【15品目】シチュー
空間の奥には真新しい調理台が佇んでおり、周囲にまき散らされたゴミの数々が同時に目に入ってきているのもあって、かなり異質に感じられた。
「……探すッスよ」
そう言うなり、明日花は調理台の方へと足を進めた。進都が連れ去られる前に話していた「役割分担」はもうどうでも良いのだろうか、と感じたが、何も言わないでおいた。そして仁も、同じ方向へと歩いていった。色とりどりのゴミの中に、自分の身長と同じくらいの高さで、かつ銀白色を呈す四角いものを見つけた。冷蔵庫だ、と分かった。調理台に向かい合うようにして直立しているそれにくるりと身体を向けて、歩みを始めた。相変わらず足元では、くしゃり、くしゃりという軽い音がする。
本来食品を保存しておくためのものだ。そこに何か重要な物が眠っているとは思えなかったが……磁石のように、仁はそれに引きつけられた。なんとなく、誰かと一緒にはいたくなかった。
見た目からして材質は金属であろうにも関わらず、その扉は常温を保っていた。それを感じない間に、開けた。やはり冷蔵庫で間違いなかったらしく、中の冷気が仁の顔、身体に触れた。
───お前にとってそれほど大切な奴だったのか?
名前も分からずに消えていったあの少年の言葉。噛んでも噛んでも、喉がそれを受け付けてくれないと思っていた。
だけど、ほんの数分経ってしまったら、もうすでにそれは、仁の頭の中で処理されてしまっていた。
進都はもちろん、全員がこれから降りかかる危機を共に乗り越える仲間であり、1人として欠けることは許されない。仁はそう思っていた。そう、仁は。もしかしたら、他の3人はそうは思っていなかったのかもしれなかった。特に柘姫。あの作戦を提案して、結果的に1人を失うことになっても全く動じていない所を見ると、あの少年が言っていたことが急に現実味を帯びてきた。彼女からすれば、自分達なんてただの「駒」なのかもしれない。仁を盾にして逃げたあの二つ結びの少女のように。
自分は、どう思われているのだろう?
そんな恐怖に近い感情で浮かび上がった問がはじけるその前に。
顔に再び、冷気がぶつかった。それで慌てて、現実世界への意識を取り戻した。
冷蔵庫の中身は既に露わになっていた。まず目に入ったのが、二段構造となっている冷蔵庫の内部の上半分を占めていた緑だった。全て葉物野菜で、小松菜……かと思ったが、茎が白い。もちろん白菜などには白い部分もあるが、ああいうみずみずしい白ではなく、若干「青」が混じって生物みが抜け落ちた、どこか空虚な感じの白だった。そしてこの特徴を持っている野菜の名前を、仁は知らなかった。記憶喪失であると目覚めた時に自覚していたので、その余波が蓄積された知識にもきているのかと考えたが、記憶喪失になっていない普通の人間が見たとしても、首をかしげるばかりで名前を言うことはできないだろう。それくらい、異質で見慣れない見た目をしていた。
仁はすぐさま下に目を移した。あの名前も知らない野菜を見つめていると、古いタイプの生成AIによる出力画像を見ている時のような気持ちの悪さを感じてしまう。
下段には、下段の容量より少しばかり小さい大鍋が、冷蔵庫と同じような光沢を放っていた。緑と銀という組み合わせはひどい不和を感じさせるものだと実感した。
後ろをちらりと見た。真新しい調理台の前で、明日花の背中が丸まっていた。調理台の下段の棚を漁っているのだろう。柘姫の姿は見えなかった。結果的に明日花の言っていた「役割分担」の形にはなっているが、一体どこを探しているのだろうか?
仁の頭に浮上した不安感を拭うため、冷蔵庫の方に目を戻し、「探索作業に戻った」。そして、大鍋についている左右の取っ手をそれぞれの手で握り、前に引き出した。
中には、固体とも液体とも言いがたい、どろっとした白いものが入っていた。そこに、先程見た緑の葉が点在している。
シチューだ、と仁は思った。それは彼の知っているようなものではなかったが、「白い半液体」という共通点のおかげで推測できた。他にも赤い野菜や白い何かが───
目の前にいる女は濃い灰色の壁に背を当てている。目をこれでもかと見開き、真夏を連想させるかのような量の汗を流している。力なく、「あ、あぁ、あぁ……」と震えている。手足の自由は麻の縄により奪われている。
右手に持っている「それ」が鈍い反射光を見せる。先端が黒く、つるはしに似た形状をした「それ」───釘を打ち付ける用のハンマーを、反対側の左手に軽く打ち付ける。小気味良い音がして、対面の女から「ひいっ」と声が漏れる。
「おね、おねがい……何でも、するから……だから、だから、どうか……」
女が言う。声までが震えていて、注意しないと文として捉えることができない。
だがそれも結構。
女に歩み寄る。足元で床を打ち付ける音がする。女が身を引こうとするが、後ろはもう壁。
ハンマーを大きく振りかぶった。わずかな風を感じた。ハンマーが女と接触───
思わず口を押さえた。
臭いが特段きつかったわけでも、凄惨な光景を見たわけでもなかったけれど、それでも仁の喉を、脳を「何か」が襲った。
何なんだ───今のは?
一瞬だけ、全く別の場所にいる、全く知らない誰かと魂が入れ替わったかのようだった。自分で身体を操作している実感がなかった。唯一実感できたのは、「見る」という行為のみ。
「うっ!」
喉にもう一度刺激が来た。吐く、と思った。しかし何とかこらえた。口の中に胃液の酸味が残った。
「ジンさん? どしたッスか?」
思ったよりも声が大きかったらしく、明日花がすぐさま反応し、仁に駆け寄った。
仁はすぐさま大鍋を元の位置に戻しこみ、明日花の方を向いた。
「いや、何でもないよ」
「大丈夫ッスか? ……進都さんのこともあるッスよね……あまり、無理しないでくださいッス」
その時。
「2人とも」
2人の背後で、あの高くも低くもない声が発された。振り返ると、やはりそこには柘姫がいた。
「柘姫さん……今までどこに……」
「これ」
柘姫はそれだけ言って、右手をぐいと前に出した。その手には───円形の金属の輪に、いくつもの鍵がついた鍵束が握られていた。一円玉ほどの小ささのものから人差し指ほどの大きさを誇る物まで、全部で7本ついている。
「これ……」
「さっきあいつが倒れていた場所に落ちてた。そんな気がする」
そうか。柘姫は2人が厨房の奥を探している間、入口付近を探していたのだ。それで、おそらくイサが持っていたであろう鍵束をゴミの中から発見した、ということだろう。
「でもこれ、一体何の鍵なんスかね……」
「厨房がここだけだとは限らない気がする」
「てことは第一厨房、第二厨房みたいな感じになってるんスかね……」
2人が輪からぶら下がっている少々錆び付いた鍵について話しているそばで、仁はささやかな安堵感を感じていた。とにかく、進都の行動が無駄ということにはならなかった。それでも……喉の奥に、ちくりと刺さる物はあったが。
「……出よう」
仁はそれだけ言って厨房や冷蔵庫に背を向け、入口へと足を進めた。なんだか背中がむずがゆかった。プラスチックを踏む音は、もうとっくに耳になじんでいた。
明日花の左脚、膝の上に、イサの投げたナイフが刺さった傷がある。
そしてそれは、布で縛られてはいるものの、少しずつ出血を続けている。
少しずつ、少しずつ。




