【13品目】自分の命、他人の命
力が抜けた。抜けはしたが、倒れかけていた身体をすぐに立て直し、隠れていたゴミ山から勢いよく出た。″職員″の蹴りでさら降り積もったゴミ山が、一気に蹴散らされた。扉を目指し、駆けようとした。
だがそこで気がついた。左手首に何か生ぬるいものが巻き付いている。見ると、少年の濃い色の腕が、仁の腕をがっちりと掴んでいた。どうあがいても振り払えないように見えた。それくらいに、力が強い。あまりにも力が入りすぎているせいか、微かに震えている。
しかしその次に発せられた声は、一寸の歪みもなく、まっすぐ仁に向かってきた。
「お前、助けに行くつもりだろ」
それでまた、明日花の言葉が蘇り、枷となり始めていた。
───ひょっとして、助けに行こうとか思ってるッスか?
だがそれもかわしたつもりだった。仁は再び扉の方を向き、少年の手を外そうと、あらゆる方向に腕を振った。だが手のひらに磁石でもついているかのように、少年の手が仁の手首にしっかりと絡みついている。
「離してくれ」
「やめとけ。お前も死ぬ」
だが仁はそれでも少年の手を離そうと、さらに激しく手を振った。右手も動員して手を剥がしとろうともしてみた。その努力のかいあってか、ついに少年の手が仁の左手首から剥がれ落ちた。
そこからは速かった。くるりと振り向くと、思い切り地面を蹴って入口へと向かった。地面に転がっていたプラスチックの袋が仁に蹴り上げられ浮上し、ひらひらと落ちていくのが少年には見えていただろう。それにも構わず、入口目がけて走って、かと思えば通りすぎてバリケードを形取っていた段ボールにぶつかり、少し退いて入口の前に辿り着いてすぐに扉を開いた。重かったはずの扉だったが、重さは感じられなかった。
「………」
だが───正面の廊下にも、左の廊下にも、袋を2つ背負った″職員″の姿はなかった。そして次には、仁は自身の息の音を聞いていた。もう一度見てみた。やはり誰もいなかった。
目を擦った後、さらにもう一度2つの道の奥に目をやった。もしかしたら、自分が見落としていただけかもしれない。こんな緊急時だけど。もしかしたら、あの″職員″がここに戻ってくるかもしれない。取り残した自分達の様子を見に。もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら───
「やめとけ。無駄だ」
不意に我に返った。
振り返ると、あの少年が立っていた。髪は少しぼさっとしていて、その頭に乱雑に包帯を巻いている。よく見ると、指先や首にも、同じような白く薄い布質の物が巻かれていた。
仁はそれで、一瞬だけ圧されることになった。もしかすると、この少年は自分達が目覚めるよりもっと早く行動していて、様々な苦難を乗り越えてきたのかもしれない。そう考えたら、この冷酷ともいえる合理的判断を下しているのにも納得だった。
だが、そんな合理的な判断よりも、大事な物が仁にはあった。しかし。
「無駄なんかじゃ───」
「無駄だ」
一蹴された。
「見てみろ。もうあいつの姿はどこにもない。目標物がない状況で、何を目指すって言うんだ?」
「でもそれは……君が止めたからそうなった……」
「そうだったな。でもな、あの状況で動いてたら死んでるぞ。あいつは人間の一人や二人、簡単に潰すことができる」
「潰す」という表現に、思わず顔を歪めた。言葉も一瞬、喉から肺に引っ込んだ。それが表現によるものかどうかは分からなかったが。
それでも、無理矢理外界へ言葉を押し出した。だがもはや原型を保っていない。それはなぜ?
「でも……でも……」
「言わせてもらうが」
すると少年は、再び仁の腕を掴んだ。
「お前がそこまであいつに固執する理由は何だ? あのデカい、それでもって気の小さそうな奴は、お前にとってそれほど大切な奴だったのか?」
……?
何を、何を言い出すんだ、この人は?
「そりゃ……もちろん……」
驚愕というか、呆れというか、そういったものが混ざり合って仁の声を抑止していた。
少年は続ける。
「あいつはお前の昔からの友達だったのか? それとも、ここに来てから共に危機を何度も乗り越えてきた戦友だったのか? 違うだろ? あいつとは、″VIPルーム″で初めて出会ったばかりだろ?」
仁の口が開かれていた。しかし言葉を発するまでもなく、そのまま静止していた。少年の低い声がわずかばかり仁の心臓をつつく中で、血液が急激に沸騰していくのがわかった。泡のはじける音が、仁の脳内で再生された。″VIPルーム″という未知の単語が出ていること、そして少年がなぜか仁と進都の出会いを知っているということには、全く気がついていなかった。
「……だから、助けなくてもいいってことを言いたいのか?」
少年からすれば、搾り取るような声だったかもしれない。だがこれでも、自分の精一杯の感情を発したつもりだった。例え一瞬でも、進都は自分達の仲間だった。この少年は、それをないがしろにした。少なくとも仁はそう思っていた。
少年はこたえた。
「そんなことを言いたいんじゃねえよ。もちろん、救える命は救うべきだ。現にお前を引き留めただろ」
そして、腕がぐっと引っ張られる感触がした。
「自分の命に危険が及ばない限りは、な。自分の命は、自分で守るしかねえんだよ」
腕から少年の手が離された。握られていた部分だけが熱を持ち、血流を感じさせた。
「……僕は、そうは思わないね。救える命は……救うべき……」
「はっ……お前、そのままだと死ぬぞ」
「………」
もう何も返さなかった。返さなかったのか、それとも返せなかったのか。
「まあいい。せいぜい頑張れよ」
少年はそれだけ残すと、扉の向こうに消えていった。名前は最後まで分からなかった。他にも分からないことはいろいろあった。そう、いろいろ。
……これでも、″作戦″の前の自分と、考え方は似てるんだよな。
仁は作戦実行前の、「命を最優先にすべき」という自らの主張を思い出していた。でもあれは、「他人の命も優先すべき」という理論だった……いや、どちらでもないか。
しかし、あの少年が言っていたことは正しかったと思い知らされてはいた。進都とは、出会って、意見が食い違って、散って……ただそれだけだった。助けてもらいはしたが、そこから別れまでの時間が短すぎて、実感が湧かなかった。現に、涙の1つや2つも出ないのが、何よりの証拠だった。
───いいんだ、仁さん。ぼくは……生きててもしょうがない。
ちくり、と仁の脳が刺された。この発言の意味も、結局は分からなかったな。どういう意志を持ってこんなことを言ったのだろうか。いや、大して意味なんてなかったのかもしれないな。
もう何も分からない。分からないのだ。
ふと、″職員″が進都とイサを回収しているときに視界の隅で倒れていた、明日花と柘姫のことを思い出した。
それで、仁は再び部屋の奥へと踵を返した。
がくがくと揺れた。本当にこれは自分の足なのだろうか、と感じた。
あまり見直しせずに投稿したので粗があるかもしれません……




