第26話 胸騒ぎ
「ただいま」
玄関を開けると、黒豹がリビングのソファに座っていた。
いつもなら「おかえり~!」と間延びした声で迎えてくるはずなのに、何も答えない。
テレビもつけず、スマホを握ったまま、ボーッとしている。
「……黒豹?」
「…………」
やっぱり返事がない。何かあったのか。
「どうした。具合でも悪いのか?」
「ねえ、真面目くん」
やっと黒豹が答えたと思ったが、表情が暗い。
「アタシのこと『ただのクラスメート』って言ってたんでしょ。なんなの?」
「……え?」
「星城院ちゃんにそう言ったんでしょ。友達から聞いたんだけど。『画地野くんが、黒豹さんのことただのクラスメートだって言ってた』って」
そうか……聞かれていたのか。いや、違うな。黒豹はあくまで聞かされただけ。
「それは……星城院さんに変な誤解をされたくなかっただけだ」
「誤解ってなに?」
「お前と変に仲が良いと思われたら、星城院さんへのアプローチに支障が出るだろ」
「はあ? アタシら、一緒に住んでんじゃん。毎日一緒にご飯食べて、勉強して。それでも『ただのクラスメート』なの?」
「それは……契約だからだろ。俺たちの関係は協力パートナーのはずだ」
言った瞬間、黒豹の表情が俺でも分かるくらいに変わった。
それの変化は怒りでも悲しみでもない。
感情が抜け落ちたような、静かな顔だった。
「……そっか。うん、そうだよね」
そういうと黒豹が立ち上がった。
「アタシ……今日、もう勉強しない」
「おい……なんだよ急に」
「疲れたから寝る。おやすみ」
「おい、飯は……」
「いらない」
黒豹は振り返らずに自室に入って行ってしまった。
パタンと、ドアが静かに閉まる。
俺……何か、悪いこと言ったか?
俺たちの事実を述べただけだろ?
俺と黒豹は契約上の関係で、それ以上でも以下でもないはずだ。
それなのに……なんで黒豹はあんな顔を……わからない。
俺はリビングでひとり残されたまま考えていた。だが、どれだけ考えてもわからない。
テーブルの上には、黒豹が勉強用に出しておいたノートと教科書が、開きっぱなしのまま置いてある。
これ……俺が片付けるのか?
俺は仕方なく、開きっぱなしのノートを閉じて教科書をまとめ始めた。
いつもなら黒豹に文句を言うところだが、今日は何も言う気が起きなかった。
翌朝、目を覚ましてリビングにいくとやけに静かだった。
いつもならこの時間、黒豹がキッチンで何か不思議なことをやっているはずだが。
まあ、やってることは冷蔵庫荒らしなんだが。
そのキッチンにも黒豹の姿がない。
「…………」
人の気配がないリビングのテーブルにはメモが置いてあった。
『先に学校行く』
そうか……先に行ったのか。つーか早すぎるだろ。
まあいいか。静かだし。
久しぶりにひとりになって、落ち着いてコーヒーが飲める。
……はずなのに、どうしてこんなにも落ち着かないんだ?
俺は首を傾げながら、ひとりで朝食を済ませて家を出た。
◆
俺が学校に着くと、黒豹はすでに教室にいた。
いつも通り、友達に囲まれて楽しそうに笑っている。
特におかしなところはない。
「あげはー! 昨日の動画見た?」
「見た見た~! バズってたよね!」
至っていつもの黒豹だ。
明るくて、騒がしくて、友達に囲まれている。
俺が教室に入っても黒豹はこっちを見なかった。
いつもなら、チラッと目線を向けてくるのに。
朝のホームルームが終わっても、休み時間になっても、黒豹は俺に一切近づいてこない。
いつもの情報提供もなければ。さりげない耳打ちもない。
……明らかにおかしい。
最近の俺にとって「黒豹が絡んでこない」というのは異常事態だった。
今まではうんざりするほど絡まれていたのに……それがない。
昼休み。購買に行く途中で黒豹とすれ違った時も。
黒豹は友達と笑いながら歩いていて、俺の前を通り過ぎる時ですら目が合わなかった。
黒豹は友達に笑いかけて「ねー、今日どこで食べるー?」と盛り上がっている。
まったく相手にされていない。
だからどうした……別に、構わないだろ?
そもそも『学校では絡むな』と言ったのは俺の方だ。
これが俺の望み通りの展開じゃないか。これで星城院さんに誤解されずに済むだろ。
なのにどうしてだ。どうしてこんなにも胸の奥が騒ぐ。
この感じは、なんなんだ。




