音は咲かなかった
「鉛丹さん、お久しぶりです。どうされたんですか?」
アタマが問いかけると、鉛丹は、有閑マダム(仮)に視線を移した。
「その人を、許袁呂の『贄』に捧げるのはやめてくれないか。ずっと昔に引っ越してしまったとはいえ、かつては俺の守る範囲にいた人間なんだ」
鉛丹の脳裏に、小さな手を合わせ、祠に祈る子供の姿が蘇る。
だいぶ年を取ってしまったが、目元はあの頃のままだ。
「頼む。この通りだ……」
神様に頭を下げられている状況に、アタマの心は僅かに揺れる。だが――。
「……えっと、それでもいいかなって思ったんですけど、今『よっしゃ、これで解放される』って顔をしたんで、素直に頷けないっていうのが本音です。それに、この人を解放するってことは、旦那さんが酷い目に遭うってことですし。いわば、牢に入っていない犯罪者みたいなものですよ?」
「んな顔してねーよっ!適当なこと言ってんじゃねぇっ!!それに、私が牢に入っていない犯罪者ってんなら、お前だってそうだろうがっ!!てめぇのことは棚上げしてんじゃねぇぞっ!クソガキがっ!!!」
くーの下で、有閑マダム(仮)は藻掻き叫ぶ。
一層ひどくなった金切り声に、アタマと許袁呂は眉を顰めた。
鉛丹はというと、ただただ悲しそうな顔をしていた。
神様にこんな顔をさせるとは、とアタマは感心にも似た感情を抱く。
「許袁呂さん、なにか折衷案はありますか?」
「人に聞く前に、先ずは自分で考えるんだな」
「ですよね。すみません」
アタマは頭を下げると、鞄からスマホを取り出した。
「おいおい、AIに聞くとか言うんじゃねぇぞ?」
「いくらAIでも、これはどうしようもないと思います」
スマホ片手に苦笑し、アタマは両親に連絡を入れる。
そして、「今日、帰るのちょっと遅くなる」と伝えた。
「さて、これで時間の心配はなくなりました。……というわけで、貴方のことは解放します。ただ、条件が四つあります。一つは、旦那さんに浮気をしていることと、DVをでっちあげて慰謝料をせしめようとしていたことを告白すること」
有閑マダム(仮)は、あからさまに嫌そうな顔をした。
その顔を見て、アタマは苛立ちが湧き上がってくるのを感じた。
(ああ、この人は、自分がしでかそうとしたことの重大さを、まったく理解していないんだ。……いや、ストーカーしてた頃からそうか。というか、『あの人がいない世界で生きる意味なんてない。私も後を追う!』とはならなかったんだね)
相手を自殺に追い込むほどに執着していたわりには、これだ。
恐らく、熱しやすく冷めやすい性格なのだろう。
(それの犠牲になるなんて、たまったもんじゃないよね。……下手したら、別のとこにも飛び火するわけだし、本当に迷惑。だけど、当の本人は知らん顔)
「二つ目は、ストーカーして自殺に追い込んだ人のお墓とご遺族の家に行って、誠心誠意の謝罪をすること。三つ目も、相手が違うだけで同じです。○○さんという方のご遺族の家に行って、誠心誠意、謝罪してきてください。……どれも、そこまで難しいことじゃないですよね?」
「はっ、黙って聞いていればべらべらと。ストーカーなんて大袈裟よ。若気の至り。そんなことにも思い至れないなんて、アンタは人を心の底から好きになったことないのね。かわいそうな子」
「相手を苦しめて自殺させてしまうような想いなら、私は分からなくてもいいです。……そんなに好きなら、どうして後を追わなかったんですか?」
「あの人が夢枕に立って、私に『君は、僕の分まで生きて、幸せになってね』って言ってくれたからよ!そうじゃなかったら、私はここにいないわっ!!」
「は、はあ?」
言葉の意味が分からず、アタマは呆けたように口を開く。
(なんというか、どこまでも自分の都合のいいように解釈できる人っているんだね。……ああでも、度合いこそ違うけど、スノドロを漁ればわりといるか)
アタマの心の中で、『ある意味羨ましい』と『絶対にそうはなりたくない』がせめぎ合う。
(きっと、ストーカーしていた人が自分のせいで自殺したとき、この人は『悲劇のヒロイン』をしていたんだろうな。どんなシナリオだったのかは、分からないけど。『愛する人の死を悲しんでいる私って素敵!』って感じだったんだろう)
「はあ。……正直、この年齢になるまでに、何かしらの制裁があってもおかしくないと思うんですけど、上手くすり抜ける人はすり抜けるんですね。理不尽だと思うと同時に、世の中そんなもんかとも思います」
アタマは溜息を吐くと、有閑マダム(仮)にスマホを向ける。
そして「ちゃんと、言質はとりましたから」と言った。
「さて、四つ目です。私たちのことを、誰にも言わない事。……まあ、言ったところで信じてくれる人はいないと思いますが、念のため。ご遺族の方々には、『長い時間の中で、反省の心が芽生えた』とでも言っ――」
「はあっ!?なんで私が反省なんてしなきゃなんねーんだよ!?ストーカーはてめぇの言いがかりだし、○○の件は、アイツのメンタルが弱かったってだけだろうがっ!!私は悪くない!私は悪くない!!」
処置なし。
今すぐにでも、アタマは包丁を振り下ろしたい衝動に駆られる。
だが、ここで鉛丹と許袁呂の関係がこじれてしまうと、後々面倒なことになるような気がした。これと言った根拠はない。ただの勘だ。
(まあ、ご近所って言っていいかは微妙だけど、付き合いって大事だし、これから先、何かあった時、一回くらいは力になってもらえるかもしれないし。……と、私も結構、ズルいことを考えるわね)
「……貴方がどう思おうが、別にどうでもいいですよ」
言いながら、アタマは有閑マダム(仮)の腕にそっと触れた。
「今すぐになんて言いません。一年間の猶予を与えます。その間に、私がさっき言った事を達成してください。ああ、四つ目は永遠にでお願いしますけど。でないと、私がかけた呪いが、じわじわと貴方を蝕んで、最終的には死を迎えることになります」
有閑マダム(仮)の顔が、先程よりも青くなる。
アタマはくーに目配せをし、彼女を解放した。
「ひっ、ひい……!」
鉛丹に礼も言わず、一目散に逃げてゆく。
「この場所についての記憶は消したが、それは構わないよな?」
「……ああ。感謝する」
姿勢を正した鉛丹は、許袁呂とアタマに頭を下げた。
瞳は、複雑な色を湛えている。
「……ありがとう」
力なく微笑むと、鉛丹はアタマたちの前から姿を消した。
「この沼まで来るのに、かなりの力を使っただろうな。ご苦労なこった」
「それなのに、お礼の一つもなかったですもんね」
「……さっきのあれは、『嘘も方便』というやつか?」
「プラシーボ効果でもありますよ」
肩をすくめる許袁呂に、アタマはそう言った。
アタマに、人に呪いをかけるなどという力はない。
彼女が持っているのは、嫌な音が花に変わる力だけだ。
先程の言葉は、全て脅しでしかない。
(あんな人でも庇わないといけないなんて、神様も大変だな。……まっ、すっごく嫌そうな顔をしていたけど、きっと謝罪しに行くだろうな。自分が死にたくないから。そうでなければ、冗談でも『ごめんなさい』なんて言わないよね。けど、それって根本の解決になっているのかな?)
ぱちりっ!
疑問符を浮かべていたアタマの脳裏に、閃光が走った。
「許袁呂さん。私、目標が一つできました!」
「……そうか」
無垢な子供のような笑顔に、許袁呂は嬉しそうに微笑みを返した。




