ではない。
例えるなら、『知り合いに誘われて、付き合いで出席した飲み会』とでも、言ったら良いのだろうか。
気さくに接してくれる人もいて、会話が無いと言った事もなく、当たり障りなく成立している。
けれど、自分だけが浮いている気がして、なんだか場違いな集団の中に身を置いている。……そんな、どことなく気まずく、モンヤリとした気分だ。
そこに遠慮や申し訳なさも加勢して、ひたすら尻座りが悪いのである。
ただ現状として、方舟には、清寿から宿代としての金銭が入っている。
その対価として、清寿は衣食住と身の安全を確保できている。
故に、表面だけで判断するのであれば、今のところ、実にwin-winな関係ではある。
だが、清寿的には、若干の不安と不満が出て来たのも正直なところだ。
……それが気軽に言えないでいる状況が、ことさら清寿を悩ませる。
まず不安の方。
清寿自身が、何の役にも立っていない事だ。
宿代と生活費、諸経費諸々。そして、心付けも忘れずに。
そこはきっちりやっているので、ほんのりパトロン風味なのだが……本当にそれだけだ。
皆が、どれだけあくせく動き回っていても、清寿だけは蚊帳の外。
やってる事と言えば、のんべんだらりとしながら、生活を遠巻きに眺めて暇を潰して過ごしている。
どうしてもそんな自分の状況が、居心地の悪さを加速させていた。
しかし、仕事を手伝うと言っても、自分が気軽に出来そうなものが無いのも事実。
その状況に、いささか凹んでしまう。
まず。
方舟1番の収入源、傭兵や警備などの荒事。
残念ながら清寿には、まず無理だ。
元より、清寿自身が荒事に無縁の人生を送っていたので、足を引っ張る事があっても役に立つ事はないだろう。
なんと言っても、アーリーとの遭遇時が、あの有り様だ。
アレくらいで腰を抜かしていては、傭兵など夢のまた夢。無駄死に以外のビジョンが見えない。
次に。
薬品や魔道具などの作成。
言わずもがな、これは専門知識と専門能力が必要な仕事だ。
まぁ最悪、知識関係は一から教えて貰えばどうにかなるかも知れない。
だが、方舟唯一の安定した収入源だ。
清寿に時間を割く事で、作業が滞る事は避けたいのも本音ではある。
何より、清寿には『魔力』なるものがないので、お話にならない可能性だって存分にあるわけで。
他には……と、思案してみるも、どれも最適解とはいかず、即戦力とはほど遠い。
それに、収入に直結する仕事に好奇心で手を出して良いのか分からず、躊躇してしまう。
微妙な立ち位置の清寿は、まだ方舟に馴染めて居ないと言う事も大きな原因としてあるのだろう。
個人的な距離感は色々であるが、基本的にお客様扱いなのだから。
悩んでみても、これと言って最適解は出てこない。
漠然とした不安を抱えながら、日がな一日時間を余らせているのだ。――この歳での隠居は、ちと早過ぎるだろうに。
そんな感じで、尻の座りが、まったくもって宜しくないのである。
次に不満。
これは穀潰しの居候の分際で言えない事は、重々承知の上である。
……が、申し訳なく思っていたとて、どうしても湧き出てくるのが現状だ。
──とりあえず、飯が美味しくない。
吐き出すほど不味いわけではないのだ。
そう、食べられないことはないのだが、ただただひたすらに、美味しくないのである。
断じて言っておくが、質素なのは問題ないのだ。
だが、食事が全般的に味気ないと言うか、粗雑と言うか、変化に乏しいと言うか。ーー物悲しい。
本当に、『生きるために食べる』。それだけの食事で、決まった食材に最低限の調理と、申し訳程度の味付けを施したものである。
グズグズに煮込まれた味も素っ気もない、スープらしき液体。
保存用であろう、たっぷり塩漬けされた硬い肉に、火を入れた物。
口の中の水分を、素早く奪い去っていく、パサパサで硬いパン。
基本、それらが毎日の食卓に上る。
たまに調理してくれた料理も、焦げが酷かったり、火の通りが微妙だったり、塩加減も不安定だ。
食べ物は、ほぼ外注。
街に出向いた時のみ料理らしい物が用意されるが、その他は加工せずにそのまま食べられる物が主流である。
ただ、失礼承知で言わせてもらえば、街で買って来た料理だって、この場で作っている物より幾許かマシな程度で、大差ないのだけれども。
そんな感じで、腹はある程度満たされても、あまり心は満たされない。
もう一つは生活環境。
確かに雨風は凌げているし、寝床もある。
だが、どう見たって、掃除も手入れもされていない。
雨漏りがしている箇所も結構あるし、壊れて使えない箇所も多い。
その最たるものは、風呂。
折角あるのに、壊れていて使い物にならない有り様だ。
現状、湯を沸かして湯浴みをするか、水場で水浴びをするかしている。
場所柄、気軽に荷物も置けない、正真正銘のデッドスペースである。
分業制で仕事以外の作業は外注するのが普通らしいが……一番近い大きな街まで馬車で1時間半ほど離れているこの場所。
しかも、途中に鬱蒼とした森を抜けて行かなければならない。
天候や人手によって外注がままならない事も多いらしく、洗濯や修理が滞る事も日常茶飯事。――故に衛生環境は、すこぶる宜しくない。
野宿に毛が生えた程度の生活環境。
言ってしまえば、方舟商会の居住地には、生きる為に最低限の衣食住があるのみなのだ。
──人間とは、存外ワガママで貪欲なものだなぁ。
清寿は、心からそう思う。
ここに来たばかりの時分には、全て終わらせても良いとさえ思っていたはずなのに。
少しばかり気力と余裕が戻って来れば、この有り様だ。
多少の泥水を啜る生活はしてきたつもりだったが、親と暮らしていた頃は貧しても工夫しながら生活していたので、豊かで無くてもそこまで不満のある生活はしていなかった。
──だが、ここはどうだ? 今の自分はどうだ?
最低限が手に入ったら、その次の段階を手に入れたいと思ってしまう。
何だっけか。確か、欲求5段階説だっただろうか。
生理的欲求、安全欲求が満たされた場合、社会的欲求が出てくるらしいが、今ほど実感した事もない気がする。
本当に貪欲でワガママで、苦笑するしかない。
──けれども、少し思うところがある。
今の自分にできること。
何のスキルもない自分ができる、至極簡単な仕事を思い出した。
だからまず、清寿はそれを試してみる事にした。
それなら、思い立ったが吉日と言うもので。
まずは、グレイスを探して、談判を試みる。
昼食が終わったこの時間は、食堂で雑談をしている事が多いと言っていたはずだ。
とりあえずその情報を頼りに、清寿は食堂へと足を向けた。
清寿が間借りしている1番奥の部屋から長い廊下を辿り、建物のメイン部分にある食堂へ。
そして、食堂の扉の前に到着すると、中からは複数人の声が聞こえた。
グレイスの声は確認できないが、中を覗いてみる事にする。
清寿は取っ手に手を掛けると、開ける前に少し呼吸を整えた。
何せ、未だに食事を個室で食べている清寿である。大勢の中に自ら入るのは、初めての試みだ。意味もなく緊張している。
どうにも、子供の頃、転校して初めて教室に入る時の緊張を思い出していたのだ。
気持ちも影響しているのか、重たい扉をゆっくり開けて中をキョロキョロ覗く。
随分と広い食堂には、メンバーの半数ほどが思い思いの場所に座っている。
その中で、比較的手前の端の席に座っているグレイスを見つける事ができた。
清寿は静かに中へ入ると、脇目も振らずに一直線でグレイスのもとへ歩みを進める。
グレイスを捕まえ、緊張しながら「今、お時間よろしいですか?」と、尋ねれば、苦笑を返され、「どうしたのぉ。てか、聞くから敬語はやめてぇ」と、言われてしまった。
清寿は、この距離感のボリューム調節で、未だに四苦八苦している。
元々、友人と呼べる人間も少ない清寿だ。ーー地味に可哀想な奴。
故に、グラデーション部分の情報サンプリングが乏しくて、たまに出力を間違えてしまう事がある。
脳がビジネス関連にシフトした時は特に……いや、会社の時はそれで問題なかった。ビジネスシーンで間違えても、丁寧な方が許される。
ただ、サークル系の飲み会ノリとか、共通項のない大人数でのBBQとか。
そう言った類の『友達未満、知り合い以上』。その初期段階での立ち居振る舞いの正解が、イマイチ分からないのだ。
「もし良ければ、俺に夕飯を作らせてもらえないだろうか?」
恐る恐る、と言うほどでもないが、少し緊張しながら清寿は口を開く。
そして、その清寿の申し出に、グレイスはキョトンとした後、何とも言えない顔をした。
何と言うか。
微妙に驚いているような、困惑しているような、どう判断していいのか。
そうやって、思考が定まらない時の表情だ。
「……いや、口に合うかどうかは分からないが……俺が向こうで作っていた料理を、みんなに食べてもらうのはどうだろうと思って」
グレイスの反応に、清寿は慌てて、語尾を小さくしながら言い訳じみた弁明を付け足す。
──何か、変な地雷でも踏んでしまったのだろうか。
文化と前提の違い。
異文化コミュニケーションにおける、よくある障壁ではある。
それは、向こうでもこちらでも変わらないようだ。
ただ、向こうの世界では事前に調べる事も可能だったが、ここでは不可能で。
何せ、一緒に飛ばされて来たスマホは、今や『どうやって捨てたらいいか分からないゴミ』でしかないのだから。




