2部 第7話【 静かに燻り始めた火種 】(上)
アンタレス裁判所と高等裁判所が、
それぞれの役割を果たし始めてから、
十年の歳月が流れた。
この間、
両陣営の間に生じた大小の諍いは、
実に九割以上が、
法廷という場において、
平和裏に解決されてきた。
「陛下、統計をご報告いたします」
セレスが、恭しく報告書を差し出した。
「この十年で、
武力衝突にまで発展した事案は、
皆無です。
かつて頻発していた境界紛争も、
今では、すべて
法廷での裁定に委ねられております」
アンタレスは、
静かに報告書へと目を通した。
「見事なものだな。……
フェリクスとヴァルデマール、
二人の理念が、
法という共通の土台の上で、
ようやく噛み合い始めたということか」
その頃、フェリクス統治区では、
ある画期的な試みが、
成果を上げつつあった。
「宰相閣下、境界地域における
『共同評議会』の設置、
順調に進んでおります」
補佐官の報告に、フェリクスは、
満足げに頷いた。
この共同評議会とは、穏健派と強硬派、
双方の宙域から選出された代表者たちが、
境界の問題を、裁判に持ち込む前に、
直接話し合う場として設けられた、
新たな試みであった。
「法廷は、最後の砦だ。
だが、その手前で、当事者同士が、
直接語り合える場があれば、
無用な対立の多くは、
未然に防げるはずだ」
この共同評議会は、瞬く間に、
両陣営の間の摩擦を、
大きく減少させることに成功した。
「評議会での話し合いだけで、
七割近くの案件が、
法廷に持ち込まれる前に、
解決しているそうです」
セレスの報告に、アンタレスは、
深い満足を覚えた。
「フェリクスの知恵だな。
法の下での対立を、さらにその手前で、
和らげる仕組みを作り上げるとは」
一方、強硬派の側でも、この十年で、
静かな変化が生じていた。
「総司令官、
評議会に参加した若手将校たちの間で、
穏健派の統治手法への理解が、
少しずつ深まっているようです」
レオンハルトの報告に、
ヴァルデマールは、
意外そうな表情を浮かべた。
「あの血気盛んな者たちが、か?」
「はい。境界地域での共同開発を通じて、
穏健派の民との交流が、確かに、
彼らの視野を広げているようです」
ヴァルデマールは、
しばらく考え込んだ後、静かに笑った。
「悪くない。
武力だけが、
この帝国を支えているわけではない、
ということを、
あいつらも学びつつあるということか」
この頃、光華万華宮では、
十年間の統治の成果を祝う、
大規模な祝典が催されることとなった。
フェリクス、ヴァルデマール、ミラベル、
オズワルド——両陣営、
そして司法の担い手たちが、
一堂に会する、稀有な機会であった。
「まさか、この場に、
皆が笑顔で集うことになるとは」
フェリクスが、感慨深げに呟いた。
「俺も、正直、意外に思っている」
ヴァルデマールが、珍しく素直に応じた。
祝典の席で、アンタレスは、
静かに立ち上がり、
集った者たちを見渡した。
「この十年、両陣営、そして
司法の担い手たちの尽力によって、
この帝国は、力だけに頼らぬ、
新たな統治の形を、
確かに築き上げてきた」
拍手が、静かに、しかし温かく、
広間を満たしていった。
本日 18:30 に投稿します。




