【2品目】仲間
仁は気がついていなかったが、彼が赤い目の男を見た分かれ道である″T字路″は、十字路であった。しかしショートヘアの少女がいた道は、木の板が幾重にも寄りかかっており、あたかも壁のように見えていたのだ。そこから木の板をずらして、少女が仁の腕を引き寄せたというわけだ。
「逃げるったってどこに……」
「あっちッス! ぐずぐずしてると囲まれて逃げ場なくなるッスよ! 早く早く!」
腕を引っ張る力がより強くなった。それに流されるように仁の身体が傾く。足がワンテンポ遅れて動き出した。
2人がいた道はただでさえ狭い上に、木材やら針金やらが道中に置かれていて通るのにも一苦労だった。
やがてあの気味悪い光が戻ってきた。狭い廊下の出口までやって来たのだ。
「こっちッス!」
少女がそう言いながら、狭い廊下を出て左方向へと走った。腕がちぎれそうだ。冗談抜きで。
しばらく走っていたかと思うと、少女が廊下の右手に見えた木のドアを押し開けた。先程見た部屋と同じように、テーブルと椅子がきちんと置かれていた。ただし今度はテーブルも椅子も質感が段違いに良い物だと目で見ただけで分かった。
そこに半ば放り込まれるように、仁が押し込まれた後、少女も入り、ドアが閉められた。天井の蛍光灯の、蚊の羽ばたきに似た音だけが残った。
「ふぅ……危なかったッスね……」
少女がドアのすぐ横の壁にもたれかかり、大きくため息をついた。
「あの……貴方は……」
「あたしッスか? あたしは本条明日花っていう名前ッス。『明日』に『花』で明日花ッス」
「本条さん……あ、ありがとう……助けてくれて……」
「明日花でいいッスよ。どうせこれこら長い付き合いになるんだし」
「じゃあ、明日花さん……ありが、とう……あ、ちなみに僕の名前は、財津仁です。『財産』の『財』に、県庁所在地の『津』、仁徳の『仁』です」
「そッスか。じゃあこれからジンさんって呼ぶッスよ」
そう言って、明日花は目を閉ざした。茶色のショートヘアは、灯りの下で見れば少し乱れているのがわかる。緑のダッフルコートに黒い半ズボンという服装は、この緑がかった光の下では目だちにくいかもしれないが、それでも長いこと逃げ続けているのだろう。
仁はずっと訊きたかったことを思い出した。
「……明日花さん」
「どしたッスか?」
「あの人達って、何者なんですか?」
すると明日花は「うーん……」と唸り始め、しばらくするとばっと立ち上がった。かと思うと唸りながらゆっくりと足を進め、仁の横を通りすぎ、テーブルの周りを一周して、また元の位置に座り込んだ。
「……しょーじき、アイツらが誰なのか、どういうことを目的としているのかは分かんないッス。分かることは、アイツらがあたしたちを捕まえようとしてること、この建物の中に何人もいること……それくらいッス。まあ、あたしは『職員』って呼んでるッスよ。だってそれっぽいから───」
「じゃ、じゃあ!」
途端に発せられた仁の大声が、部屋の中を支配した。仁自身がその大きさにかなり驚いて、喋るのを止めてしまった。しかし何度かどもった後、ようやく再び喋り始めた。
「……じゃあ、あの人は……あの、袋に入れられて連れ去られた人は、どうなるんですか!?」
「まあまあ、ジンさん、一旦座ってくださいッス」
それで、自分が必要以上に大きな声を出していることが分かった。今考えてみれば、物置で自分が「逃げないと」と言った後に舌打ちされたのは、おそらく大きな声で叫んでいたからだ。音を拾われて、それを元に居場所を特定されたって、何らおかしくない。
それで仁は、すぐ近くの椅子に腰掛けて、力を抜くことにした。座り心地はまずまず。高価に見える装飾と木の質感に比べればやや劣るが。
「それも分かんないッス。てか、何もかも分かんないッス。ここがどこなのか、なんでこんな所にいるのか……本当に、全部分からないままなんス」
そうして、体育座りの姿勢になっていた明日花は、自身の膝あたりに顔をうずめた。しかしすぐに顔を上げて、仁にこう発した。
「あ、でも、諦めてるってわけじゃないッスよ! もちろん、生きてここから脱出するッス。あたしにはまだやりたいことがあるッスから」
そうして向けられた笑顔は、かえって仁にいたたまれない感情を抱かせた。明日花の身体は、標準的な高校生男子の体格を持つ仁と比べてはるかに小さい。歳はいくつなのかは知らないが、高校生なら女子の中でもかなり小さいであろう。いや、何歳であったにしろ、明日花の身体が小さいのは変わりない。しかし、自分と同じように、手探りで生き延びている。その小さな身体で、何倍も大きな不安を抱えながら。
仁は突如、とある衝動に駆られた。自分が、いや、自分もしっかりしないとだめだ。自分も、条件はこの少女と同じなのだから。
「明日花さん、僕───」
その時だった。
ドンドン、と音がして、明日花の横の扉が2度震えた。明日花はもちろん、少し離れていた仁の身体も少々跳ねた。
「───!」
───誰かがドアを叩いている。
明日花がばっと立ち上がり、ドアの方をじっとにらみながら、仁のいるテーブルの方へ後ずさりしていく。
「明日花さん───」
「……」
「これって……」
「ここは逃げ場がないッス。本当に申し訳ないッス。あたしの責任なんで、あたしが戦ってる間に、逃げてほしいッス」
「え───」
すぐ近くの食器棚の扉を開けると、明日花はすぐにキッチンバサミを取り出して、またドアの方を向いた。
「ほら、ぐずぐずしてる暇ないッスよ? あたしが戦い始めたら、すぐ横を通り過ぎてここから出てくださいッス。少しなら時間稼ぎできるッス」
「で、でも───」
もう一度、ドンドン、と扉が叩かれる。今度は先程にまして強くなっているような気がした。
「いくッスよ!」
仁の心の準備ができないまま、明日花はドアの取っ手に手をかけた。そして回す。ドアが開く。キッチンバサミを突き上げる───
「わっ! 待った待った、味方だよ、味方!!」
───あれ?
見ると、そこに立っていたのは赤目の大男ではなく───ごく普通の、仁と同い年ほどの少年だった。明日花のキッチンバサミが、彼の顎のすぐ下で止まっている。
「……え?」
「味方コール」で敵ではないと分かった瞬間、2人は拍子抜けして、ほぼ同時に座り込んでしまった。
「あの、……大丈夫? 2人とも……」
大きすぎる安堵で完全に上の空になっている2人に、少年の方が戸惑いつつあった。




