第5幕 彼らが望む物語。
「……のう、兄さん。それでもワシは救うた命が惜しいんよ」
マリィが絞り出した言葉は、掛け値なしの『情』が言わせたのだろう。
何せ、清寿を抱えるリスクが高過ぎる。
しかも、それは清寿から突き付けられた代物だ。
「あんたさえ良けりゃ、ここに好きなだけ居ったら良え。……それでどうじゃろうか?」
この状況でも穏やかな笑みを返せるのは、マリィの矜持ゆえであろう。
先ほどのグレイスの悪足掻きにしろ、セロの寄り添う嘆きにしろ。
利益をかなぐり捨ててでも、『情』を優先させる。
彼らには、彼らの信条がある。つまりはそう言う事だ。
「そうだなぁ。アンタが良けりゃ、ここに居ろよ。時期を待ってりゃ、状況が好転するかもしんねぇだろぉ?」
然も良い事を思いついた顔でグレイスが笑う。
彼らは、ある意味で『不退転』なのかもしれない。
ただし、彼らもまた清寿と同じく、他人からの是非など不要なのだ。
今必要なのは、自身の心持ちだけ。
幼稚であろうが、偽善であろうが、今更関係ない。
「それに、もしかして、あっちに帰れる方法が見つかるかもしんねぇしなぁ」
この言葉は楽観なのか、慰めなのか。
それもまた、グレイスにとってはどうでも良い事なのかもしれない。
そして、この言葉の真意を紐解くのはナンセンス以外の何物でもない。
多分これは、グレイスが無理やり拵えた、脆くも優しい足場なのだから。
「ほうじゃのう」
グレイスの言葉に同調しながら、セロは苦笑いを浮かべる。
「ただ、男臭い貧乏所帯じゃ。死ぬよりは、ちぃとマシな生活しか出来んかもしれんが……」
この先に続く道は、花も実もない生活。
そう言ってしまう誠実さが、場の空気を震わせる。
「それでも、死ぬよか、なんぼかマシじゃろう?」
締めた言葉は、何とも陳腐。それでいて、これ以上ない真心だ。
「いや! それでは、ここに迷惑が!」
それは清寿にも充分届いたようで、感情を一気に覚醒させる。
違う角度からもたらされた一撃は、清寿のサガを見事に揺すったようだ。
他人に迷惑を掛けたくないと選んだ結末を、更に塗り潰したのは『弩級のお節介』。
理路整然と行き着く先を納得させたはずなのに、『情』と言う不安定なものが、力技でこの場を覆した瞬間である。
「なにせ、出来る事を何も持っていませんし……」
優しさは身に染みる。
けれども、それ故に清寿は自身の情けなさを再認識させられたようだ。
「それは気にすんな。何も持って無くて良いんだよ」
ハッキリと言い切るグレイスからは、憐れみの感情を感じない。
むしろ、事実を述べただけに過ぎないと言った風だった。
「てか、ココ自体が『訳アリ』と『あぶれ者』の巣窟なんだからなぁ」
そう言って、若干バツが悪そうに頭を掻いているグレイスだから、口から出まかせの嘘でもないのだろう。
ーー清寿が、この場に置いた真実の上に、グレイスも真実を重ねたに過ぎない。
だったらこれは、リップサービスでもなく、ただの『現状報告』なのである。
「ですが、ただの穀潰しでは気が引けます……」
清寿が溢した言葉は矜持だろうか、それとも悪癖なのか。
ーー渋る姿だけでは、判断しかねるが……何にせよ、哀れなサガには違いない。
「ハッ!! あんた、本当に真面目だねぇ。爪の垢、飲ませてやりたい奴がいるわ!」
けれど清寿のその『真面目さ』は、意固地と言うか、不器用と言うか。何処か歪さを感じてしまう。
対極にある心当たりの誰かを、すぐに思い出させるくらいに強烈だ。
頑として引き下がらない状況に、グレイスは思わず苦笑を溢していた。
しかしながら。ーー煎じる事もせず、爪の垢のダイレクトアタック。
方舟には、どんな曲者が居着いていると言うのだろうか。
そう考えると方舟の存在も、充分過ぎるほど歪なのかもしれない。
「まぁ、しばらくはゆっくりしたら良えよ。そのうち、出来る事が見つかるかもしれんしの」
マリィは愉快そうに笑う。
「ほうじゃのう。まずは、元気にならんと始まらんしの」
セロは屈託なく笑う。
今はもう、清寿が積もらせた冷たくて重い沈黙は、この場所からは溶けて消え失せていた。
振り払う事のできない運命だろうが、先送りのぬるま湯だろうが、そんな事どうでもいい。
留まる理由が確定した。死に急ぐ理由が消えれば御の字。
今は、ただそれだけが重要なのだから。
清寿は小さく息を吐いて、顔を上げる。
「それでは、宿代と食費、家具の貸し出し代。そちらを支払わせて下さい」
ーーあぁ、なんと哀れで可哀想な清寿。
彼は、素直に甘える事ができないらしい。
「ほんに、律儀な兄さんじゃのう」
マリィが呆れるのも無理はない。
だが、それが『清寿が清寿で在るための儀式』なのだから、そこは許してやって欲しい。
「じゃが、金が貰えるようなもてなしは、何も出来んぞ?」
セロが投げた言葉は、『念の為の確認』と言う名の軽口だ。
そこにはもはや、そんな心配など存在していないのだから。
「ええ、大丈夫です。1人で暮らすにせよ、お金は掛かりますから」
眉毛をちょこっとだけ下げて、最後の一線を押し通す。
この期に及んでなお、清寿は清寿である事を選択したのだろう。
「じゃ、それで気が済むんなら、有り難く頂こうぜ。セロ、アルに言って計算させといてぇ」
何とも綺麗な妥協に落ち着いた。
グレイスの呆れた笑顔で、この部屋に満ちた悲劇が、喜劇に変わった事を実感する。
ーー何処の世界であっても、類は友を呼ぶものなのか。
世の中と言うものは、こうして回っているのかもしれない。




