騒音対策
(あれから三日経つけど、あの親子、どうなったかな……)
いつものようにランニングを終えたアタマは、自室から空を見上げた。
(金輪際、出会いたくはないけど、なんか気になっちゃうなぁ。……だけど、それ以上に考えるべきことが山とある。次の『贄』のこととか)
テンの飛び散った血と咲き乱れる音を思い出し、アタマは身震いする。
不思議と、殺した直後よりも今の方が恐ろしく感じられた。
「あれかなぁ、時間を置いてちょっとは頭が冷静になったからかな?」
そんなことを独り言ちながら、くーの頭を優しく撫でる。
だが、今日のくーはどこか元気がない。
自分の発言を気にしているのだろうかと、アタマはくーに笑いかける。
「くーちゃん、心配しないで。確かに、あの時のことを思い出すと怖くはあるけど、躊躇う気持ちはあんまりないんだ。私にも、理由は良く分からないけど」
(住めば都じゃないけれど、なんだかんだ適応できるでしょ。……はあ、くーちゃんにこんな不安そうな鳴き声を出させちゃうなんて)
「ごめんね。いまだにウジウジ悩んじゃって」
アタマが謝罪をすると、くーはゆっくりと首を横に振った。
「ふふっ、可愛い」
微笑むと同時に、視界の端にバラや朝顔の花が咲く。
「……まだ、シャッターが開く時間帯じゃないから、隣のご夫婦か」
スマホで時刻を確認したアタマは、「はあぁぁああ」と溜息を吐いた。
(午後七時半。夜遅いってわけじゃないし、どの時間に外まで聞こえるような大声で夫婦喧嘩されても困るんだけど、本当に迷惑な話だよ。……私には、許袁呂さんからいただいた力があるからいいけど、他の人はそうじゃないし)
苛立ち紛れに髪をいじるアタマの頬に、くーが体を寄せる。
優しい体温とともに、ある一つの考えが浮かんできた。
「お隣さんが次の『贄』でいっか。今まで、私たち一家を含め、近隣住民の人たちに迷惑をかけてきたんだから、迷惑料は払わないとねっ」
アタマは机の引き出しから包丁を取り出すと、蛍光灯に掲げる。
その様子を見て、くーは、にこり、と笑った。
■
「捧げます」
夫婦が悲鳴を上げる間もなく、アタマは包丁を振り下ろした。
(キャベツの方が、切るのに苦労するなぁ)
どうでもいいことを考えてしまい、ふっと口の端を上げる。
(なんか、殺すことに対するハードルが下がった気がする。……気がするんじゃなくて事実か。あと、前よりも花が少ないな。ちゃんと音が聞こえる)
それが何を意味するのか、アタマは気づかなかった。
許袁呂が座る祠に目を向けると、彼は大福に舌鼓を打っていた。
(……死体を前に物を食べれるようになるには、まだ時間がかかるかも)
ぼんやりとそんなことを考えていると、許袁呂は本来の姿に戻った。
そして、捧げられた夫婦を美味そうに喰らってゆく。
ぶちゅ、ごり、ぱきぃ、という音がアタマの耳朶に届く。
(あ、あれ、くーちゃんをOFFにしているはずなのに、音が聞こえる。……つまり、これは『嫌な音』じゃないってことなのかな)
アタマは目を閉じ、許袁呂が奏でる音に耳を傾ける。
不思議と、気分が悪くなったりはしなかった。
(何か違いがあるのかな?それとも、私の心の持ちよう?)
どれだけ考えても、答えは出てこない。
だが、それを深く疑問に思うことなく、アタマは一仕事を終えた満足感に身を預けていた。
「……あっ、許袁呂さんに質問したいことがあるんですけど」
「なんだ?」
「犬を連れた親子の話なんですけど、お父さんが死ぬのは『運命』なんですよね?定められていて、誰にも変えられない。他の人もそうなんですか?この夫婦も、私が捧げなくても何かしらの理由で今日死ぬ『運命』だった……とか」
「お前が納得する答えかどうかは分からんが。この世には『運命』を持っている奴とそうで無い奴がいる。今お前が捧げた夫婦は、持っていない方だな。……つまり、お前が贄に選ばなければ、もう少し長生きできた存在だ」
「そ、そうですか。ちょっと複雑ですね」
「そう思うくらいなら選んでやるな」
「仰る通りです」
「ったく」
許袁呂は肩をすくめると、鳥から人間へと姿を変えた。
夫婦が転がっていた場所は、血の跡もなにもなくなっていた。
「……ああ、血の臭いをそのままにしておくと、野生動物がやって来るからな」
べろり、と許袁呂は満足そうに舌なめずりをする。
「感謝する。これで、お前と前に会った公園よりも遠いところへ行けるようになった。加えて、力の強さも増した。雷の一つくらいなら落としてやれる」
「よ、よかったのかどうか分からないですけど、よかったです!」
アタマは弾んだ声とともに、ぱちぱちと手を叩いた。
■
「……火勿君の時と違って、あんまり騒ぎにならなかったな」
空き家になってしまった隣の家を見つめ、アタマはぼんやりと思う。
「二人とも大人だし、家中が血まみれだったわけでもないからかな。よく夫婦喧嘩をしていたって話は警察も掴んでいるだろうし……」
アタマは、理由の分からない虚しさを覚えつつ、図書館へと向かった。
頭上では、五回りほど大きくなったくーが旋回している。
(手のひらサイズのくーちゃんも可愛かったけど、大きい姿も可愛いな。ぽちゃんとしたフォルムなのは変わらないし……)
加えて、いつでも手のひらサイズに戻ることもできる。
くりくりとした瞳と目が合い、アタマは眉をハの字にした。
「……くーちゃん、ごめんね。『贄』を連れてくるのとか、全部任せちゃって。……多少の体力がついても、結局はこれなんだよね……」
アタマに、誰にもバレずに大人二人を沼まで連れてゆく力はない。
気絶させて運ぶこともできない。
「今はそこかしこに監視カメラがあるし、殆どの人がスマホを持っているから、どこで映っちゃうか分からない。だから、くーちゃんに持って来てもらうしかないんだけど……それがすごく、申し訳なくて」
目を伏せたアタマの頬に、手のひらサイズに戻ったくーが体を擦りつける。
気にしないで、と言われているような気がした。
「……くーちゃんは、私が言ってほしい言葉が分かるんだね。ごめんなさい。そして、ありがとう」
アタマは自身の狡さを身の内で嗤い、くーの頭を撫でる。
そうこうしているうちに、図書館へと到着した。
一見すると、二十五階建てのビルだ。
図書館は、そのビルの中の四階にある。
「図書館に来るのも久々だなぁ。私が幼稚園に行っていたときは、別の場所にあったんだよ。どんなのかまでは、覚えていないけど……」
朧気に、やたらと古めかしい建物であったことは覚えている。
だが、建物は取り壊され、現在は駐車場になっているらしい。
「取り壊される少し前にこのビルが建って、いつの間にか移動していたみたい。お母さんが言っていたことだから、どこまで正しいのかは謎だけど」
小声でくーにそう説明しながら、アタマは本棚を巡ってゆく。
利用者は少なく、足音が嫌に大きく響いた。
「……あっ、ここだここだ」
アタマは、『郷土資料コーナー』の棚の前で、ピタリと足を止めた。




