止まった心音
(……曲がって来る車に気を遣って、結局、渡れず仕舞いだったんだよね)
渡ってもいいはずなのだが、ラワタにはそれができなかった。
背後に置かれている自販機まで後退し、ショルダーバッグの紐を握り締め、アタマからそっと視線をそらしてしまった。
これが一人ではなく、数人信号待ちを待っている人がいれば違ったのだろう。
だが、『一人だけ』という事実がダメだったのだ。
自分一人が渡るために止まっていただくなんて申し訳ない、と後にラワタは言った。迷惑そうな顔を向けられるのも怖いから、と。
だが、アタマを待たせていたのも事実。
結局は、アタマが歩道を渡り直し、二人一緒に渡った。
その後、「ごめん、本当にごめん」と屋台で焼きそばやたこ焼きを奢られてしまった。美味しくはあったが、純粋に味を楽しめなかった。
耳元でずっと、謝罪の声が聞こえていたから。
しかし、それがラワタという人だった。
肉まんが食べたくなってコンビニに入っても、店内の混みようと店員の忙しさを見たら、買うのをやめてしまう。
信号機のない場所で車が止まってくれたら、「申し訳ございませんっ!!」と深々と頭を下げ、全力ダッシュをしてしまう。
前方に、桜並木や牧歌的風景を背景に写真を撮ろうとしている人を見かけたら、すぐさま物陰に隠れ、その人が写真を撮り終え、立ち去るまで待っている。
アニメか何かの限定グッズを買いに行っても、自分が最後の一つに当たるとなったら、「……すみません」と列から出る。
だが、これは少し昔の話だ。
今のラワタは、そういった類に興味を持たないようにしている。
理由は、『スノードロップ(通称スノドロ)』という匿名登録制SNSに、自身の性格の悩みを書き込んでしまったことにあった。
『《限定》ってついてるんだから、早い者勝ちなのは当たり前じゃん。自分が十個前なら列から抜けんかったんでしょ?考え方がやらしくない?』
ラワタの中で、『恥ずかしい奴』『みっともない』『思い上がりも甚だしい』という言葉が渦を巻き、羞恥に吐き気がこみ上げてくる。
次いで、ものすごい罪悪感に襲われた。
ラワタにコメントを送った人物に対してだ。
ああ、どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。もっと、よく考えるべきだった。謝るべきかな?でも、もし相手が忘れていたら、思い出させてかえって不快な思いをさせるだけだろうし、でも、もしこちらからの謝罪を待っていたら?それなら、早く謝らないと。ああでも、なんて言って謝ればいいんだろう?それに、謝罪の言葉だけでいいの?でも、相手の住所も何も知らないし、腕を切った写真を送ったって不快にさせるだけだろうし、迷惑をかけないように――。
一ヶ月ほど悩み、結局、指はスマホを撫ではしなかった。
……という話を、アタマは焼きそばを食べながら聞かされた。
箸を止めなかったのは、止めると、また謝られてしまうから。
『気にしていない風を装う聞き手』をアタマは演じた。
些細な、失言といえない失言をしてしまった時でさえ、ぐるぐるぐると様々な言葉が頭の中で渦を巻く。……繰り返しになるが、ラワタは、そういう人なのだ。
(すごくいい感じに言えば、『人のことを気遣える性格』ってことなのかもしれないけど……あれじゃあ、いつ潰れてもおかしくないよ)
だが、何が原因でああ言った性格になったのかが分からない。
強いて言うなら、両親が厳しい人だからか、とアタマは思う。
(加えて、誰でも親類縁者……というか人の前では猫を被るものだけど、それでもプライドの高さが滲み出てるっていうか、何とも言えない壁を感じるのよね。こっちのこと、見下してるなって分かるもん。知らぬは、本人ばかりなりで)
表面上は友好的に接してはいるが、こっそりと距離を置いている者も多い。
ラワタは、ある種の反面教師に育ってしまったのだ。
(でも、これは私の推測に過ぎないし、そんなこと言える訳もない。……結局は、なるようにしかならないんだろうなぁ)
然るべき病院で診てもらった方が良い、とは思う。
だが、ラワタの両親のプライドの高さは、憶測ではなく本物だ。
自分たちの娘が、自分たちのせいで病院に行く。
それを認められる親かと言うと、答えは否だ。
この話を聞いて、「ええ?そんな親いないでしょ?いたとしても、ドラマや漫画の中だけ」と笑う人もいるだろう。……だが、実際にいるのだ。
考えることを止め、アタマは小説を読むことに集中する。
親戚と言えど、『他所の家』の事を気にかけるのは息が詰まってしまう。
(仮に、私が許袁呂さんから貰った力を、ラワタちゃんにも施してもらったとしても、それで解決する感じでもなさそうだからな)
かえって恐怖させるかもしれない、とアタマは思い直す。
そして、首を横に振り、今度こそ小説に視線を落とした。
■
「さっき電話があって、ラワタちゃんが……その、亡くなったって」
「…………え」
嫌な音を聞くことなく家に帰ったアタマは、持っていた傘を落とした。
目の前の母の言葉は聞こえず、代わりに向日葵やカーネーションが咲く。
が、流石に聞かないわけにはいかない、とくーの頭を撫でる。
母は、アタマの行動に小首を傾げたが、構わず口を開いた。
「動揺するのも当然よね。……着替え終わったら、リビングに来て」
「は、はい」
ぎこちなく頷き、アタマは自分の部屋へと向かう。
適当な服に着替え、リビングで母が入れた温かい茶を飲む。
「……ラワタちゃん、雨の日で濡れた道を歩いていて、うっかり足を滑らせて、……その、打ち所が悪くて……ね」
アタマが動揺しないよう、母は言葉を選んで説明をする。両親の中で、アタマとラワタの仲はとても仲良し、ということになっているからだ。
実際は、可もなく不可もない。
お互いに、同い年で他の親戚よりは話しやすい、くらいの認識だった。
あまりにも呆気ない。
その言葉だけが、アタマの中で渦巻いていた。
(考えてみれば、同い年やそれより下の子が亡くなったことってなかったかも。老衰か……うん、記憶にあるのはそれくらいだな)
不思議な感覚だった。
アタマは小さく溜息を吐くと「お葬式は?」と母に尋ねた。
「家族葬だって」
「……そっか」
母の言葉に短く答え、アタマは学校で考えていた内容を恥じた。
最悪なタイミングで、ラワタの両親を悪く思ってしまった、と。
「それで、ね。今度会いに行くってことになっていたでしょ?」
「無理だよね」
アタマがそう呟くと、母は悲しげな顔で頷いた。
何に気なしに、アタマは理由を聞いた。
「ただ、さ。何か会う理由があったんじゃないの?」
「……久しぶりに、だんじり祭りが見たいなって思っていたんだけど」
「ああ、会苦町って、結構すごいもんね。テレビ来るくらい」
「昔は、この町も盛況だったんだけどね……」
母は、「近くの公園では、盆踊り大会もしたし。スーパーも、今は二階までしかないけど、三階までお店で埋まっていて……」と懐かしそうに目を細める。
アタマの知らない、昔の話。
心ここにあらずな受け答えをし、会話は終了した。




