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殺人鬼食堂  作者: 高瀬凪
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10/25

【10品目】段ボール箱




クシャリ、クシャリとイサの足下から音が発される。その音は小さくはあったが、無音である空間に肌寒い響きをつくり、確かに全員の耳元へと吸い込まれていたはずだった。

仁《じん》は身構えた。中身の″それ″はそこまで重くないはずなのに、両手に届く段ボール箱の重みが凄かった。

「イサさ~嫌いなんだよね~そうやって『死が確定してるのに無駄なあがき見せる奴』って」

仁の眉がぴくりと上がった。それに気がつくほど視力が良かったのか、イサが続けた。

「え? だってそうじゃない? まな板の上に置かれた生きた魚って結構動くじゃん? まあここに来てからは肉しか切ってないからあんまり覚えてないんだけど、『まだ生きていたいようっ!』って感じで暴れるじゃん?」

そこでイサは後ろをちらりと見た。後ろの、ゴミ山がなくなってその姿を露出させた白い壁から、明日花が顔を覗かせているのが見えた。

「でもさ~無駄じゃん? そういうのって。どんなに暴れたところでまな板の上なんだし。逃げられるわけないじゃん。助かるわけないじゃん。逆にさ~こっちが迷惑なんだよね~。暴れられたらさ~」

そして、左手の包丁を持ち上げ、仁に向けた。先端が目に突き刺さるように感じられた。

「料理できないじゃん」

一瞬、誰の声だろうと感じた。しかし状況的に考えて、目の前の調理服の少女しかいない。だがそれを飲み込むのには時間を要した。イサのとぼけた声からは想像できないほど低く、冷淡だった。包丁の刃が、より強く光を反射した。

イサがまた破顔した。

「だから早く息の根止めて楽に料理できるようにするんだ~! そうすればいろんな切り方できるし! じゃ、死ね~」

いつも通り明るく物騒なことを言うスタイルに戻った後、イサが地面を蹴ったのか、後方のゴミが一斉に宙を舞った。そしてこちらに向かって駆けてくる!

仁は両手に持つ段ボール箱を、胸の前まで上げた。問題は、これをうまく包丁が突き刺してくれるかだ。失敗すれば───

仁の思考が一瞬止まった。イサの後ろで、明日花が再びキッチンバサミを手に彼女を追っていた。そしてそのさらに後ろの壁から顔を覗かせているのは、相変わらず無表情の柘《つ》姫《き》だった。どこで手に入れたのか、パン切り包丁を構えている。でもよく見たら、イサの背中ではなく仁を見ているようだった。そこに得体の知れない何かを感じたのだが……こちらのイサに対する反応を伺っている、ということでいいのだろうか。とりあえずそういうことにした。それはともかく、明日花がイサに追いつきそうだ。ゴミをかき分ける音が凄いが、仁を襲うのに集中しているであろう今のイサには───

「な~んてねっ!」

───通用しなかった。

明日花のハサミが振り上げられたまさにその瞬間、イサが瞬時に振り返り、右手の包丁が振り下ろされた明日花のハサミとぶつかって、激しい音を立てた。一瞬だけ見えた光は、ひょっとするとその火花だったかもしれない。その光が現れてから空中を走り、消失するまでの一瞬。

その一瞬。

仁の足が動き始めた。靴の裏で何かが押し潰される感触がした。その何かを後ろに蹴るようにして、前進する。とんでもないスピードで、イサの背中が近づいてくる。ゴミのせいで走りづらいが、あと少しで到達する。あと少しで───

イサの首が回転して、不気味な笑みとほぼ限界まで開かれた目で仁を睨みつけた。それで仁は一瞬ひるんだが、段ボール箱をイサの前に出すことは忘れなかった。

「もう何やっても無駄なんだよ!!」

もはや高い声、どこか間抜けな口調といった「キャラ付け」も忘れて、イサは叫んでいた。そして右手の包丁で明日花の持つキッチンバサミを彼女の手からはね除け、すぐさま身体を回し、左手の包丁を仁に向かわせた。

───先端がこちらに向きさえすれば。

それはもはや運といってもよかった。彼自身にそこまで思考が回っていたかは分からないが、実は彼の作戦は、包丁の刃が段ボール箱に当たっても、峰が当たっても失敗に終わるようなものだった。成功に導くには、包丁の″先端″が、段ボール箱に″深く突き刺さる″ことが必須だった。考えてみれば、成功する確率がそこまで高くない上に、下手したらそのまま首元を抉《えぐ》られ、終わってしまうのだ。しかし、危険性を考慮していたとしても、それは実行されていたであろう。


───やらなきゃ、先には進めない気がする。


柘姫のこの言葉が、仁の頭にもう一度響いた。それで、段ボール箱を持つ両手に、ぐっと力を込めた。

目を閉じていた。

………。

「あれ~? 貫通できなかった。イサ運動不足かも~……。でもまあいいや、もう一度───」

イサがそう言い、右手を引いて包丁を段ボール箱から抜き取ろうとした時。

「……は?」

彼女から、笑みが再び消えた。

仁は段ボール箱から両手を離した。そして急いで距離を取った。散乱するゴミで離れるのに時間がかかったが、イサの意識がが段ボール箱にいっていたので、さほど影響はなかった。

包丁に突き刺さったまま、段ボール箱が宙に浮いている。おそらく中身まで、しっかり刺さっているはずだ。しっかりと。

「抜け……」

イサは激しく右腕を振った。左手は明日花と柘姫を威嚇しているため使えない。しかし意識はもう完全に段ボール箱に向かっている。

───成功した!

仁は心の中で確信した。

その時。

柘姫のパン切り包丁が左手の包丁を弾き飛ばした。イサの意識はすぐに2人のいる後方へと向かったが、もう遅い。明日花が彼女の懐に素早く入り込み、包丁を彼女の腹に突き刺した。イサが明日花の腕をを掴んだ時に地に落ちた、あの包丁の1つだった。

「がっ───」

声にならない叫びを上げて振り返り、ふらふらと仁の方に向かって数歩動いた後、何とか包丁は自力で引き抜いて(その時に血が滝のように流れ落ち、ゴミに吸い込まれるのを見た)、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。ゴミに埋もれた。

仁の段ボール箱に刺さった包丁は、明日花から1メートルほど前方に放り出されていた。わずかながら存在感を放っているその段ボール箱には、黒い字で「暖炉用 薪《まき》」と書かれていた。

木というものは、繊維質であり、一度刃物が刺さるとなかなか抜けない。いくらここの空気がジメジメしているとはいえ、薪というものは乾燥しきっているため成功するかどうか分からなかったが、明日花や柘姫がその後に続いてくれたおかげで、なんとか上手くいった。もしあのまま放っておいたら、数秒で抜き取られ、また自分達へ襲いかかっていただろう。

仁は小さく、息をついた。

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