2部 第7話【 静かに燻り始めた火種 】(下)
「だが、俺は、
油断してはならぬと思っている。
この均衡は、
決して当たり前のものではない。
誰か一人の努力が、少しでも欠ければ、
簡単に崩れ得るものだ」
その言葉に、
集った者たちは、それぞれの表情で、
静かに頷いた。
「陛下、この先も、
この均衡を守り続けるために、
私たちにできることは?」
フェリクスの問いに、アンタレスは、
少し考えてから、静かに答えた。
「対話を、止めないことだ。
法廷も、評議会も、
対話の場に過ぎない。
その対話そのものを、誰かが諦めた時、
この均衡は、崩れ始めるだろう」
祝典は、夜更けまで、
和やかに続けられた。
だが、その裏で、
まだ誰の目にも留まらぬ場所に、
一つの小さな火種が、静かに、
しかし確実に、燻り始めていたことを、
この場にいる誰一人として、
知る由もなかった。
それは、辺境のとある星域で、
これまでの制度の枠組みでは、
到底捌ききれぬほどの、
複雑な利権が絡み合う紛争の、
最初の兆しであった。
その火種の芽は、既に数ヶ月前から、
密かに育ち始めていた。
「境界外縁星域」と呼ばれる、
フェリクス統治区と
エーデルシュタイン管区、
いずれの版図にも、明確には属さない、
宙域の一角である。
「この星域には、
極めて希少な次元結晶の鉱脈が、
確認されております」
祝典の数日前、
報告を受けたヴァルデマールの副官は、
興奮を隠さずに言った。
「次元結晶、というと?」
「超光速航行の効率を、
飛躍的に高めるとされる、
幻の資源です。
この鉱脈を手中に収めれば、
我が軍の機動力は、
格段に向上するでしょう」
ヴァルデマールは、
しばし黙考した後、静かに命じた。
「調査隊を送れ。
だが、性急に事を構えるな。
まずは、状況を、正確に把握することだ」
同じ頃、
フェリクス統治区の情報網にも、
この鉱脈の噂が、届いていた。
「宰相閣下、
境界外縁星域の資源について、
耳寄りな情報が」
「聞かせてくれ」
「次元結晶の鉱脈が、
あの星域に眠っているとの噂です。
しかも、その星域には、既に、
独自の文化を持つ小さな民が、
暮らしているとのことです」
フェリクスは、静かに目を閉じた。
「……厄介なことになりそうだな」
「いかがなさいますか?」
「まずは、あの民の意向を、確かめよう。
資源よりも先に、
彼らの声に耳を傾けるべきだ」
こうして、両陣営は、
それぞれの思惑を胸に、ほぼ同時期に、
この境界外縁星域へと、
静かに接触を試み始めていた。
祝典の華やかな空気の裏で、
この小さな星域を巡る、
新たな対立の種が、
着実に育ち始めていたのである。
祝典が終わり、
光華万華宮が静寂に包まれた深夜、
アンタレスは、一人、
展望室に立っていた。
「十年か……」
拳の紋章に、静かに語りかける。
「あなたが遺した孤児院のような場所を、
この地にも築くと誓った、あの日から、
随分と遠くまで来たものです」
星屑の光は、変わらず静かに輝いていた。
「だが、まだ、
道半ばなのでしょうね。祖父上」
その呟きは、静寂の中に、
静かに溶けていった。
だが、その言葉の通り、
この均衡に満ちた十年は、間もなく、
大きな試練の時を迎えることになる。
境界外縁星域という、小さな、
しかし複雑な火種が、
やがてこの帝国全体を揺るがす、
大きな炎へと育っていくとは、
この夜、まだ誰も知らなかった。
明朝 7:30 に投稿します。




