第6幕 夢見る頃を過ぎても。④
そんな空間を一旦リセットするかの如く、ノック音が割って入った。
なかなか引かない笑いを抑えつつ、了承の返事をすると、「失礼します」の声の後に扉がゆっくりと開く。
入って来たのは、新しい顔ぶれの2人だった。
「今日はグレさんたちが街に行ってるので、俺たちがご飯持って来ました」
青年は、そばかす顔を綻ばせ、照れ臭そうにカゴを差し出した。
そのどこか垢抜けない雰囲気が、かえって好印象で、清寿は思わずほっこりしてしまう。
清寿は、先ほど笑ったせいで涙の滲んだ目を拭いながらお礼を返すと、純朴そうな彼は小首を傾げながら満面の笑みを浮かべた。
そして、そんな青年の後方に、陶器の水差しを持ったノッポな青年が待ち構えている。
自分の喋るタイミングを計っているのだろうか。
首を傾げたり周りを見たり、実に落ち着きなく、ソワソワと身体を揺らしている。
雑に束ねた癖っ毛の髪も、それに合わせて行ったり来たり。
クリッとした目を輝かせ、ワクワクした感情を隠しきれずにいる。
さて、そんな彼が口を開こうとした瞬間……
「だーかーらぁ! スゥだって見たいでしょ!? 鉄が空を飛ぶんだよ!?」
「せやからぁ、キヨは無理やて言うとるやん! ホンマに自分、諦め悪いなぁ!」
再び始まる小競り合い。
プンスコ怒るアズと、あしらうように笑うスゥ。
一旦落ち着いた空気が、俄かに騒めき出した。
ノッポな青年は一瞬喧騒に気を取られ、そちらの様子を窺ったが、気を取り直したように清寿の方へと向き直し、再び口を開……
「ほら。病人のお部屋で騒がないの」
今度は、そばかすの彼に遮られた。
ノッポの彼のヘニョリと下がる眉毛に、皺の寄った顎。
二度も入り損ねた事に、少し凹んでいるようだ。
先ほどまでキラキラしていた目は閉じられ、随分としょんぼりオーラを放っている。
──あ……ゴールデンレトリーバー……
ション……と、しょげて項垂れる姿に、そんな言葉が頭に浮かんだ。
「だってぇ……」
「『だって』じゃありません。折角良くなって来てるのに、また体調崩したら大変でしょ?」
頬を膨らませ、言い訳するアズに、そばかすの彼は諭すように言い返す。
アズの態度を見ていると、彼が慕われている事が垣間見えた。
しかし、悪い言い方かもだが、彼の見た目は中肉中背、赤毛の天然パーマとそばかすが特徴的であるが、顔も当たり障りない。ーーいわゆる『モブ顔』と言うやつだ。
けれど、アズの態度が、スゥに対するそれとは違う。
デモデモダッテで拗ねては見せるものの、比較的素直に聞いているのだから。
「うーー」
それでも、悪足掻きとばかりに、アズはアヒル口で抗議の唸りを溢す。
分かってはいるが、納得は行かないと言ったところだろうか。
そんな往生際の悪さに、流石のそばかす青年も苦笑を溢すしかなかったようだ。
「そうだよ! 俺だって、ずっと我慢してたのに!」
沈黙が落ちた一瞬に、ゴールデンな彼が拗ねた声を上げた。
こちらはこちらで不満が爆発したようだ。両手で水差しを抱えて口を尖らせている。
だが、それも宜なるかな。2回も入るタイミングを逃しているのだから。
……しかしまぁ、身長こそは随分と立派だが、何やら幼い反応ではある。
「イリーニャ。それは、今ここで言っちゃダメなやつ」
呆れたように、そばかすの彼が笑う。
言われた本人は、「えへへ」と、首を傾げ、誤魔化すように笑ったあと、やっと目的であった言葉を口にする。
「お兄さん。飲み物も持ってきたよ。良かったら、飲んでね」
だが、こちらは嗜められた事は気にしていないらしい。
そんな事より、目的を達成できた事の方が大切と言わんばかりに、両手で水差しを差し出して、とびきり朗らかに笑っている。
「ありがとうございます」
清寿が受け取ると、パァっと、より一層表情を輝かせ、嬉しそうに身体を揺らす。
彼の後ろで雑に束ねた髪も、また尻尾に見える。
そして何より、髪の色から、表情に動き。本当に、無邪気で無垢なゴールデンレトリーバーを彷彿とさせるのだ。
「お兄さんの名前は、キヨヒシャ!」
ーー惜しい。ちょっと違う。
得意げに割って入ったアズだったが、やはり清寿の名前は上手く言えないらしい。
「……違う! キヨヒシャ……キヨヒシャ……」
何度も挑戦してはくれるが、一向に成功する気配は感じない。
「キヨって呼んで良いんだって!」
アズは元気に開き直った。
「俺の名前はイリーニャ・ワーズワースだよ! 『イリーニャ』って呼んでね!」
我も続けとばかりに、ゴールデンな彼は高らかに言う。
「俺の名前はエヴァーミリオン・マスケットです。『エヴァ』って呼ばれてます。よろしくお願いします」
そばかすの彼も続く。
ゴールデンな彼は『イリーニャ』。
そして、そばかすの彼はエヴァーミリオンこと『エヴァ』。
実に、2人の雰囲気に似合った名前である。
「改めまして。清寿と申します。よろしくお願い致します」
姿勢を正し、深々と頭を垂れる。
ーー挨拶と言うやつは、この世で最もコスパが良いのコミュニケーションツール。しかもタダで維持費も不要だ。
「キヨってば、グレたちと同い年なんやて」
スゥは、端から『清寿』呼びを諦めているようだ。
そう、些細な事は割り切っても大丈夫。それはそれで構わない。
「じゃぁ、キヨヒシャシャ……」
そばかすの彼は挑戦してくれたものの、あえなく撃沈。
「キヨさんは、俺たちの2歳上なんですね!」
そう。人間、時には諦めも必要だ。
煩わしい事は無かった事にして、朗らかに笑う。
「キヨさんの方が年上ですから、畏まらないで仲良くして貰えれば嬉しいです」
そう言って、遠慮がちにはにかみながら、少し身を捩る。
その仕草と言い方が何ともエヴァの為人を表しているようで、清寿から自然に笑顔が溢れた。
「ねぇ。俺も、キヨと仲良くなりたいなぁ」
大きな尻尾がブンブン揺れている。
そんな幻が見えてきそうな表情だ。
人好きな笑顔もまた、彼の為人を想像させる。
「ありがとう。仲良くして貰えたら、俺も嬉しいな」
清寿は笑って返す。今度は作り物ではなく、自然に湧いた笑顔だった。
「やったーー! 仲良しが増えた!」
イリーニャが感情を爆発させて、掌を天に仰がせる。
清寿の言葉が余程嬉しかったのか、その場でクルクル回り、そのまま小躍りしだしてしまった。
それにしたって、まさかの真実。
『俺たち』とエヴァが言ったから、きっとエヴァとイリーニャは同じ歳。
そして、2人は27歳。
ーーそう考えると、イリーニャの破壊力は凄まじい。
──子犬2匹に、大型犬1匹。そして、優しい飼い主。
この光景を眺めて、清寿の脳内には、そんなイメージ画像が流れていた。
そして『方舟』の謎は、益々深まるばかりである。




