【4品目】鋼の扉
あの気味の悪い色の作業服を着た男が目の前を通り過ぎ、そして向こうへ歩いていくのを見送る間、心臓の音が鳴り止まなかった。うるさすぎて、相手に聞こえてしまうのではないかと心配するほどだった。
「よし、もう大丈夫ッスよ。行くッス」
部屋の入口から廊下を覗き、明日花は頷きながら呟いた。それで、仁はほっと胸をなでおろした。
進都と出会った部屋を出てから、どれくらい経っただろうか。それを確認するすべはどこにも無かった。時計などが廊下にかかっているわけでもなかったし、ズボンのポケットを探ってみても、スマホみたいにインターネットに接続できる物品もなかった。そういう物を持っていたのかどうかすら───記憶になかった。本当に何でこんな所にいるんだよ……。
そして″職員″が現れたら、引き返すか、廊下に面した部屋に逃げ込む。部屋と言っても、ほとんどは入口のドアがなかったので、部屋と言ってもいいのかは怪しかったが。ともかく、それで既に5人の″職員″をやり過ごしていた。1回だけ部屋をちらりと見てきたことがあったが、奥に寄って隠れていたため、ギリギリ見つからずにすんだ。なぜ生きているんだろう、とさえ感じた。
「こっちッスかね……?」
明日花の後を歩き、T字路を左に曲がると、またしても長い廊下が続いていた。光で照らされた廊下の奥に、″職員″がいる気配はない。3人はそのまま進んだ。
しばらくの間、沈黙が流れた。たまにその隙間に、蛍光灯の乾いた音が入ってくるだけだ。もちろん全員が気を張っていて、喋る余裕などなかったのかもしれない。
が、しかし。
「そーいや進都さんって、あたし達と出会う前は5人? でいたんスよね?」
唐突に、声が耳に入った。明日花の声だった。仁のすぐ前を行く彼女が、一瞬だけ振り返った。
「……うん」
「どんな人達だったんスか?」
もう一度、明日花が振り返る。″職員″がいないことを確認してから、仁も振り返る。2人に目を向けられた進都がたじろぐ。
「えっと……どんな人達だったか、って……」
進都はそこで黙り込んでしまった。再び、蛍光灯の、ブーン、という音が思ったより大きく鳴っていて、廊下にこだましていた。
「答えたくない?」
仁が言った。しかし進都はそれにも答えずに、下を向いている。どうしたんだろう。何か理由でもあるのか? すれ違いがあったとか?
その時。
「わっ!」
明日花が唐突に大きな声を出した。しかしすぐに振り返ると、2人に慌ただしく頭を下げた。どうやら大きな声を出したことについての謝罪らしい。
だが仁はその後ろ、彼女にそんな声を出させた原因のものを見ていた。おそらく後ろの進都もそうだろう。
「行き止まり……?」
「いや、違うよ」
そこには、暗い黄色の光沢を帯びた、重厚感のある両開きの扉が佇んでいた(ついでに言うと進都の言葉に反して右に廊下が続いていた。少し先にドアも見える)。
明日花も振り返り、その扉をまじまじと見た。
「……何の部屋ッスかね、これ」
「普通の部屋の扉とも違う……」
……そして話しているうちに、3人全員が目を見合わせていた。
「……開けた方がいい?」
「いや、中に″職員″がいるかも……」
「とりあえず、そっと開けて中だけ見てみるッスか?」
そう結論づけられた。明日花がドアの取っ手に手をかける。明日花の小さな手と比べると、その取っ手はあまりにも大きすぎた。
ガタ、と音がした。
……。
「どうしたの?」
なかなか動かない明日花の背中と扉を見て、仁が口を開いた。進都も仁のすぐ隣まで近寄り、心配そうな顔でのぞき込む。
ガタ、ガタともう2回音がした後、明日花がゆっくり振り返った。
「……鍵かけられてるみたいッスね」
それで、仁と進都の2人が顔を合わせた。身長の大きな進都の顔を見るには、少し頭を上に傾けなければならなかったが。
「じゃあ、後回しでいいか」
「……そうだね」
「確かにここで無理に入るよりかは、脱出の方法探った方が良いッスからね」
「入った方がいい気がする」
「そんなこと言っても鍵閉まってるから……」
そこまで言って、仁は言葉をフェードアウトさせた。後の2人も口を閉じて、仁の後ろを見ていた。おそらく3人とも、こう思っていたに違いない。
……誰だ、今の?
「入らなかったら、先に進めない気がする」
ここでようやく、仁は自らの背後にその声の主がいることに気がついた。男か女か、微妙に判別のつかない声だ。こういう声は、中性的、とでも形容するのだろうか。
とにかく、振り向いた。
少女───が立っていた。白いカッターシャツに、紺色のスカートという格好。それだけならまだ、学校のヒロインという枠に収まりそうな気がするが、仁はこの少女に、得体の知れない何かを感じていた。
目が大きく、顔立ちが整っていて、とにかく───美しかった。人間離れしていると感じるくらいに。髪も異様に長く、彼女の膝まで伸びていた。しかしその大きな目は───無気力であることをアピールするかのように、ややまぶたが下りていた。
口が開かれた。
「入るための手がかりを探した方がいい気がする」
仁が返す。
「入るって……わざわざ? それよりかは脱出の手がかりを……」
「あの中に『脱出の手がかり』がある気がする」
「で、でも、ここでもたもたしてると……」
「しばらくの間は大丈夫な気がする」
参ってしまった。この少女は譲る気がない。「気がする」だけで押し通すつもりだろう。しかし今は1人ではないのだ。仲間全員が、この急に入ってきた少女のわがままで全滅する可能性がある。
「2人とも……どうする?」
仁は2人を交互に見た。助け船を出してくれると思ったのだ。
だが。
「あの中って、人いないよね? 鍵かかってるし……」
「……? まあ、いないと……思うけど……」
「……じゃあ、いいかな。あの部屋に入る方法を探しても」
と、進都。
「まあ、別にあたしはいいッスよ。これで脱出のための手がかりがあったら儲け物だし」
と、明日花。
反対する者は仁だけだった。しかし仁自身、このままだと自分が「わがまま」を言うことになると分かっていたので、従うまでだった。
「……OK。これで上手くいく気がする」
要望は通ったが、少女は表情1つ変えずに言う。失礼だが、本当に人間なのかと疑ってしまうくらいには無表情だ。
「あの……ちなみに名前は?」
進都が言った。恐る恐る、といった感じだった。
「神原柘姫」
それを受けた少女───柘姫は、最小限の言葉で返した。そして、呟いた。
「……そんな気がする」
「え?」
「……」
それはもしかすると仁にしか聞こえていなかったかもしれない。距離的に進都に聞こえてもおかしくなかったが、彼はそれに対して何の反応も示さず、「柘姫さんか……」と呟いている。
すると、またしても唐突に、柘姫が喋った。
「あと、貴方達を誰かが尾行してる気がする」
「え? 誰がッスか?」
「……分からない。でも大男ではない気がする」
「……と、とりあえず、ここを開ける方法を考えるッスよ! 何か案あるッスかね……?」
明日花がとりまとめたが……まともに考えを巡らせられなかった。
誰かがついてきている? 一体誰が?
それは、今に関しては、この施設の謎よりも、ずっと大きく感じられた。




