音と言霊
「ああ、嫌な音や声でも、聞こえないといけないときはあるからな。分かりやすく言うと、聞こえをON/OFFできる存在だ。好きに使え。拒否は認めないぞ」
「あ、ありがとうございます!!」
許袁呂にそう言われ、アタマは「よろしくね」と小鳥に頬ずりをした。
小鳥は迷惑そうな顔をしつつも、「ぴぃ」と鳴き声を上げた。
ぽちゃりとした体を動かし、アタマの方の上に乗る。
「あ、あの、この子のお名前は」
「好きにつけろ」
(えぇ、私、ネーミングセンスが皆無なのに……)
人差し指で小鳥の頭を撫でながら、アタマは「うーん」と考え込む。
「背伸びをすると、かえっておかしなことになるぞ」
「……で、では、色が黒いから『くーちゃん』で」
くーはアタマの頬にすり寄ると、「ぴっ」と鳴いた。
許袁呂はふっと微笑むと、「良かったな」と紫の目を細める。
だが、直ぐに口を引き結ぶと、冷たい視線を足元へと向けた。
名も知らぬ虫が、死んでいた。
「……言葉とは、時に優しく、時に残酷な音の羅列だ。使い方によっては、毒も武器も手にすることなく、多くの人間を殺すことができる音」
(へぇ、そうなんだ。確かに、やりようによってはできる……のかな?)
脳裏をよぎるのは、この沼に来ることになったきっかけを作った老人。
(あの時は、雨で気分は憂鬱だったけど、それだけだった。……でも、すごく落ち込んでいる時に、あんなことを言われたら?)
場合によっては命を絶ってしまうかもしれない。
あちらにとっては、『そんなことで?』でもだ。
投げる『石』が小さいため、罪悪感が薄い。
投げつけられた方にとっては、途轍もなく重くて痛いのに……。
(……って、考えすぎかなぁ。「そんなことを言っていたら、何も言えなくなる」って言われそう。でも、これって「何も」に入れていいのかな?だって、当たり前のことじゃない!理不尽に怒鳴ってはいけないなんてさ!!)
どうしようもない怒りに包まれ、アタマは服の袖を強く握りしめた。
しかし、直ぐに深呼吸をし、「考えたって仕方ない」と気持ちを切り替える。
「百面相をするなら他所でやれ」
「あっ、す、すみません」
頭を下げるアタマに、許袁呂は「他所でやれ、と言っただけだ」と言う。
別に、怒っているわけではない、と。
「ああ、そいつに餌やりは必要ないが、物を差し出せば食べはするぞ。花と同じで、お前にしか見えん存在だ。くれぐれも人前で話しかけるなよ」
「は、はい。ありがとうございます!」
「それから、今日はもう帰れ。雨が降りそうだ」
許袁呂の言葉に、アタマは空を仰ぐ。
彼の言う通り、晴れ渡っていた空に雲が立ち込め始めていた。
「……もう、ということは、またここに来てもいいんですか?」
「こんな陰気な場所に来たがるとは物好きだな」
許袁呂は「まあ、前にまた来いとは言ったが……」と苦笑する。
彼を取り巻く空気が、どんよりと重くなったような気がした。
「そ、そこまで陰気な場所でしょうか?私は結構好きですよ!」
目を伏せた許袁呂を励ますように、アタマは努めて明るい声を出す。
「……そんな思いを抱くのなんて、お前くらいなものだろうな」
呆れ顔を隠そうともせず、許袁呂は体から力を抜いた。
「好きにしろ。俺が言えるのはそれだけだ」
「ありがとうございます!」
ぱぁっ、と笑みを浮かべ、アタマは今度こそ沼を後にした。
去ってゆく背中を見送り、許袁呂は口角を歪めて笑った。
(小指の先ほどの『欲』しか持ち合わせておらず、呆れるほどに警戒心の薄い娘だ。俺が悪鬼の類であると、露ほども考えないとは……)
悪鬼ではないにせよ、許袁呂は自身を『神』だとも思っていない。
そんな輝かしい時は、とうの昔に過ぎ去ってしまった。
今は、訪れる者もなくなって久しいこの地で、朽ちゆくのをただ待つ存在でしかない。恨むことも悲しむこともなく、ぼんやりと最期を待つ。
(……だったはずなんだがな)
適当に作った眷属に『くー』と名付けたときのアタマの顔が蘇る。
決して、悪い気はしなかった。
久方ぶりに『神らしいことをした』とさえ思った。
(まあ、与えた力と眷属をどう使うかは、アイツ次第だ。……使い方を誤れば、血を見ることになるやもしれん。いや、もっと悲惨な目に遭うかも)
「どちらでもいいか。もう力を与えてしまったのだから。……それに、命を失うようなことになれば、魂を喰らって糧にしてしまえばいいだけのこと」
許袁呂は沼に視線を向け、何百年も昔の記憶を思い出す。
アタマよりも年若い娘が、『生贄』として何人も捧げられた記憶だ。
雨を降らせてください、田畑を潤してください、病から村を守ってください、……そんな願いとともに、娘たちは捧げられた。
どんな解釈の末にそうなったか、許袁呂は知らない。
興味も湧かなかった。
ただ、よく分からないままに生贄を貰い、捨ておくのも勿体ないと魂を喰らった。肉は、沼の周辺に住んでいた妖怪たちが喰らった。
長きにわたり、細々と続いた風習。
だが、近代化の波とともに、ふつり、と途絶えてしまった。
土地は開発され、妖怪たちは消え、許袁呂に祈る者も消えた。
胸に去来したのは『仕方がない』という言葉。
どんな存在でも、こうして滅んでゆくのだ、と思っていた。
自分も、例外ではなかっただけだ、と。
(だが、こうして可能性が出てきてしまうと、生き汚くなってしまうな。それに、久方ぶりに俺の姿を認識できた存在だ)
長らく感じることのなかった気分の高揚に、許袁呂自身が驚いていた。
時間が許す限り、『遊んで』見るのも悪くない。
「はてさて、どうなることやら……」
許袁呂はそう独り言ちると、すぅっと姿を消した。
■
「……許袁呂さんはああいったけど、やっぱ餌やりは必要よね!」
例え、形だけであろうとも、とアタマはくーにパンの耳を差し出した。
黒く小さな嘴を動かし、もぐもぐと食べている。
その愛らしい様に、アタマは頭を抱えて悶えた。
「はぁぁああ、ただでさえ無い私の語彙力が消滅しそう」
くーは、不審者でも見るような目でアタマをじっと見つめていた。
「あ、ああ、ごめんね。あまりに可愛すぎるから、つい。……動物って言っていいのか分からないけど、そういうのを飼うのも初めてだし」
目を細め、人差し指で優しくくーの頭を撫でる。
そして、耳のなくなったパンに蜂蜜をかけ、思い切り齧りついた。
「お母さんには、『みっともないからやめなさい』って怒られるんだけど、この食べ方が一番美味しいのよね。誰にも迷惑かけていないし」
もっもっもっ、と口を動かし、くーに愚痴を吐く。
思えば、愚痴を吐くのも本当に久しぶりだ、と思う。
「……お父さんもお母さんも仕事で疲れているし、友達に言えるような悩みでもないしなぁ。なーんか、くーちゃんに吐き出せてホッとしている」
中一の時、比較的仲が良かった友達に、一度だけ喋ってしまった事がある。
「大変だね」と言われたことが、たまらなく嬉しかった。
だが、程なくして、その子が別の友達に「ありえないよねぇ」と話しているのを聞いてしまった。
『嘘つくにしても、もうちょっとマシなのなかったのかなぁ?』
『ねっ!たいして面白くもないし』
「……結局さぁ。自分の身に降りかからない事って、みんなエアプなんだよっ」
アタマはそう吐き捨てると、茶を飲んでパンを胃に流す。
視界の端に、半透明の百合の花が咲いた。
続けて、竜胆、桔梗、スズラン、カーネーションが咲いては消える。
「…………ああ、お隣さんが帰ってきたのか」
ぽそりと呟き、アタマは勉強を再開させた。




