(3)
涙は枯れることがなかった。女の体の中にはこんなに、こんなにたくさんの涙の水があったのかと驚くほどだった。
「もういいんです。あたし、あの人にはきっとどうしても死ななければならない理由があったのでしょう。今、お父さんと陽子さんと3人であの人の遺品を整理しています。」
お父さんおというのは浩太郎の父、郡司秀征のことである。陽子は浩太郎の妹で大学2年生である。浩太郎の母は彼が12歳のとき、病いを得て亡くなり、秀征は男で一つで2人の子を育てたのだった。
秋子が帰宅したとき、母の志津子はまだ起きていた。秋子は一人娘で15歳のとき両親は離婚した。
秋子は居間に入るとコートを脱いで少し弾んだ声で言った。
「すごい雪だったわ。だいぶ積もるんじゃないかしら。」
娘の明るい表情をみて志津子はほっとした。このところの娘のひどい落ち込みぶりを志津子は心配していた。
「演奏会はどうっだった?」
「素晴らしかったわ。正彦さんなんかびっくりするような大きな声でブラボー!っていうのよ!」
「正彦さんのコラムが週刊○○に載ってたわ。肩書はコラムニストになっていたわ」
正彦は作家志望だった。
だが実績は文芸誌に短編小説が一度載っただけだった。
正彦は大学時代は作家になるには世の中を知ることが必要とうに広義に出ずにアルバイトに精を出し卒業するのに6年もかかってしまった。
卒業後も定職には就かず、さまざまな職種職お種nアルバイトを経験し、さらには怪しげな場所にも出没して「社会研究」と「人間観察」に努めた。さかんな女漁りも作家になるための修行と考えていたのかも知れない。
正彦の母、三田村摩利子は高名な女流画家で、彼は経済的には何不自由もない身分だった。
「正彦さんて本当に物知りなのよ。コラムくらいなら書けると思うわ。」と秋子が言った。
志津子は正彦に好感を持っていた。浩太郎の自殺はショックだったが、秋子はまだ若いのだ。早く立ち直ってほしかった。もし秋子と正彦が結ばれたら・・・
志津子はそんなことまで考えていた。




