第53話 下向いてんじゃねえ
「あ……」
黒豹が、それを見てしまった。
俺の袖を掴んでいた手が、ゆっくりと、力なく、離れていく。
「……ごめん、ごめんね。なんでも……なんでもないの。やっぱり私、出てくね!」
まただ。あの無理して作った『作り笑い』だ。
頼む、その顔はヤメてくれ。
「待て、これはただの——!」
「いいから! そういうの、もういいからっ!」
黒豹が、顔を背けて俺から距離を取る。
「なんでよ……! 星城院ちゃんみたいに綺麗で、頭良くて、完璧な女の子が隣にいるじゃん! 待ち受けにするくらい大切なんでしょ! アタシなんかいらないじゃん!」
「そんなことない! お前が出ていく必要なんてない!」
「……わかってたよ、最初からわかってたんだ」
「なんの話だ……」
「アタシなんか相手にされてないってこと。分かってたのに。もしかしたらって、勝手に期待して……アタシ、バカだよね」
期待って……なんだよ。俺にも分かるように説明してくれよ。
黒豹はポロポロと涙を流しながら、俯いてしまった。
「アタシってさ、いつもこうなんだよね。体差し出して、尽くして、がんばってもさ……」
俯いた顔から落ちた涙が、床を濡らしていく。
「それでも結局、適当に相手にされて捨てられちゃうんだ。……ガッチーだけは、今回は違うって思ったけど、やっぱり……アタシって――」
「俺は、お前を捨てたりなんかしないっ!」
「もうこれ以上、アタシに期待させるようなこと言わないでよ……。体で男を繋ぎ止めるしか出来ないバカ女に、もう構わないで……」
「……黒豹」
俺は、お前とセックスしてないと思うんだが……
別にさせてくれって意味じゃないけど。
「いいよもう。アタシなんかどうせ価値ないし、どうせ誰もアタシのことなんか見てくれないし。高校中退して体でも売って、適当に生きてくから」
はあ!? それだけは聞き捨てならんぞ!
今、自分のことを無価値だと言ったのか!
俺の中から溢れてくる「何か」を止められない。
「ふざけるな!!」
下向いてんじゃねえ!
俺は黒豹の両肩を掴んだ。
そうだ。こっちを向け。俺を見ろ!
「価値がないだと!? 高校中退して体を売る!? 馬鹿なことを言うな! お前には価値があるんだよ! この数ヶ月、お前は俺のスパルタ教育に耐えて、ちゃんと結果を出したじゃないか! 勉強だってやればできんだよ!」
「……ガッチー」
「自分を安売りするな! お前はもっと……お前には、もっと幸せになって欲しいんだよ。ホントはなりたいモノがあるんだよな? お前の夢があるんだろ? それを諦めるなよ!」
自暴自棄になるな。俺は思いを込めて黒豹を揺さぶった。
すると、黒豹の目に少し力が戻ったように見えた。
「……なりたいもの?」
震える、絞り出すような小さい声だった。
「そうだ。前に言ってただろ……」
「実はアタシ、子供好きだから……保育士になりたかったんだ。ちっちゃい子供たちに囲まれて、笑わせたくて……」
「…………そうか」
「でも、アタシみたいなどうしようもない女が、保育士なんてなれるわけないじゃん……頭悪いし、親からは見捨てられてるし、子どもに誇れるようなことだってできてないし……っ」
親の不仲と離婚。
果ては家から追い出され、居場所を得るために体を武器にするしかなかった黒豹。
見た目は黒ギャルで、明るくて派手そうなのに。
その明るさと言う名の防壁に隠されていたのは、見た目とは違って純粋な夢だったのか。
それを、その夢を俺は叶えてやりたい。
「……なれる」
「え……?」
「なれる。俺がその夢を叶させてやる。受験まで教えると言ったろ?」
涙でぐしゃぐしゃの顔になっているが、ようやく目が合った。
よし、いいぞ。
俺は黒豹と目線を合わせるようにして屈んだ。
「契約が終わっても、お前の勉強をみてやる。学費の問題も俺が絶対に何とかする。俺が、お前を保育士にしてやる」
なぜこんなことを口走っているのか、自分でもわからない。
ただ、こいつの涙を止めたかった。
黒豹の抱える絶望を闇を、打ち砕いてやりたい。ただそれだけだ。
「……ガッチー」
黒豹の瞳には、わずかだが光が戻り始めていた。
「何かあったら、俺を頼っていいんだ…………」
よく分からんが、俺の中で何かが変わろうとしている。
それだけは、確かだった。




