第6幕 夢見る頃を過ぎても。⑤
「イリーニャ、落ち着いて。キヨさん、病人なんだから」
エヴァが苦笑しながら窘めれば、動きを止めて笑顔を返した。
バツが悪いと言うよりは、イタズラが見つかった時の誤魔化し笑顔だ。
「大丈夫だよ。みんなのおかげで、随分と良くなったから」
清寿も苦笑しながら返し、周りを見ると、アズもスゥも苦笑していた。
多分、イリーニャは日頃からこんな感じなのだろう。
「えっとね。ご飯食べれる様になったみたいだから、薬湯を淹れて来たんだよ。身体にも良いし、お水ばっかりじゃ飽きるでしょ?」
空気が読めないと言うよりは、空気を読まないタイプのようだ。
どこまでもマイペースなイリーニャが柔らかい空気を作る。
「ありがとう。嬉しいよ」
お礼を述べてコルクの蓋を開けると、何とも言えぬ如何にも『薬草でござい』と言った香りが湧き漂い出してくる。
ーーなるほど。道理で蓋をしてきたわけだ。
清寿から、本日何度目か分からない苦笑も湧く。
「コーヒーは、まだ身体に良くないかと思って」
清寿の表情で察したのか、エヴァがやんわり理由を述べた。
ここへ来るまでに、彼らなりのやり取りと、気遣いがあったのだろう。
「でもね。イリーニャさんの薬湯は飲みやすいよ。同じ材料で淹れても、マリィが作るヤツより、断然飲みやすいしね~」
「効果はマリィのんが高いんやけどなぁ……アレは、ちょっとなぁ……」
アズの言葉で味でも思い出しているのだろうか、スゥの顔は苦虫を噛み潰したように歪んでいる。
「俺、お茶淹れるのは得意なんだ!」
ニパっと明るい笑顔で言うイリーニャは、少しだけ誇らしげ。
「イリーニャさんは、お茶だけ得意やもんな」
そこに間髪容れずスゥがツッコミを入れ、ケラケラ笑う。
「俺、他に得意な事ないからねぇ!」
ここも、自信満々に言い放つ。
この返事を見るに、このやり取りは貶めるわけではなく、彼らの中では鉄板のネタのようなものなのだろう。
現に他の2人も笑っている。
「あ、そうだった! イリーニャさんも水の魔法使いだった!」
今思い出しました。そう言わんばかりの表情でアズが言う。
魔法使いが2人。確かそう言っていた。
イリーニャの存在は、すっかり忘れられていたらしい。
「じゃぁ、イリーニャくんも傭兵業をやってるのかな?」
話によれば、魔法使いは戦闘に出ているような事を言っていたはずだ。
このホワホワしたイリーニャも、戦場では別の表情を持っているのだろうか。
その問いに一瞬目をパチクリさせたあと、先ほどまでとは一転、随分とバツが悪そうに笑う。
「戦闘には、あんまり出てないの。俺、お茶以外は失敗してばっかりだからねぇ……」
その言葉に若干の重さは感じるものの、清寿は少しだけホッとした。
彼に、戦場は似合わない気がしたからだ。
「イリーニャさんはドジっ子やしなぁ。しゃーないわ」
「だねぇ。攻撃力もだけど、制御がねぇ」
ここにも責める空気はない。それでも事実は事実なのだろう。
忘れられた理由が一気に察せた。
「そうなんだよねぇ。普通でもダメダメだけど、急にやると余計ダメダメなんだよねぇ。呪文と加減、間違っちゃう……」
……なるほど。それはかなり致命的な欠点だ。
シオシオと、実った稲穂のようにイリーニャの頭が垂れていく。
「良いじゃん。イリーニャはお茶を上手く淹れれるし、魔法も使えるんだから。俺なんて、何の特技もないんだからさ」
パスパスと背中を叩きながらフォローを入れるエヴァだが、そんな彼もいささか自虐的だ。
彼の浮かべる苦笑いは、イリーニャに向けてと言うより、自身に向けたものなのだろう。
「そんな事ないよ! エヴァは色々用意してくれるでしょ? 俺、忘れ物ばっかりしてるから、エヴァが居てくれて嬉しいもん!」
ガバッと顔を上げ、イリーニャは慌てるようにエヴァの自虐を打ち消した。
「それはホンマにありがたいわ。イリーニャさんほどやないけど、俺も抜けてる事多いしな」
それを肯定するように、スゥも口を開く。
「エヴァがね、方舟の中の雑用とか管理してくれてるんだよ!」
アズのこの言葉で理解できた。
彼らにとって、エヴァは『しっかり者の優しいお兄ちゃん』なのだろう。その証拠に、アズは自分の事のように自慢げに笑っている。
「だって俺、本当に何も出来ないんです。仕事って言っても、報酬少ない雑務ばっかりだし。申し訳ないから、それくらいはしないと……」
褒められたのに困ったようなエヴァの表情は、内務者の負い目だろうか。
豊かさから距離を置かれたこの場所では、金を産まない現実が、自身の無力を照らし出しているのかもしれない。
「そないな事あらへんやろ? ご飯も作ってくれとるし、洗濯の仕分けもしてくれとるやん。みんな感謝しとるんやで?」
『家事』と、それにまつわる『名もなき家事』。
やろうと思えば誰でもできるはずなのに、誰しもできればやりたくない。そんな仕事を彼が担ってくれているようだ。
「でも、料理作れるワケじゃないし……他の事だって、みんな出来る事だから」
てへへ。っと、戯けた笑いを浮かべるものの、すぐに解る作り笑いだ。
目に見えない奉仕は、価値の歪みを生みやすい。
自分にとっても、他者にとっても、だ。
それ故に、金を産まない仕事には、極端な賛否が付きやすい。
「そりゃ、料理は料理人やないんやから、しゃーないわ。せやかて、他に出来る人は居らへんし。雑務も面倒臭い事も引き受けてくれてるやん」
それでも、ここに居る子たちは見えない仕事の価値を理解している。
大きく頷きながら納得している顔には、嘘や社交辞令は見当たらない。
せめてもの救いが、ここにはちゃんと存在している。
「それは当たり前だよ。方舟の中でも、年上の部類だし。なのに同期の中で、1番何も出来ないからさ。せめて、やれる事はやりたいじゃん?」
それでも、年齢と立ち位置。そこがエヴァの心にシミを付ける。
「……アルはお金の事やってくれてるし、エディは内職で稼いでくれてるんだし」
出てきた名前は、同期の名前だろうか。
比べる対象がいると、尚辛い。
自身の経験を思い出し、清寿の心がチリリと焦げる。
「大丈夫! 方舟の中で、俺が1番何も出来てないから! エヴァは凄い!」
破顔一発。堂々と言い切る、イリーニャの屈託の無い笑顔が眩く光る。
「イリーニャさん、それは堂々と言っちゃダメ~!」
アズの言葉に、スゥも笑う。
天然なのか、はたまた養殖のパワープレーなのか。
そこは判断しかねるが、消えかけた光が一気に明るさを取り戻した。
優しい傷の舐め合いと、軽微な毒を含んだ軽口は、彼らなりの生存戦略。幼稚で生暖かいが、生存理由の糧なのだろう。
「けど、本当だから、しょうがないよねぇ?」
開き直りかもしれないが、認める強さは大切だ。
何もできないと自他共に認められてるイリーニャが、このメンバーに受け入れられている理由かもしれない。
そんな事を考えていると、不意に微かに声が聞こえた。
遠くから、エヴァたちを呼ぶ声だ。
「あ! ごめんなさい! ご飯!」
エヴァも当初の予定を思い出したらしい。
もしかして、声の主は『待て』を喰らって痺れを切らしたのかもしれない。
「さ。みんなもご飯にするよ。キヨさんに、負担かけちゃダメ」
テキパキと古い荷物をまとめると、他の3人にも指示を飛ばす。
「……もっと、お喋りしたかったのにぃ」
「しゃーないわ。飯も食わんと、エヴァが片付け出来へんし」
不貞腐れたアズと諭すスゥは、元の場所に椅子を戻す。
その後、名残惜しそうにドアの前で清寿に別れを告げた。
「キヨ、また来るね! 今度はもっとお喋りしよ!」
「俺も! また不思議な話聞かせてや!」
そうやって元気に手を振る2人の横で、
「え~! 2人だけズルぅい!」
イリーニャはそう言いながら、チラリとエヴァを横目に覗く。
「また今度、グレさんたちの代わりに来ようね」
そしてエヴァの妥協案に嬉しそうに笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「こちらこそ、また色々教えて欲しいな。待ってるよ」
清寿も小さく手を振り返し、暫しの別れを告げる。
「もっちろん!!」
明るい笑顔を置き土産に、扉は閉じる。
そして、次第に声が遠のき、清寿の部屋には再び静寂が戻った。
最後に言った清寿の言葉は、社交辞令ではなく心からの言葉だった。
グレイスたちも良い人たちだ。
それでも、彼らと話しているのは主に『現実』の話。
優しく、時に楽しくもあるが、その裏に重い影を見つけてしまう。
勿論、彼らにも影は見えた。
そして、実年齢よりもずっと幼く感じた。
それでも、彼らの無邪気さは、影の輪郭をぼやかす力を持っている。
傷の舐め合いだろうが何だろうが、前を向けるなら上等だろう。
その柔らかくて逞しい力が、清寿の心を少し軽くしてくれたのだった。
ーーちなみに、その後日。
清寿はマリィの薬湯に悶絶する羽目になるが……それもまた、良い思い出だ。




