音を散らす
自身の口から発せられた言葉が信じられず、アタマは口を押さえた。
許袁呂が「気にするな」と肩をすくめる。
「別に、あの娘の死に様を見て言ったわけではないだろう?」
「そ、そうなんですけど……」
超えてはならない一線を越えてしまったような気持になり、心臓が痛いくらいに脈打った。口の中に、苦い何かが広がってゆく。
顔を上げると、六人はラワタに気づくことなく、反対方向へと去って行った。
それでお終い。
ラワタの死体は、映画で見るような酷い流血もなく、目を開けてさえいなければ、横になっているだけのようにも見えた。
「さっ、これにて終了だ。納得のいく答えだったか?」
元の大きさに戻った鏡を懐に仕舞い、許袁呂はアタマに問う。
「……正直、何とも言えません。あるのは虚しさだけです」
散々怯えて気を遣って生きてきて、最期はあんなにも呆気ないのか。
「『優しい奴、真面目な奴は必ず報われる』そんなものは夢物語だ」
すっぱりと言い切られ、アタマは唇を噛む。
(でも、どうしたらいいんだろう。今まで出会ってきた怖い人たちみたいになれば、楽な人生が送れるの?…………無理)
羞恥、倫理、恐怖、様々なものが邪魔をする、とアタマは思った。
だが、『普通』に生きようとすれば、『怖い人たち』に遭遇する。
(そういう星の元に生まれちゃったんだって、諦めてはいるけどさ。でも、なんでここまで損しないといけないの?私だけじゃない。ラワタちゃんも、バスの運転手さんも、みんなみんな、真面目に日々を送っていた筈なのに……っ)
法に照らし合わせたら勝てる、という人もいるだろう。
だが、その時にはもう手遅れなのだ。
『庭に入らないでください』という看板を無視して庭に立ち入り、踏み荒らした人を訴えても、踏み荒らされた庭は元に戻らない。
それと同じで、傷ついた心は簡単には治らない。
治っている最中に、別の『怖い人』に出会う。
どうしようもない不条理に、アタマはぎりっと拳を握り締めた。
その姿を見て、許袁呂はにぃっと目を細める。
「憎いのならば、手を貸そうか?」
「え?」
「供物として捧げてくれたら、俺の腹に納めることができる。なぁに、くーに全てやらせればいい。簡単だ。お前も手を汚さなくていいしな」
「えっ、えええぇぇぇえええっ!?無理ですっ!無理無理無理っ!!」
「喧しい」
「すみませんっ!!」
「だが、憎くはないのか?あの娘の命を奪った連中が」
アタマの中に、写真撮影をしていた六人がよぎる。
だが、彼らにラワタの死の責を負わすのは、間違いな気がした。
別に、あの六人が何かをしたわけではない。
聖地巡礼にやって来て、写真を撮っただけだ。
ラワタの存在を知っていて、見捨てたわけでもない。
彼らを恨むのは筋違いだ。
(でも、そうしたら、誰を、何を恨めばいいんだろう……)
恨み云々を考えないように生きてきたアタマは、頭を抱える。
「ちなみに、先程のは冗談ではないぞ」
「ひ、人をお食べあそばされるんですか?」
「無理に言葉を使うな。……まあ、そこはどうでもいいか。昔は、困ったことがあれば生贄が捧げられた。人であったり、動物であったり様々だったがな」
「ひぇっ」
「ははは、意外と似たようなことは身近にあるかもしれんぞ?」
青ざめるアタマの背を、許袁呂はバシバシと叩く。
そして、「気が向くのを期待している」と微笑んだ。
丸みのあるぽちゃりとした顔に作られた冷たい笑み。
思わず頷きそうになり、アタマは首を横に振る。
「……でも、すごく不謹慎なことを言うと、ラワタちゃんはホッとしているかも。これでもう、誰にも過度に気を遣わなくていいんだし」
「んん?おかしなことを言うな。そんな甘い話があるものか」
首を傾げる許袁呂に、アタマは「え?」と固まった。
「娘の魂は、これから黄泉路を通りあの世へと向かう。長く険しい道のりだ。道中、お仲間に出くわすこともあるだろう」
「魂が『ラワタちゃん』である限り、どこに行っても変わらないってことですか?その、黄泉路って所に行っても……」
「ああ、そうだ。ラワタがラワタである限り、逃れられん。むしろ、死んでしまった事によって、考え方がより強固になるかもしれん」
許袁呂は「地縛霊、という存在がいるだろう?奴らがその最たるものだ。一つの思いに囚われ、その場に縛られ動けない」と続ける。
「救われるのはずっと先、転生する時だ。…………とはいえ、転生先が前世よりもマシな保証などない。これまで以上の気遣い地獄になるかもしれん」
「そ、そんな……」
「まっ、今風に言うと『ガチャ』だな」
先の長く不安定な話に、アタマは唇を噛みしめた。
同時に、自分の死後が恐ろしくなる。
「あの世で何をするのかは知らん。ただ、黄泉路を歩いている最中に、別の世界に迷い込んでしまうこともあるそうだ」
「あの世とはまた違う世界があるんですか?」
「ああ。滅多に迷い込むことはないらしいがな」
迷い込む世界は一つではなく、多種多様だ。
大抵は、気を利かせた誰かが黄泉路まで送ってくれる。
だが中には、人間を嫌い憎んでいる者ばかりが住まう世界もあるらしい。
うっかり、その世界に迷い込んでしまうと――。
「自分のこれまでの人生が、天国に感じるだろうなぁ」
「……それも、嫌な話ですね」
これまでの人生より下には行けても、上には行けない。
結局は、精神的にか物理的にか、追い立てられるしかない。
「まあ、悪い方向にばかり転がるとも限らんよ。地位も名誉も見目も、全てを兼ね備えた完璧人間に生まれ変わることができるかもしれん」
(必ずしも、人に生まれ変われる保証もないが)
あえて口には出さず、許袁呂は面倒くさそうに欠伸を零した。
(それはそれでしんどそう。絶対、漫画みたいにキラキラしていない……)
持てる者には持てる者の悩みが付き纏う筈だ、とアタマは思った。
「……お前、ロマンス詐欺に引っかかりやすいタイプかもな」
「ええっ!?」
ロマンス……自分には縁遠い言葉に、頭を混乱させる。
が、許袁呂の顔に揶揄の色は見えない。
「だが、黄泉路の話も転生の話も、先程の鏡の映像もすべて受け入れた」
「で、でも、それは許袁呂さんが神様だから……」
「神が嘘偽りを言わないと、本気で思うのか?相手にフィルターをかけるなんて、お前に『これだから最近の若い者は』と言ってきた輩と変わらんぞ?」
許袁呂は「宗教と同じで、あのフレーズも廃れないな」と肩を震わせる。
痛む胃を気にしないようにし、アタマは「なんででしょうね」と目を伏せた。
「自分が老いたときに使えるからさ。あっちだって、昔は言われてきた口だ。自分の代には言えないだなんて不公平だろう?それに、損をしないしな」
「損?」
「言う方だって、言いやすい奴を選ぶ。お前も『今更、自分の考えを変えられない年齢だもんね』と心に言い聞かせて、波風を起こさぬよう耐えるだろう?」
耐える、つまりは反撃してこない存在。
反撃されるとすれば、自身の嗅覚を見誤ったというだけ。
「それは、……そう、かもしれません」
「ほら、また俺の話を頭から信じた」
呆れを孕んだ眼を向けられ、アタマは何とも言えない顔をする。
情けなさが押し寄せてきて、ぐっと唇を噛みしめた。
(ふむ、かなり考えを巡らせているな。……とはいえ、俺の言った言葉たちが、心に手札として巣食ったことに変わりはない)
許袁呂は、膝の上に乗ってきたくーの頭を撫でる。
そして、「今日は終いだ。また来いよ」とアタマの頭を優しく撫でた。




