第50話 進級のその先
リビングの電気をつけるが、部屋は片付いていてテーブルの上には何もない。
綺麗に整頓されたクッションがソファーに置かれている。
あれだけ「片付けろ」と言い続けてきたからな。
もう以前のように、怪しげなコスメやファッション雑誌が散乱していることもない。
俺が朝出た時のまま、何も変わらない部屋。
つまり、俺が片付けた状態ってことじゃねえかっ!
「アイツ、土曜も家に帰ってこないのか?」
スマホを確認すると、数時間前に黒豹からの短いメッセージが1件入っていた。
『今日も、友達の家泊まるから』
友達か……最近いつも遊んでいる相手だろう。
おそらく、黒豹が「いい感じの人」っていっていた相手。
別に気になっているわけじゃないが、その「友達」の情報が少なすぎるのは問題だ。
名前などはどうでもいいが、同居人として「男か女か」や「年齢」くらいは知っておいた方がいいかも知れない。
俺はスマホをテーブルに置くと、ソファに力なく腰を下ろした。
ひとりでいると、部屋がやけに広く感じてしまう。
もともとひとりで住んでいたはずなのだが……こんなにこの部屋は広かっただろうか?
黒豹が転がり込んできた頃は「ちらかすな」「やかましい」と本気で思っていたはずなのだが。
今は……ただ時計の秒針の音だけが響く、静かな部屋。
それなのに、静かすぎると張り合いがないというか……妙に寂しい感じがする。
「……意味が分からん」
理想の彼女との完璧な初デートを終えた、記念すべき日のはずなのだが。
俺の心の中は充実とは程遠いほどに空っぽになっている。
星城院さんとのデートに全力を使い果たしたせいで、精神を消耗しているのだろう。
これが噂に聞く「燃え尽き症候群」ってやつか。
◆
「ただいまーっ」
翌日の夕方。そろそろ夕食の準備でもするかと考えていた時に、玄関のドアが開いた。
「……おかえり」
静まり返っていた部屋に、一瞬で賑やかな日常が戻ってきた。
よく分からんが、この声を聞くと安心するな。
まああれだ……なんとなく流してるプレイリストみたいなもので、変な意味はない。
「ガッチー、今日のご飯なにしようっか!?」
「そうだな。チャーハンにでもしようかと思ってるが。昨日の米が余っていることだしな」
「いいね! ガッチーの作るチャーハン地味に美味いから好き~!」
「別にチャーハンは地味じゃないだろ。なんなら唐揚げでも追加するか?」
「地味ってのは褒め言葉だし~。でも唐揚げもいいね!」
黒豹はそう言って、キッチンに入ってきた。
パッと見では、完全に『いつも通り』の光景だと思うだろう。
だが、この5ヶ月間、毎日アイツを教育――いや、指導してきた俺の目は誤魔化せんぞ。
どっちかといえば、俺がやってきたことは教育寄りかもしれんが……とにかく誤魔化せんものは誤魔化せんのだ!
そもそもだな、さっきから様子がおかしいんだよ。
笑顔を作っているつもりだろうが、口角の角度が普段より5度少ない。目も笑ってないし不自然過ぎる。
声のトーンも、無理に明るくしているようだしな。
黒豹は絶対に何かを隠していると思っていい。
「……男のことで何かあったのか?」
俺は冷蔵庫から、冷や飯を取り出しながら聞いてみた。
だが、なぜ俺は「男」と限定した?
隠し事の問題は、家庭のことや友人関係かもしれないのに。
なぜ真っ先に「男」と思ったんだ?
いや、今までのことを考えたら分かるだろ。黒豹の男関係はめちゃめちゃだったからな。
これは論理的な推測であって、断じて決めつけではないのだ。
「は? 男ってなんのこと?」
「昨日泊まりに行っていた『友達』のことだ。また何か問題でもあったのか?」
「そんなんじゃないし、意味わかんない。……全然違うんだけど」
「それにしては、目が少し赤いぞ」
「目? あー、ちょっと花粉にやられたかもね。少し痒いんだ」
下手な誤魔化し方だな。お前は花粉症じゃないと言っていたはずだが。
まあいい……
「じゃあ、他に悩みでもあるのか? この調子なら普通に進級は確実だと思うが」
「進級か……うーん」
「なにか問題でもあるのか?」
言っておくが、さっきのは本心だぞ。
お世辞抜きで問題なく進級できるはずだ。
「たとえ進級できたとしても、その先どうするか全然考えてないなーって思って」
「………………」
なるほど、そうきたか。
「進学するにしてもお金ないわけじゃん? じゃあ就職するかって言っても、アタシみたいなのがまともな会社に就職できるとも思えないし」
お前の元気がない理由はそれか。
だが、安心しろ。
「……学費のことなら問題ない。奨学金だってあるだろうし。そこは俺が調べておいてやろう」
「えっ、ガッチーが?」
「そうだ。それと受験対策だって俺に任せておけ。今まで通り教えていけば、大学だって進学できるはずだ。いや、絶対になんとかしてやる。だから黒豹。お前はやりたいことを諦める必要なんかこれっぽちもない」
俺は黒豹を見捨てるつもりはないのだからな。
ここまで面倒をみたのだ。大学まで面倒見てもさほど変わらんし。
「俺たちの契約は『留年回避』だったが、必要なら『大学入学』まで契約を延長しても構わないぞ。その、なんだ……お前の勉強を教えるのは、俺にとっても……いい勉強になるしな」
黒豹の行く手を遮る壁があるのなら、俺の論理と計算で全てぶっ壊してやる。
そのくらいの気概は持っているつもりだ。
だが、黒豹の反応は俺が思っていたものとは違った。




