【8品目】人間の敵
「君ら良かったね~、イサがもう少し整理整頓得意なら~、今頃全員ミンチになってるよ~」
料理人風の姿をした少女───イサの声が、ぼうっとした灯りの下、仁の耳に直行した。まるで幼い子供に話しかけるようだった。
「さ~て、みんなどこかな~」
その脳天気な声の後に、乱雑な足音が響き渡る。グシャリ、と擦るような音、カツ、と靴が床を叩いたであろう音、バキ、と何かが折れたような音。足音としての範疇にとても収まらないような音の集まりが、こちらに近づいてくる。
進都と柘姫は……隠れられているのか?この狭い部屋の中で、今も息を潜めているのか? あるいは……その息はもうない……のか?
呼吸が激しくなりつつあった。その音がうるさくて、何も考えられなくなる。状況を打開しようと「無意識」が回転し始めても、「意識」がそれを阻害してしまう。その結果、どうすればいい、という思考に、絶望か打ち勝ってしまっていた。
しかし。
「ジンさん!」
仁の後方からの声とともに、彼の身体が引っ張られた。明日花だった。
「とりあえず今は隠れるッス。こっちのゴミの山に紛れるッスよ!」
そう言うなり、彼女はまず仁の身体を左のゴミ山に押し込み、次いで自らも入った。
仁の身体中に何か鋭い物が当たっている。彼が持っているステーキナイフとは違うし、明日花のキッチンバサミとも似つかない。何が仁の肩を刺激しているのか全く予想できない。
「さ~まずは誰から行こっかな~」
イサの声が聞こえる。ただし今度は少し小さかった。そのおかげか、別の声も聞こえてきた。
「ジンさん、聞こえるッスか?」
明日花だ。微かではあるが、芯の通った声だった。左から聞こえてくる。
「うん。聞こえるよ」
なるべく控えめに言った。そして素早く左を向いた───つもりだったのだが、顔周辺に障害物が多すぎて顔を動かせないことに気がついた。
「急にこんな所に押し込んで申し訳ないッス。でも、入口の山が崩れて出られなくなってしまったんス……多分さっきの包丁投げの衝撃ッス。よっぽど奇跡的なバランスを保ってたんスね……」
明日花は声を絞って喋っていたが、一方の仁は彼女の後半の言葉をほとんど聞いていなかった。もちろん「ここから出られない」という絶望感にやられたという捉え方もできるが、実際はもっと別の所にその理由はあった。
「よ~しまずは大きくて見つかりやすそうなあの男の子からやっちゃうよ~」
明日花の言葉とほぼ同時に、イサの腹立たしい声も仁の耳に入っていたのだ。
この中にいる「大きいあの男の子」といえば、1人しかいない。つまり……少なくとも進都はまだ生きていて、自分達と同じように隠れている。今まさに殺されそうになっているが。そして、「まずは」という言葉から、柘姫も生きている可能性が高い。
「……明日花さん」
仁は口を開いた。変に折れ曲がったまま固定されている足をはじめ、身体中が痛んでいる。
「……何スか」
「進都君と柘姫さんは…まだ生きてる」
「はい。あたしもそう思うッス」
「でも、今殺されそうになっている」
「……ひょっとして、助けに行こうとか思ってるッスか?」
心臓が波打った。
「えっ……だめ、なの?」
「ジンさん、さっき間近で見たッスよね? あいつの″包丁投げ″。おそらく戦闘技術もあたし達の上の上、そのまた上ッス。そんなのに真っ向から挑んだら、サイコロステーキになるッスよ」
仁はそれで、包丁で瞬時にサイコロステーキのごとくバラバラに刻まれる自身を想像して、震えた。
「じゃあどうすれば……」
「もちろん、このまま殺されるのを黙って見てるわけにはいかないッス。……ちょっとジンさんも危険になるッスけど、いいッスか?」
「? ……まあ、2人を助けられるのなら……」
「わかったッス。単純そうだから乗ると思うッスけど……」
その声が聞こえた数秒後、仁の左で、ガラガラガラ、と何か角ばった物が転がるような、ぶつかるような音がした。すぐに、明日花が自らが隠れているゴミ山の一部を崩したんだなと理解できた。
「ん~? 早く死にたいのかな~? 潔いね~」
グシャ、グシャ、と等間隔に聞こえてくる音が、だんだんと大きくなっていく。そして、崩れる音のしたあたりの場所で停止した。
「あっちの男の子はちょっと掘ったくらいじゃ見つからなかったからこっちからやるか~…それでいいよね?」
もちろん返事はなかった。
「じゃ、遠慮無く掘り進めていきますかっ!」
そして、ガラ、ガラとゆっくりながらもパワフルにゴミ山を崩す音が仁の耳に叩きつけられた。
この明日花の作戦(?)で仁が安心したということはなく、むしろ激しい焦燥感を抱いていた。これじゃ殺されそうになる人が進都から明日花に変わっただけだ。いや、あの判断力に富む明日花のこと、何か考えているに違いない。進都と出会う直前の彼女の行動を思い出していた仁は、そう考えるようにしたものの、やはりどうしても「ただ単に身代わりになっている」という説が捨てきれず、危険を承知でゴミ山から顔を出した。呼吸が容易に感じる。
「あ~早くこの包丁で刻みたいな~、正直生きてる人間を切るのって初めてなんだよね~、イチョウ切りでしょ、短冊切りでしょ、あえて乱切りにしてみるのもいーかもな~、……あ~待ちきれない! 早く出てこ~い!」
左を見てみると、イサと思われる調理服にベレー帽のような平たく白い帽子をした少女が、物騒では済まされないレベルのことを呟き(という音量ではないが)ながら、より一層強く隣のゴミ山を崩していた。
助ける……べきか? いやしかし明日花は明日花でこの後について何か考えているかもしれない。そうなったら逆に水を差すことになってしまう。ただ……
「覚悟しなよ~! えいっ!」
仁が自己問答している間に、ついにイサがかなり小さくなったゴミ山にとどめを刺すがごとく蹴りを入れた。ゴミ山は見事に離散して、イサの膝までが袋や廃材などで埋まった。
仁の目が見開かれた。
しかし。
「……あり?」
そこから少しの間が開いて、イサが疑問の単語を口にした。それで仁も瞬きを何度か繰り返すことになった。
「いないじゃ~ん。つまんないの~」
そうして、イサは段ボール箱やらレジ袋のようなプラスチック袋が散乱するゴミ山のあった場所にくるりと背を向け、今度は向かいの、これまた山のように連なった段ボールを見上げた。
え? いや、殺されなかったのは良かったが、明日花は一体どこに……
その時、仁は気がついた。
イサの背後の段ボール箱の中に、1つだけ組み立てられ、しかもふたが閉まっているものがあった。それが、激しく揺れている。大きさも───しゃがめば、人1人が入るには十分だった。
ふたが勢いよく開き、そこから人が飛び出てきた。
もちろん、明日花だった。右手に持つキッチンバサミが、光を反射して鋭く光る。それが、首筋に向かって振り下ろされようとしている。
イサはまだ明日花に背中を向けている。
その一瞬だけ、仁の思考から、絶望とか恐怖とか、そういったものが全て吹っ切れたような気がした。




