モスキート音
「てっきり三十過ぎてると思ったのに、二十代の人だったんだ。……それだけ、苦労したってことだよね。老け方が自然じゃなかったもん」
生まれついてではなく、心労に心労が重なって老けた顔。
アタマは「そういえば、すごい猫背だったな」とくーの頭を撫でる。
「私も、気をつけないと……」
思い切り肩を逸らし、背筋をピンと伸ばす。
「…………やっぱ、あの人の態度が一番の問題だよね。『彼岸花事件』って言われるまで、すっかり忘れていた感じだったし。なにより――」
アタマはスマホを取り出すと、『彼岸花事件』と検索をかけた。
すぐに『押っっっさぁえろよっ!!』という文字が出てくる。
スカートを頭からかぶった写真とともに、大量のコラ画像が作られていた。
雑なものから、やたらとクオリティの高いものまで様々だ。
(変な感じに裏返った所為で、すっかりネットの玩具になっちゃったなぁ。とはいえ「押さえろよっ!!」ってちゃんと言えていたとしても、現状が変わることはなかっただろうけど……)
『押さえろなんて言える立場かよ』
『これって、自分の人生が終わることを恐れてのことだよね?』
『光の速さでスカートかぶったもんな。判断が早すぎだろ』
『袋の中身ぶちまけてなw』
『結局は自分の為、反省も更生もしていない』
『こんな奴がのうのうと日々を送って、真面目な人が損をするなんて』
「まあ、そう言われちゃうよね……」
ぼんやりとスマホを眺めながら、アタマはぽつりと呟く。
瞬く間に住所は特定され、学生時代の写真がネットに載せられ、夫の職場にも電話がかかってきているらしい。
加えて、『こいつの子供も、いずれやらかしそうな顔してるよな』『蛙の子は蛙ってヤツ?』とまだ幼い子供にまで被害が及んでいる。
当然、『子供に罪はないだろ』『そういう書き込みをするのもイジメじゃないの?』という者も現れ、日夜ネットでは論争が続いている。
子供は、父方の誰かが預かっているらしい。
そこまで調べるんだ、とアタマは驚いてしまった。
(やっぱ、『逃げ得なんて許さない』って思っている人が多いのかな。あと、若者の更生がどうのこうのに疑問を持っている人……)
「あそこで土下座でもしていれば、何かが変わったのかもしれないのに。……なんて、言ってもどうしようもないか。けど、一緒にいた友達の人は気の毒だな」
大学時代に出来た友達で、友人の『悪行』を全く知らなかったのだそうだ。
だが、その言い分を信じない者は出てきてしまう。
ついには、『白砂さんをいじめた仲間の一人』とデマを流される始末。
開示請求をするにしても、ハッキリ言ってキリがない。
加えて、それをしたところで、勢いが弱まるとは思えない。
それに、ネットに流れた顔も情報も消えはしないのだ。
針のむしろのような日々の中で、精神はどんどん削られてゆく。
結局は会社を辞め、現在は家に籠っているらしい。
「……これって、正しいことではないよね。それとも、友達ができたら、その人の名前って検索しておかないといけないのかな」
『なんで気づかなかったの?普通分かるでしょ?』
『絶対知っててつるんでたんだよ!』
流れてくるコメントを見て、アタマはぞっとした。
エスパーじゃないんだから、と。
おばさんに対する非難の声も多い。
肝心な時には力にならなかったくせに、と。
『いるよなぁ、こういうオバサン。まっ、親戚とはいえ《他人》だし、不幸は蜜の味なんだろうけど、啜りに行った相手が不味かったよな』
『特定されて、人生詰むっしょ』
アタマは「本当になっちゃたもんな」と僅かにぼかしの入った写真を見る。
(気の毒とはいえ、住所まで特定は…………いや、何とも言えないな)
それ以上にアタマが気になるのは、刃物を振り回していたあの人だ。
同情の声は多いが、非難の声も多い。
『騒ぎを起こすって言っても、アンタを見て逃げようとして転んだ人がいたとして、その人が頭打って死んでたりしたらどうするつもりだったん?』
『気持ちは分からなくもないけど、ちょっとは考えようよ』
『それに、束縛って言っても、一人になれる時間はあった訳じゃん』
『だよね。その時に助けを求めたらよかったのに、私だったらそうする』
『↑それが考えられないくらい追い詰められてたんだよ。馬鹿かお前』
『はあ?私のこと何も知らない癖に、そんなこと言わないでいただけます?私は、感情的にならずに客観的意見から物申しただけですけど?』
『煽りがめちゃくちゃ効いてて笑える』
『効いてねーよボケ』
『というか、後半は殆ど嫉妬じゃね?結婚も子供も、お前が手に入れる努力を怠ったってだけの話だろ?他責すんなよ』
『そこまで他責とは思わないけど、ちょっと難癖が過ぎる部分はあるかなぁ。あと、絶望的に想像力が足りてない。件の公園、ヤバい連中が押しかけて来てるらしいし』
『それは、そいつらの民度に問題があるだろ』
『あの県って、全体的にヤバいよな。前にもすごい事件があったし……』
『全員がそうみたいな言い方すんなよ。最近の若者はっていう奴と同じじゃん』
『いや、同じではない――』
「……あー、やめやめっ!」
目が痛くなってきた、とアタマはベッドに寝転がる。
頬にすり寄ってきたくーを撫で、彼岸花事件があった公園を思う。
たいへん不謹慎な話だが、『心霊スポット』として名が挙がるようになった。
連日連夜、心霊ロべチューバ―やガラの悪い人たちで賑わっているらしい。
騒音が酷く、近隣住民からかなり苦情がきているそうだ。
「……ロべチューバ―の人とか、すっごい炎上して逃亡する人まで出てきたのに、それでも行く人が後を絶たないなんて……」
(これが、あの人の望んだことなのかな。……人を殺していないとはいえ、結構な罪にはなる。そうまでして、結果はこれ)
『ブーム』が過ぎ去れば、直ぐに忘れ去られてしまうだろう。
様々な場所に、傷跡を残したまま。
(あの人にも、許袁呂さんの力が与えられていれば、また違ったのかな?嫌な音が、綺麗な花に変わっていれば……)
「考えたって、全部終わったことだけどさ……」
アタマが「ふう」と溜息を吐いたとき、一階から母の声が聞こえてきた。
「今度、ツキヨちゃんの所に行くでしょ?それでね、『夜、一緒にお祭りに行こうよ!』ってさっきメールが来たんだけど……」
(ああー、そうだったぁ。すっかり忘れてた)
うんざりとした顔のまま、アタマは二階から「いいよ」と答えた。
(あー、やだやだ。会いたくない)
ツキヨちゃんというのは、アタマの親戚のお姉さんの名だ。
十ほど年が離れており、まだアタマが幼い頃、『アタマちゃんって、すごく足が遅いけど、それってわざとやってる?』と親に隠れて嗤ってきた。
それ以外にも、会う度に何かと難癖をつけて嗤ってきたお姉さん。
歪みに歪んだ笑みを思い出し、アタマは頭を抱える。
(……私が親に言うようなタイプだったら、なんにも言わなかったくせに。ああ、思い出すだけで腹が立ってきた)
そんなお姉さんも、今は一児の母だ。
今年で二歳だったかな、とアタマは溜息を吐く。
『こいつの子供も、いずれやらかしそうな顔してるよな』
ネットの言葉を思い出し、アタマはブンブンと首を横に振る。
(それはない!……たぶん。お姉さんも、子供を産んでちょっとは性格が丸くなっていると思うし、うん、きっと大丈夫)
心の中を『やだ』で占められながら、アタマは何度も頷いた。
同時に、頭痛薬の用意をしておかないと、とメモを取り出す。
(短時間なら大丈夫なんだけど、長時間車に乗ると、絶対に頭が痛くなるんだよね。……お姉さんたちが住んでいる後祭町まで、結構な距離があるし)
移動している時を想像してしまい、アタマはまた溜息を吐いた。




