【18品目】夢
2人の両サイドを流れる代わり映えのない田園風景が次々と後ろへかっとばされていく。それに紛れるように水田近くに立っている色褪せた看板も、やはり同じように置いていかれる。
俺は今、バイクに乗っている。風が冷たく心地いい。と同時に、胴に掴まってくる泰嗣の手が、少々くすぐったく感じる。
俺はハンドルのタコメーターを見ながら泰嗣に言った。
「あとどれくらいだ?」
「さっきの看板は西100メートル先に旅館があることを示していた。地図から見るに、あと数キロだな」
泰嗣からの返答に満足して頷くと、続けて言った。
「スピード上げるぞ。標的は待ってはくれない」
「分かった」
俺はスロットルを思い切り開けた。けたたましいエンジン音が、閑静な農村に響いた。
「ん……」
特に外部からの衝撃も無く、またひどい悪夢を見ていたというわけでもないのに、仁の目が自然と開いていった。目の前には……柘姫がいる。相変わらず無表情を貫き、こちらを見ている。その口が動く。
「……起きた気がする」
「……あ、ジンさん起きたッスか?」
その中性的な声に誘発されたように、少し奥の方から明日花の声も飛んできた。眠る前よりさらに気だるげな感じに聞こえた。彼女も寝起きなのかもしれない。
その明日花が、奥から一気に仁に近づいてきた。左脚に巻いた包帯が痛々しく映った。
「……大丈夫?」
「……何がッスか? ……あ、大丈夫ッスよ。これくらい」
そう言って笑いを浮かべ、準備体操の要領で左脚を回してみせる明日花。一見しただけだと、普段と変わりないように見える。普段、と言えるほど長い間一緒に行動したわけではないが。
同時に、仁は不思議な感覚に陥っていた。この奇妙な感覚は、夢と現実の狭間にいるような浮遊感に襲われていた、と表現できるかもしれない。もっとも、これが夢の方へ傾いてそのまま倒れてくれれば、どれだけ嬉しいことだろう。
仁は先程まで見ていた夢の記憶を必死に辿っていた。まるで、自分が幽霊となって、全く知らない他人の身体に乗り移ったかのようだった。しかしそれは当然のこと、彼にバイクの知識など微塵もなかったし、「俺」なんて言わない。「標的」が何を指すのかも分からない。
そして何より、またあの名前が出てきた。この夢は、前回登場時から時間が経ってそれに関する記憶が薄れてきた仁の脳に、再び打撃を与えるものとなった。
″タイジ″とは、誰なのだろか。
夢の内容から判断するなら、少なくとも敵ではないように思えた。むしろ自身を助けてくれる良きパートナー、といった所か。「標的」という共通の目標のために、行動を共にしている───。
考えつく限りの可能性はそれまでだった。
「ミカエルはどこに?」
「入口ッス。見張ってくれてるッスよ」
確かに、入口の方に扉(開いているのか閉じているのかは見えない)を見ている金髪の少年がいた。あれほど震えて落ち着きのなかったミカエルの適応の早さに驚かされた。
彼の言葉をもう一度反芻する。Can you tell me───.
彼の言っていたことは本当なのだろうか。正直なところ、仁はまだ疑っていた。いやそもそも、自分が英語を間違って解釈しているだけで、実はごく普通のことを喋っていただけ、という可能性だってある。
しかし本当なら、そしてそれがこの″食堂″の真実に直結するのならば、ここに来る前の自身についても、少しだが知ることができるかもしれない。
明日花は座り込んで壁にもたれかかり、再び目を閉じている。相当疲れているようだ。柘姫はミカエルの方に歩き、何やら彼と話している。
仁も明日花の方にそっと寄ってみた。糸の切れた操り人形のごとく脱力している。
……やっぱり、今はいいか。
正直なところ、仁は明日花に訊くつもりだったのだ。彼女がミカエルと同じではないか確かめるために。もし違うなら、それはミカエルの錯乱、もしくは夢ということになり、そして同じなら、この場所について、そして自分についての大きなヒントとなる。
だが───今は、そこまで固執することもない。いや固執しなくてはならないが、今だけは、それが愚策のように思えた。普段は活発な少女が、静かに眠る姿。それでも抜けない緊張からか、少し紅潮した顔。そしてねいk───。
突然、明日花の身体が横になった。ごん、と肩が床に打ち付けられ、続いて背中が地についた。彼女の顔が、先程にもまして、林檎のように赤くなっていく。息も、ふう、と大きくなっている。これに関してはさっきからそうだったのかもしれない。自分が認知の外側に置いていただけで。
そしてま───これが一番仁を衝撃たらしめたのだが───彼女の左脚、膝の上に巻いた包帯代わりの布が、いつの間にか真っ赤に染まり、色白な脚の薄橙と奇妙な色彩を作っていた。先程まで何事も無かったのに。
狼狽する仁の脳に、明日花の苦しげな息が混ざり込む。それが仁の焦りを加速させていた。




