【20品目】バリケード
ミカエルと共に用具入れを持ち上げてから、これが轟音を発する可能性の高い作業だということに初めて気がついた。まず倒したときに物凄い音が鳴ったし、積み上げる時もさほどではない音が静寂という環境に増幅され、巨大な音に聞こえた。棚を2人で持っていく際も、中の物───おそらく食器───がカタカタ音を立てて、そのたびにミカエルの身体がびくっと反応し、動きを止めた。
そういうわけで、扉の前に詰め込まれているのは、まだ用具入れと棚、さらに椅子が10脚ほどであった。バリケードを作る、と思い立ってから、少なくとも30分以上が経過しているように思える。それまで扉の外に気配を感じたことは一度もなかった。
仁は自らの呼吸がわずかに速まっているのに気がついた。いくら何でもスタミナがなさすぎる。厨房で何か食べておくべきだったか。
一瞬厨房のことを思い出したものの、すぐに霧散した。冷蔵庫の中、あのシチューの催す吐き気が頭をよぎったのだ。
それでげっそりしている仁に対し、ミカエルが話しかけてきた。これといって特徴の無い白い長机に手をかけている。
「Jin, could you hold your side of this?」
要するに、そっち側を持ってくれ、ということだろう。もう大分慣れてきた。ちなみに名前は、眠りにつく前に伝えておいた。
仁は頷き、ミカエルが片方を持つ机に歩いた。机の表面に、白と天井からの黄みがかった緑の中、彼の顔が浮かぶ。
1つの大きな長机で列を作っていたと思われたが、実は比較的コンパクトな長机が数個横に並ぶことにより、その列は構成されていた。よって机を運ぶのにもそこまで苦労はしなかった。音だけは立てないように細心の注意を払った。もっとも仁は、今更そんなことに気をつけてもあまり意味はなかったかもしれない、と、用具入れを倒したときの轟音を思い出しながら考えたが。
たっぷり40分程で、部屋の中にあるもの全てを積み上げることに成功した。入口付近から見てみると、部屋は以前よりかなり広く感じたが、窓がない上にこんな陰鬱な光で満たされていたので、開放感の欠片も感じられなかった。だがそれはそれとして、だ。
仁は入口の方を再び向いた。乱雑かつ丁寧に、ありとあらゆる物が積み上がっている。用具入れのグレーと棚の茶色、さらに机の白。混ざり合ったその姿は、小学校低学年の男の子が図画工作で生み出す何かに似ていた。
達成感とともに、つばを飲み込む。
これで、逃げ場はなくなった。
もちろん明日花の体調が回復し次第このバリケードは撤去するつもりだ。だがもしこれを突破されれば───あとは逃げ場のない室内で蹂躙されるだけだ。大きな袋を担いだあの異様な力の持ち主に。
心臓がずっと高鳴り続けた。もしかするとこの作戦は間違っているかもしれない───ほんの少しだけそう思ったが、これ以上考えるのはやめておいた。大丈夫だ。まずドアを破壊するくらいの勢いで開かないと開かないのだから。それは(多分)ここを住処とする彼らにとってもマイナスだろう。
あれこれ考える仁に、ミカエルが寄ってきた。
「Thanks for your help」
手伝ってくれてありがとう、か。
「サンキュー、トゥー」
正しい英語かどうかはもう気にならなくなっていた。文法がまちまちでも、ある程度は通じる。
すると、仁は気がついた。ミカエルが少したどたどしい素振りを見せながら、視線を向いているのを。
「...And, well... I can't keep forcing too much of you...so I'd like to try speaking Japanese with you, too」
たどたどしくはあったが、再び「聞き取れない」文が来てしまった。いつの間にか彼と完全にコミュニケーションを取れるようになったと錯覚していたが、やはり言語の壁というものは大きい。ジャパニーズ……日本人? それとも日本語?
そんなことを考え、ただ薄ら笑いを浮かべていた仁に対し、ミカエルが付け加えた。
「How do you say "thank you" in Japanese?」
今までのネイティブな英語と比べ、それだけかなりゆっくりとした喋り方だった。その真意はわからなかったが、とにかく、意味はそのおかげでわかった。Thank youは日本語では───
「……ありがとう」
「"Arigatou"—is that the "thank you" in English?」
「…イエス」
するとミカエルの顔がだんだんと破顔してきた。そして仁に言った。優しく。宝物に触るように、丁寧に。
「Arigato.Arigato...」
仁は不思議に思った。そんなに気に入ったのか。一体どこに。
しかし仁の心も少しずつ暖化していった。その熱は心臓から血液を介して全身に広がっていく。感じたことのない何かが、緩やかに満ちていく。
「……」
その感覚の中で、ふと明日花のことを思い出した。そして、明日花と柘姫のいる部屋の奥へと歩いていった。ミカエルもついてきていた。
もしかしたら、まだ笑ったまま───だったかもしれない。
確実に脅威が迫ってきているとも知らずに。




