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project HERITAGE〜滅びゆく人類が遺した、最後の一閃〜  作者: やまぐっち
第1章 最後の一閃

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第2話 二つの鼓動

 地下三百メートル。かつて核シェルターとして設計され、今は最後の研究拠点として使われているこの施設には、外の砂嵐の音は一切届かない。

届くのは、換気装置の低い唸りと、無数のサーバーが発する微かな熱の気配だけだった。


 リアム・ヴォスは、薄暗い解析室の隅で、モニターに映る一つのグラフを、もう三時間近く睨み続けていた。


 彼が追っているのは、天文学の世界では古くから知られた事実だった。

太陽系は、静止しているわけではない。天の川銀河という巨大な渦の中で、太陽もまた一つの惑星のように、銀河の中心を巡り続けている。

その一周にかかる時間は、およそ二億三千万年。人類が地球に現れてから今日に至るまでの全歴史すら、この周期の中では、瞬きにも満たない時間でしかない。


 彼がこの数字にこだわり始めたのは、半年ほど前のことだった。きっかけは、娘のミアを失って以来、彼の中でずっとくすぶり続けていた、ある一つの想いだった。ここまま人類が滅び、人類が遺せるものが何もないなら、せめて「時間」だけは、遺せるのではないか、と。


 だが、ただ漠然と未来へ何かを送るだけでは、意味がない。宇宙は広大すぎる。的も定めずに矢を放てば、それは永遠に虚空を彷徨うだけだ。


 届けるべき「的」が、必要だった。


 その日の午後、隣の解析室のドアが、勢いよく開いた。


「リアム!」


 地質学者のダリウス・コーンが、書類の束を抱えたまま、ほとんど駆け込むようにして入ってきた。彼の目は、興奮で見開かれている。


「見ろ、これ。いや、見ろっていうか、感じてくれ。」


「落ち着け、ダリウス。何の話だ」


「大陸だよ。大陸が、笑ってる」


「意味が分からない」


「いいから座れ。とにかくこれを見ろ」


 ダリウスは、持ち込んだデータをメインスクリーンに叩きつけるように映し出した。地球の大陸配置が、気の遠くなるような時間をかけて移動し、集まり、また分かれていく様子が、早送りの映像として流れ始めた。


「大陸は、じっとしてない。ずっと動いてる。集まって、一つになって、また引き裂かれる。これを何度も繰り返してきた。ロディニア、パノティア、パンゲア……名前は知ってるだろ」


「知っている。それがどうした」


「問題は、次にいつ集まって、次にいつ裂けるかだ。俺の勘だと――いや、勘じゃない、これは計算だ。でも最初に気づいたのは勘だった」


 ダリウスはシミュレーションを進めた。現在の大陸が北へ移動し、やがて一つの塊として衝突する様子。そして、その巨大な一枚岩が、今度は内側からの圧力に耐えきれず、再び引き裂かれていく様子。


「次の超大陸が完成するまで、およそ二億五千万年。モデルによって差はあるけどな。そこから分裂し切るまでが、また読みにくい。二億年前後ってところだと思う」


「幅がありすぎないか」


「大陸の話に、きっちりした答えなんてない。もともと超大陸のサイクルは、三億年から六億年って言われてきた、ざっくりした周期だ。それでも、傾向は見える」


「合計で……」


 リアムの声が、微かに震えた。


「はっきりとは言えない。でも、四億五千万から、五億年ってあたりに収まる、ってのが今の俺の読みだ」


 ダリウスは、そう言い切ると、リアムのモニターに映る銀河公転の数字を、指で突いた。


「お前が睨んでたそのグラフ。俺の大陸の話。この二つ、近すぎないか。俺は数字に弱いけど、これは近すぎるって、腹の底で分かる」


 沈黙が解析室を満たした。換気装置の唸りだけが、やけに大きく響いて聞こえた。


 リアムは震える手で、自分の計算機に数字を打ち込み始めた。太陽系の銀河公転周期、およそ二億三千万年。その二周分。


 二億三千万年、掛ける、二。


 答えは、四億六千万年。


 その数字は、ダリウスが示した超大陸サイクルの完了時期と、驚くほど近い場所に収まっていた。


「言っただろ」


 ダリウスは、興奮を隠しきれない様子で、両手を広げた。


「偶然にしちゃ、出来すぎてる。少なくとも、調べる価値はある。地球ってやつは、二つの時計を同時に回してるのかもしれない」


「地球という星は、二つの巨大な時計を同時に抱えている」


 リアムは、ダリウスの言葉を、自分なりの言葉に置き換えながら呟いた。


「一つは、太陽系全体が銀河を巡る時計。もう一つは、この星自身が大陸を作り替える時計。この二つの針が、四億六千万年後、再びほぼ同じ場所を指す」


「そういうこと」


 ダリウスは、力強く頷いた。


「もしその時、この星に新しい知性が芽生えていたとしたら」


 リアムは、画面の中の未来の地球――分裂を続け、新しい海が生まれ、新しい大陸が生まれようとしているその映像を、食い入るように見つめた。


「その時代こそが、我々が声を届けるべき、唯一の的だ」


 言葉にした瞬間、リアムの背筋に、これまでとは違う種類の震えが走った。それは絶望から来る震えではなかった。長く忘れていた感覚――希望に似た何かだった。


「なあ、ダリウス」


 リアムは、ポケットの中の写真に、無意識に手を触れながら尋ねた。


「もし本当に、その的に何かを届けられるとしたら。俺たちは、具体的に何を送るべきだと思う」


 ダリウスは、その問いに少し考え込んだ。彼にしては珍しく、即答しなかった。


「あるものを全部だろ、普通は」


「全部、じゃ駄目だ。容量にも、耐久性にも限界がある。優先順位をつける必要がある」


 リアムは、自分の考えを整理するように、画面に箇条書きを打ち込み始めた。


「一つ目は、俺たちという存在の記録そのもの。歴史、文化、俺たちがどう考え、どう間違え、どう生きたか。二つ目は、生物としての設計図――遺伝子の情報だ。もし向こうの生命が、今の地球の生物と系統的に繋がっているなら、これは大きな意味を持つかもしれない」


「三つ目は?」


 ダリウスが尋ねた。


「三つ目が、一番重要かもしれない」


 リアムは、少し声を落とした。


「俺たちが最後まで解決できなかった問題への、答えの断片だ。俺たちは、化石燃料に頼りすぎた。それが、この星をここまで追い詰めた原因の一つだ。もし、俺たちが今、必死に研究している技術――高効率な核融合炉の小型化、常温で動作する超伝導技術、太陽光を直接高密度なエネルギーに変換する人工光合成、それを無駄なく蓄える高密度エネルギー貯蔵システム。こういった技術を、完成した形で残すことができたら」


「未来の奴らには、俺たちと同じ轍を踏ませずに済む、ってことか」


「そうだ。俺たちにできなかったことを、届けたい」


 ダリウスは、しばらく黙って、その言葉を噛みしめていた。


「歴史と、生命の設計図と、俺たちが辿り着けなかった答え。悪くないな。それを、あの誰かに届ける」


「まだ、あの誰かがいるかどうかも分からない」


「いるさ」


 ダリウスは、根拠のない、しかし迷いのない口調で言い切った。


「ここまで近い周期が重なってるんだ。何かがいなきゃ、逆に嘘くさい」


 リアムは、その言葉に、思わず小さく笑った。ダリウスの、理屈より先に確信が来るところが、こういうときは頼もしく思えた。


 ダリウスが、ふと思いついたように言った。


「なあ、そもそもの話だけどさ。何もわざわざ宇宙に打ち上げなくても、地面に埋めときゃいいんじゃないか? タイムカプセルみたいに」


「俺も、最初はそう考えた」


 リアムは頷いた。


「だが、駄目だ。理由は、お前が今日見せてくれた、その地図にある」


 リアムは、大陸移動のシミュレーション映像を、もう一度呼び出した。


「地中に埋めるということは、地球の地殻の上に留まるということだ。だが、その地殻そのものが、四億六千万年という時間をかけて、原形を留めないほど作り変えられる。今、俺たちが立っているこの場所は、いずれプレートの下に沈み込むか、あるいは別の大陸と衝突して、地下深くで灼熱の圧力にさらされることになる」


「都市鉱山の話と、同じ理屈か」


「そうだ。都市の残骸なら、圧縮されて特異な地層として残ればいい。だが、精密な記録媒体は話が違う。数百度の熱と、数万気圧の圧力にさらされれば、どんなに頑丈な容器を使っても、中の情報構造そのものが破壊される。地殻の中に留まる限り、俺たちの記録は、四億六千万年という時間を生き延びられない」


「だったら、答えは一つしかないってことか」


 ダリウスが、ゆっくりと言った。


「地面じゃなく、外に出す」


「そうだ」


 リアムは、頷いた。


「宇宙空間にも、脅威がないわけじゃない。宇宙線、太陽から降り注ぐ放射、紫外線、極端な温度変化、それに微小隕石の衝突。挙げればきりがない。だが、それでも、地殻変動がもたらす高温高圧に比べれば、はるかに制御しやすい相手だ。防御設計さえ組み込んでおけば、対処のしようがある」


「地球の上じゃ、時間に押し潰される。だから、地球の外に出す、か」


 ダリウスは、その理屈を噛みしめるように呟いた。


「皮肉な話だな。俺たちを育てたこの星から逃げ出すことでしか、俺たちの記録を、この星に還す方法がないなんて」


「一度、外に出て、大きく回り道をして、また戻ってくる」


 リアムは、静かに言った。


「まるで、遠く旅に出た子供が、何年も経って、故郷に帰ってくるみたいに」


 その言葉に、ダリウスは何も返さなかった。ただ、リアムの横顔を、少しの間だけ見つめていた。


「これを、上に報告しよう」


 ダリウスの声には、迷いがなかった。


「これが、私たちに残された最後の可能性かもしれない」


 リアムはスクリーンに映る二つのグラフ――銀河の渦を巡る白い軌跡と、大陸が分かれ、また集う赤い染み――を、じっと見つめ続けた。


 二つの、途方もなく巨大な鼓動。


 その鼓動が重なる瞬間を目指して、歴史と、生命と、届かなかった答えを、送り届けることができたなら。


 それは、ただの記録ではない。ただの遺言でもない。


 滅びゆく者から、生まれいずる者への、時を超えた贈り物になるはずだった。


 窓のない地下の部屋で、二人の科学者は、しばらくの間、言葉を失ったまま、モニターに浮かぶ数字を見つめ続けていた。外では今日も、乾いた風が大地を削り続けている。だが、この小さな部屋の中にだけ、これまでとは違う種類の熱が、静かに灯り始めていた。

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