【12品目】蘇る(後編)
「まだ生きてるなんて……」
思わず溢れ出た言葉は、仁の感情を効果的に表していると言ってもよかった。
イサは立ち上がっている。腹部に深い刺し傷を負いながら、そして真っ白な調理服を自らの血で赤く染め上げながら、なお立ち上がっている。
どうすれば……死ぬんだ?
一見、イサの脚の震え具合、さらにどくどくと現在進行形で流れ落ちる血の量から、もう死にかけではないかと判断するかもしれない。しかしその顔、その目は引きつり、血走っていた。それは、明確な殺意を2人に向けていることを明らかにしていた。
「、、、……」
よく見ると口元が微動していた。何かを呟いている。だがその口からも、血が、つう、と流れはじめる。内臓が傷ついているのかもしれない。
にも関わらず、彼女は2人に向かって走り出した。彼女の腹から、血がより勢いを増して噴き出し、足下のゴミまでもが赤く染まっていた。もしかすると、その赤は床まで達しているかもしれない。とにかく、それだけの傷を負いながら、2人に向かって駆けだした。もちろん、自らの腹に刺さっていた、刃身に赤を網目状に走らせた包丁を握りしめて。
仁は選択を迫られていた。反撃。どうやって? 手にはもう何もない。ゴミの中から使えそうな物を選別して拾い上げる頃には、もうイサは自分の正面に到達して包丁を振り下ろしているだろう。逃走。正気か? 自分が逃げたところで、取り残された明日花がめった刺しにされる。逃げよう、立って、なんて言っていたら、めった刺しにされる人数が1人から2人に増えるだけだ。
頭の隅に、1つの思考が浮かんだ。
ここで……終わるのか?
答えは出ているはずだった。だが、現実を理解するたびに、呼吸が激しくなっていった。
嫌だ。嫌だ。終わりたくない。
イサとの距離はあと2メートル、1メートル、………。
突如、横から影が飛び出してきた。
それはイサを巻き込んで、ゴミの中に突っ込んでいった。衝撃でゴミが跳ね上げられ、各々が弧を描いた後、重力に従って落ちた。
───?
仁は思わず立ち上がった。と同時に明日花のけがも気になったが、イサが倒れた瞬間に、どこからか拾い上げた布で脚を縛っていた。ナイフも抜いてある。
それで仁は今度こそイサの方に目をやった。
目を見開いた。
イサが脚をバタバタと乱雑に動かしながら、首元に左手を回している。表情はよく見えない。
その身体を覆っているのは、進都の大柄な身体だった。両手を使ってイサの身体のどこかを掴んでいる───ように見えた。もしかして首を───
動くことができなかった。仁、明日花、柘姫の中の誰一人。3人とも、ただあ然として、イサともみあう進都を見ているだけだった。
その時間はどれだけ続いた? 1分? 5分? いや、それ以上?
進都の肩が、ゆっくりと下りた。そして、立ち上がった。
ようやく、3人が一斉に駆け寄った。
「進都くん!」
彼の名を呼んだ。今度は仁がこう言う番だった。
「本当にありがとう。助かったよ」
そして少女2人もこれに続いた。
「本当にありがとうッス」
「……ありがとう」
「………」
しかし。
「……進都くん?」
口々に感謝を告げられているにも関わらず、進都からの返事がない。
仁は彼の正面に回り込んだ。足下のゴミが、ざざっ、と転がる音が、やけに響いた。
見た。進都の、彼自身の両手を見つめている目。流れ出る尋常ではない量の冷や汗。そして、震える手先。身体。
何より異常だと思ったのが。
「……カイジ、ユウリ、違うだろ? これは……これはみんなを守るため……そうだろ? 決して……」
こういった風に、ずっと何かぶつぶつと独り言を喋っていたことだった。もちろんその声も、身体と連動して激しく揺さぶられていた。距離が近いためか、イサの呟きと比べ、こちらははっきりと聞こえる部分が多かった。
「進都くん……?」
呼びかけてみる。しかし返事はない。
「蘇ってくる……ああ……誰か……」
蘇ってくる……?
仁がその言葉にざらつきを感じた瞬間。
「進都さんっ!!」
後ろでとてつもなく大きな声が発せられた。鼓膜の振動が残っているうちに振り向いた。明日花だった。
「しっかりするッス!! どうしたんッスか!?」
「……大きな声は出さない方が良い気がする」
「あっ……申し訳ない…ッス」
柘姫に言われ声量は落としたものの、すぐに呼吸し、進都に言い続けた。
「人を殺して、気が動転しちゃったんスか? でもあれはしょうがないッス。相手が相手だったし───」
その時だった。
背後から、キイイ、と音がした。図らずともバリケードとなっていた段ボールがドア越しに押され、こちらも音を立てた。
すぐさま正面の、あの少年が隠れているはずのゴミ山に突っ込んだ。自分でも、まだこれほど動けたのかと思うくらいの素早さだったと思う。すぐに、「馬鹿、崩れたらどうする!」と小さな声で聞こえてきたが、ゴミ山はゴミを少し落としただけで、幸いにも崩れずにその形を保っていた。
ゴミ山の間から、入口の方を見た。目を赤く光らせた大男、″職員″が、なぜかこの場所に入り込んでいた。しかし───仁は思った。
なぜ、袋を2つ?
しかしその思考はすぐに断絶された。
突如、″職員″の足下の、仁の正面の床一面に広がっていったゴミが全て、″職員″によって蹴り上げられた。その瞬間、いくつものゴミの弾丸が、仁達のゴミ山に突っ込んだ。
「───!!」
幸いにもゴミ山のゴミが盾のような役割をして難を逃れたが、それでも痛みは感じた。
そして───見た。職員の死角の壁に隠れていたらしい2人の少女───明日花と柘姫が、倒れ込むのを。
そして、進都が、職員の目の前で、ふらつきながら倒れるのを。
進都、と声をかけるには、もう遅かった。進都の大柄な身体が風船のように軽々と持ち上げられ、吸い込まれるように袋の中に消えた。あっという間だった。瞬きをする時間も、息をする暇もなかった。
そして続けざまにイサの血塗れの死体を持ち上げた。四肢が力なく垂れ下がった。そしてこちらは、進都とはまた別の袋に押し込まれた。
そして何事もなかったかのように、″職員″がゴミも何もなくなった床を、カツ、カツと歩み、段ボールを押し分け、ドアの向こうに消えた。やけに丁寧にドアを閉めていった。音もしなかった。
仁は全身から力が抜けていくのを感じた。もちろん、イサが死んだと分かった時とは意味がまるで違っていた。
ただ、全身から血が抜けたかのような肌寒さを体感していた。




