自業自得の音
(そりゃあさ、今のご時世、『暗い部屋でパソコンをカタカタやっている人たちだけが、ネットで誰かを攻撃している』なんて思いはしないけど、こんな有閑マダムみたいな人も、陰では『○○で草』みたいなことを書き込んだりするんだ。そういうのとは無縁な感じだけど……)
くーに押さえつけられている人物を見て、アタマは思った。
手にした包丁が、夕日に照らされキラリと光る。
「ひっ、お、お嬢ちゃん、いい子だから、そんな物騒な物下ろしてよ!」
怯えた声を発するその人を見て、アタマは「はあ?」と首を傾けた。
「あの、まだ名乗っていなかったことは謝りますけど、あなたは私のことを知らないんですか?『偽善ぶった報いを受けただけでしょ?自業自得』って書き込んでいたくせに。あれですか?ニュースの再現CGを見たってだけなんですか?」
『そんなものか』という思いと『それでよく……』という思いがせめぎ合う。
目の前の人物は、アタマの名前も顔も知らなかったのだ。
(はあ、私の顔写真を流した人は、許袁呂さんが手出しできないエリアにいるのよね。そんな人、守る必要ないじゃない)
手出しできないと知った時の落胆を思い出し、包丁を持つ手に力が籠る。
ひいっ、と情けない声が耳に届いた。
(というか、ここまで説明してあげたのに、ピンと来ている様子はない。まっ、仕方がないか。この人からしたら、通り魔をしたに過ぎないんだから)
アイドルや俳優のゴシップ。推しの恋人叩き。やることは沢山ある。
アタマは、僅かに出来た時間の『暇つぶしに』選ばれたに過ぎない。
「も、もしかして貴方、○○の遺族?……ちっ、どうやって特定したのよ。言っておくけどね、あれくらいのことでへこたれるのが悪いのよ?」
(うわ、何この人、勝手に自己完結させている。しかも、的外れだし。……あれくらい、ね。そりゃあ、この人からしたら、小石を投げた程度なんだろうけど。はあ、こんな人に目をつけられた○○さんが気の毒だな)
アタマは、鏡を通して見た目の前の人物の『罪状』を思い出す。
正直、自分のなんて軽い軽い、と思えるほどに酷かった。
(三十年ほど前、この人が二十代前半だった時。ある男の人をストーカーして、自殺に追い込んだ。時代が違ったら、もっと深刻になってもらえたんだろうけど、当時は軽かった。……それに、被害者が男の人だったから、重ねて『軽く』見られてしまっていた)
どちらでも、ストーカーは怖い存在でしかない。
アタマの脳裏に、図書館で読んだ本の内容が蘇る。
『目をつけた人間を、どこまでもどこまでも追ってくる恐ろしい妖怪』
おどろおどろしい挿絵とともに、説明文が書かれていた。
(あれって、被害者の人からしたら、そう見えるってことよね。同じ人間とは思えないし、思いたくないから、『妖怪』になった……)
だが、挿絵の方がまだ可愛げがあった、とアタマは思う。
溜息を吐く頭を置き去りに、目の前の人物は呪詛を吐き続ける。
「ちょっと、聞いているの?この私が、貴方みたいな『ドパ〇キ』に声をかけているのよ?さっさとこいつをどかせなさいよっ!!明日はエステに行かなきゃなんないのっ!!この服だって、いくらすると思ってんのっ!?」
(この人もガイドさんと同じだ。ロべチューブとかで、『最近の子はみんなこうです!』『ドパ〇キ世代』とかいう十分ちょっとの動画を見て、今の世代の全てを知った気になっている人。私に言わせれば、貴方の方がって感じだけどね)
「おい!てめえ、聞いてんのかよ――」
「うるさいなぁ」
金切り声が耳障りだ、とアタマは思い切り手のひらを踏みつけた。
更に金切り声が大きくなったので、思わず眉を顰める。
(はあ、くーちゃんをONにしとくんだった……)
アタマは後悔を滲ませつつ、よっこいしょ、としゃがみ込んだ。
「貴方、浮気してますよね?それで、旦那さんと離婚して、浮気相手と再婚しようと思っている。旦那さんに、やってもいないDVの罪を着せて……」
金切り声が、ぴたりと止む。
震える口が「なんでそれを……」と言葉を吐き出す。
「なんでもいいじゃないですか。で、それがバレて公になったら、貴方が思っている以上の被害者を生むんですよ。貴方一人のせいで、本当に困っている人たちが信じてもらえなくなるんです。ああ、『女の言う方が正しいから』とか言わないでくださいね?つせらきっあさんとかの耳に入ったら、ネットニュースまっしぐらなんで。あの人の容赦のなさは、貴方も知っているでしょう?」
ここまで説明しても、彼女は事の重大さを理解していないようだった。
きょとんとした顔が、アタマの苛立ちを加速させる。
「まっ、貴方は老い先短いと言えば短いですし、自分のしでかしたことで、ネットの人たちの憎悪が加速しても、知らぬ存ぜぬで生きていけるんでしょうけど、そうなると、未来を担う私たちが困るんですよ」
「そ、そんなの、怒りを覚える方が悪いんじゃない!それに、私だけじゃないわよっ!ついこの間、学校の教師が女子生徒にわいせつ行為をしたってニュースが流れたばかりじゃない!私が悪いんなら、あいつだって悪いでしょ?裁くんなら、あっちを――」
ぱしん、とアタマは彼女の頬を打った。
列車の急ブレーキのような音が、口から漏れだす。
「ああ、うるさい。確かに、その人も悪いです。でも、だからと言って、貴方の罪が無くなる訳じゃない。ここまで言わないと分かりませんか?」
年下の、自身が見下している世代からの説教。
相当な屈辱なのだろう。顔は、蛸のように真っ赤に染まっていた。
(とはいえ、このままサクッと殺してしまうのも気が進まないなぁ。それこそ、ストーカーされた人の恐怖とかを味わってもらった後に殺したい。だって、こういう人に『相手の気持ちを考えましょう』『嫌がることはしてはいけません』なんて、通用しないだろうから……)
ストーカーの恐怖だけじゃない。
○○さんの恐怖も、体験してほしい、とアタマは思った。
(……私は、ちょっと嫌だな。私の人生を追体験されるなんて。だって、私の人生は私のものだから。でも、追体験させるのが一番いい気がするのも事実)
恐怖だけじゃなく、物心がついて、様々なことを経験して、その先で『自分』に追い詰められ、最後に『○○さんの気持ちが分かったか?』と耳元で囁かれて、我にかえったらいい。
(つせらきっあさんとかも、そうなってほしいけどな。……って、あの人は今関係ないか。目の前のコレをどうにかしないと)
「……許袁呂さん、少し聞きたいことがあるんですけど」
アタマの話を聞いた許袁呂は、「それでもいいぞ」と手を叩く。
「お前が贄を捧げてくれるお陰で、誰かの記憶を追体験させるなんて、赤子の手をひねるよりも簡単な事になったからな」
勝手に進んでゆく話に、彼女の顔は青くなってゆく。
土で汚れた唇から「い、嫌よ」と言葉が洩れる。
「嫌?どうしてですか?『自業自得』って書き込んだくせに、自分の『自業自得』は受け入れたくないって言うんですか?」
アタマは、蔑みにも似た目で、彼女を見下ろす。
にや、と嗤った許袁呂が、片手を持ち上げた。
「待ってくれっ!」
鋭い声とともに、肩で息をしている鉛丹が現れた。




