新しい扉が開く音
「――で、予定を変更して俺の所に来たというわけか」
何とも言えない表情を浮かべる許袁呂に、アタマは小さく頷いた。
「慰めの言葉が必要なら、他を当たれ」
「い、いえ、そうではないです。……ただ、気づいたら来てしまっていて」
「それは一度、医者に診てもらった方が良いな。『気がついたらここに来ていた』なんて、放っておくと酷いことになりかねんぞ?」
「確かに……」
アタマは家を出てから沼までの記憶を辿る。
ぼんやりとは思い出せるのだが、全ての景色に靄がかかっていた。
水の中に顔をつけ、目を開いたときのような感覚だ。
「ちなみになんですけど、なにかに憑りつかれていたりとかは……」
「ない」
きっぱりと言い切られ、ほっと胸を撫で下ろす。
同時に、現実的な提案をした神様を不思議に感じた。
「なんだ?憑りつかれていると言った方がよかったか?」
「い、いえ、滅相もありませんっ!!」
「……はあ、お前がどう思っているのかは知らんが、今は『こちら側』の所為にする時代じゃないだろう?なら、俺もそれに倣うまで」
「え……っと、それでいいんですか?」
「仕方あるまい」
「…………」
「まっ、何でもいいじゃないか。他にも聞きたいことがあるのだろう?」
微かに首を傾げた許袁呂を見て、アタマはぎゅっと手を握り締める。
言うべきか否かの判断がつかないのだ。
「別に、少しのことで俺は気分を損ねたりしないぞ?」
まんまるな紫色の瞳が、すっと細められる。
「……その、ラワタちゃんは、本当に事故で亡くなったのかなって」
「ミステリーよろしく、殺人だとでも?」
「い、いえ、そういうのじゃないです。……ただ、気になっただけで」
アタマの頭に乗ったくーが、二人を交互に見つめる。
「そんなに気になるなら、見てみるか?」
「え?」
疑問符を浮かべるアタマを置き去りに、許袁呂は懐から鏡を取り出す。
なんの変哲もない、小さな丸い鏡だ。
だが、許袁呂がぶつぶつと呪文を唱え宙に放ると、直径二メートルはあろうかという巨大な鏡に姿を変えた。
「す、すごい」
「ははは、あまりに久々すぎて、呪文を間違うところだった」
ぽかんと口を開けたままのアタマの隣に立ち、許袁呂はポンッと手を叩く。
木製の長椅子が、二人の背後に出現した。
「立ちっぱなしもなんだろう。座りたければ座れ」
「は、はい!ありがとうございますっ!」
言われるがまま、アタマは椅子に腰かける。
座り心地は、いたって普通だ。
「……忠告しておく。これから鏡に映るのは、そのラワタとやらが死ぬときの映像だ。見ていて気持ちのいいものでもなければ、お前の声が届くこともない。加えて、お前が思っているような事は起きんかもしれんぞ?」
それでも、とアタマは頷いた。
心の片隅にある、『怖いもの見たさ』という不謹慎に蓋をして。
「そうか。止めてほしくなったら言え」
「分かり……ました」
膝の上で、ぎゅっと拳を握り締める。
許袁呂が長椅子に腰かけると同時に、鏡から映像が流れ出す。
霧のような雨の中を歩く、ラワタが映し出された。
アタマもよく知る不安げな顔で、とぼとぼと帰り道を歩いている。
不意に、ピタリと足が止まった。
目の前の家の中から、怒鳴り声が聞こえてきたからだ。
「何やってんのっ!!」
誰に怒っているのか、何に怒っているのかは分からない。
だが、ラワタはその声を聞いた瞬間、道を変えて足早に歩き始めた。
体を縮こませるラワタを見て、アタマは何とも言えない気持ちになる。
(そういや、選挙の時に交差点とかで演説している人とかも無理なんだっけ。声が大きくて張りがあるから、怒られているような気がするって……)
演説している者からすれば、眉を顰めてもおかしくない意見だ。
だが、ラワタにはそう感じてしまう。両親の声と重なるのだろう。
(他にも、お父さんとお母さんが出かけて、一人で家の鍵を閉めないといけないときとか、何回も鍵を閉めたか確認してしまうって言っていたなぁ)
まず、水道の蛇口や電気の消し忘れはないかの確認で一時間。
冷蔵庫も、ちゃんと閉じているかの確認を何度もする。
その後、鍵を閉め、スマホで扉が閉まっている写真を撮り、家を出る。
だが、数歩進んだところで、足は止まってしまう。
扉の前まで戻り、鍵を閉めたか確認し、再度出発。
それを、ひどいときは三十分以上繰り返してしまうのだ、と。
(私に、なにかアドバイスできることがあったら――)
そこまで考え、アタマはハッと我に返る。
野次馬根性丸出しで見ているこの映像は、過去のもの。
道を歩いている持葉ラワタは、もうこの世にいないのだ。
「……寿命の蝋燭が消えるのも近い」
感情の読めない瞳を鏡に向けていた許袁呂は、アタマにそう言った。
寿命の蝋燭が消える。
つまり、ラワタが死ぬ瞬間が映し出されるということだ。
「くーの頭を、撫でておいた方が良いんじゃないか?」
言外に、OFFになっている力をONにしろ、と提案される。
アタマは静かに頷くと、くーの頭を撫でた。
半透明の桜やハイビスカスが、現れては消えてゆく。
また、ぴたり、とラワタの足が止まった。
彼女の視線の先には、大学生くらいの六人の人間がいた。
一人が道路を横断し、残りの五人がポーズをとる。
五人の後ろには、雨に濡れる田畑と寺。そして霧に煙る山々。
「……変わった奴らだな。どこにでもありそうな景色なのに」
「あ……っと、ちょっと前にヒットした映画のロケ地なんです」
「ほう、どんなだ?」
「確か、舞台は幕末で、激動の時代を生きた武士の話だったような……」
主人公が山の頂を見上げてエンドロールが流れた、とアタマは続けた。
アタマのしどろもどろな説明に、許袁呂は「ふむ」と相槌を打つ。
怨憎県は、歴史的建造物が多い。
それもあって、時代ものの映画やドラマ舞台になることも少なくないのだ。
「映画の中に、あのお寺も出てくるんですけど、山とお寺が全部入るには、ぎりぎりまで後退しないといけなくて……」
「ははっ、スマホを構えている奴の後ろを通ることはできんか」
アタマは「はい」と頷いた。撮影役の者の後ろは壁になっていて通れない。
「……私も、江戸時代の面影が残る町並みを撮影するために、道を占領している人たちに遭遇したことがあるので、ラワタちゃんの気持ちが分かります」
殆どの者が「すみません。どうぞ通ってください」と言ってくれる。
だが、中には「ちっ、またか」と舌打ちをする者もいるのだ。
そして、撮影にかなりの時間がかかるときもある。
角度や日の照り具合など、理由は様々だ。
「せめて、人一人が通れるくらいのスペースをあけておいてくれたらって思うんですけど。それじゃあたぶん、全体が収まらないんだと思います」
アタマは「人が少ない時間帯に撮ってほしい、とは思うんですけど、あっちにも事情がありますよね……」と諦めにも似た溜息を吐く。
(嫌な顔をされる方が少ないけど、今回のはどうだろう。見た感じは、『普通』の大学生の人たちだけど、こればっかりはなぁ)
ガチャ、運、という言葉が、アタマの脳裏をよぎる。
自分もラワタも、悪い方を引き当てる率が高い。
加えて、時間がかかりそう。余計な心労を増やしたくないのなら――。
アタマの思った通り、ラワタは別の道を進もうと足を動かした。
「……あっ」
ラワタの足首がぐにっと曲がり、そのまま地面に倒れこむ。
声を上げる暇などなかったのだろう。
目を見開いたまま、ラワタの頭は地面に叩きつけられた。
その瞬間、アタマの視界に真っ赤な花が咲き乱れた。
名前の知らない、血のように赤い花。
「……きれい」
消えてゆく花弁を見つめながら、アタマはぽつりと呟いた。




