【19品目】熱
蛍光灯の火花がはじける音がした。それを機に、それのうちの1つがわずかな点滅を始め、明日花の紅潮した顔の明度を変えた。
「……申し訳ないッス……みなさん……」
明日花の身体は床に横たわったままだったが、柘姫椅子を持ってきて、明日花の鮮血を流す左脚をのせ、さらに机の上にまとめてあった紙ナプキンで患部を抑えた。こうすることで「静脈圧」というものが下がり、血が止まるらしい。相変わらず「気がする」口調だったので少し不安になったが。
ミカエルも見張りから駆けつけてきた。少し前の、あの怯えた顔に近かったが、それではない何かを感じた。
「...Are you...OK?」
「...Yes... It's not a big deal...(はい…たいしたことはないッス…) 」
この程度の英語なら仁にも理解するのは容易だった。ミカエルも仁と同様に心配している。出会ってから間もないというのに。そのことは、仁の心を少なからず突き動かした。進都を失ってからずっと地面から浮いていた仁の中の信念が、密かに確信へと移った。だが今は、明日花のことについて対処すべきだった。
「これって……どうすれば……」
「しばらく安静にしておいた方がいい気がする」
全く動揺を見せない柘姫の声が仁に向けられた。一方でミカエルは明日花にずっと声をかけ続けている。
仁は一瞬、確かにそれはそうだと思った。しかしすぐに別の懸念点が出てきた。
「……途中で、あれが来たら?」
もし───もし″職員″が明日花の回復を待たずにここに乗り込んできたら、明日花は逃げることができない。しかし戦っても、勝てる見込みはなかった。何せ、衝撃のみで明日花と柘姫の2人を気絶させたのだ。″職員″の体質が棒で突いて死ぬくらいの虚弱体質なら話は別だが。
仁は正直なところ、この質問に対しても柘姫はすぐさまレスポンスをすると考えていた。何となく、だけど。何となく、柘姫が誰かからの干渉に時間をかけるイメージが無かった。
しかし柘姫はこちらも向かず、ただじっと明日花の左脚を抑えていた。
最初は聞こえていないのかと思った。それで呼んだ。
「……柘姫さん?」
しかしやはり返事はない。当然仁の方も向いていない。
仁は一種の心配さえ抱えた。先程似たようなことを言ったが、柘姫といえば、合理的な判断をすぐに下す、例えそれが少々危険であっても、というイメージだった。
仁は3度目の呼びかけを行おうと、柘姫のすぐ隣まで歩いた。それが柘姫を急かしているととられるかもしれないとは分かっていた。ただ、腹いせではないが、別に良いだろうという心の隙ができてしまっていた。
「……その時は……その時な気がする」
仁の足音が響くと、ようやく柘姫が返した。どちらかといえば反射的なものに近く、やや早口だった。何より───声が震えていた。おそらくこれが、仁が初めて見た動揺している柘姫だった。しかしその動揺の大きさも、他人と比べてかなり小さいのだけれども。
仁も納得することにした。
「……わかった」
「Wait! What are you talking about? I know it's partly my fault for not understanding what you were saying, but...」
横からネイティブな英語が流れてきた。後半部分は相変わらず何と言っているのか分からなかったが、自分達が話している内容を知りたがっているということは理解できた。いいぞ、自分。
ただその内容をどう伝えるかだった。仁は当然英語を日常的には使っていないし、英語関連の資格を持っているというわけでもない。
柘姫の方を見る。まだ明日花の脚の止血に奮闘しているようだ。いや、さっき確認したか、それは。
仁は再びミカエルの方を向くと、口を開いた。
「ステイ…ヒア」
「Stay here?」
「イエス。ウィーウェイトヒア……スティル…いや、アンティル…アスカ…ワー、キュアド…」
仁本人も、自身の英語は拙く頼りないものだと分かっていた。単語を重ねるごとに、自身の学の無さがばら撒かれているように感じられ、穴にも入りたい気持ちになった。
だがこれが奇跡的に通じたらしく、次いでミカエルは言った。
「Hmm... If we're going to stay here, I think we should build something like a barricade at the entrance to this room」
バリケード、という単語が聞こえた。それで仁はすぐさま行動に移すべく、ミカエルに、そして柘姫に言った。
「イエス。アイルドゥーイット。……柘姫さん、僕らは今からこの部屋にバリケードを作る。だから柘姫さんも……」
「……誰か1人、面倒を見ておいた方が良い気がする」
それは確かにそうだった。明日花の顔は心なしか先程よりも赤みを増しているように、そして滝のような汗を流しているように見えた。いつ急変しても、あり得ないとは言い切れない。
「……そうだね」
そして2人の少年は、早速障壁を作るべく、まずミカエルの隠れていた用具入れに向かい、倒した。ガタン、という派手な音が響き、身を震わせたが、すぐに思い直して両端を2人で持った。
柘姫はそんな2人を尻目に、じっと明日花を見た。明日花が半開きの目で見返してくる。その表情は、弱くはあるが、まっすぐ柘姫に突き刺さる。
「………」
柘姫の心臓で生物のような何かが蠢く。それはまだ蛹ではあるものの、いつ孵化してもおかしくなかった。
───嘘つき
「………」
柘姫は明日花の傷をぎゅっと抑えた。血が紙ナプキンに赤を作り上げた。




