音一輪
「え?」
少年の唐突な言葉に、アタマは目を丸くする。
一呼吸おいて、じっと少年を見つめた。
烏の濡れ羽のような黒く短い髪、透き通るような紫色の目。
狩衣を思わせる黒い着物が、青白い肌をより一層青白く見せていた。
ありえないと分かってはいるが、少年の周りだけ、薄っすらと輝いて見える。
(……どうしよう。ちょうどいいぽっちゃり具合)
丸みを帯びた頬を雨粒が伝ってゆくのを見て、アタマの胸はきゅっとなった。
目の前の人物のぽっちゃり……ふくよかな姿から目を離せない。
包容力さえ感じさせる『丸み』に、安心感を覚えてしまう。
アタマは別に、瘦せ型の人が嫌いというわけではない。
アイドルを見れば、「カッコいいな」とは思う。
だが、それだけだ。
目を輝かせたり、付き合いたい、将来結婚するなら、と思ったことはない。
何故なら、アタマの中にある『瘦せ型』に対する感情は、『いつもカリカリしていそう』『ちょっとのことで怒りそう』だったからだ。
勿論、それが偏見であることは分かっている。
だが、今までの経験が、アタマにそのような思いを抱かせているのだ。
『これだから、最近の若いもんは!』
先程の老人も、痩せ型だった。
『はあ、最近の若い子って怖いわねぇ。こんな事件を起こすなんて……』
スマホ片手にこちらを睨んできた中年の女も痩せ型だった。
『ちっ、もっと端に寄れ!迷惑かけてるって分かれよ!!』
エスカレーターで怒鳴ってきたサラリーマン風の男も痩せ型だった。
小学生の時にアタマを虐めた女子も、一緒になって髪を引っ張ってきた男子も、言い方がきつい親戚のおばさんも、コンビニの店員に嫌味を言うおじさんも、足が遅いアタマを嗤った従妹の子も、みんなみんな痩せ型だった。
みんながそうじゃないって分かっている。
自分だって、どちらかと言うと痩せ型だ。
それでも、痩せている人は怖いの。
……これが、墓場まで持って行くと決めているアタマの『偏見』だ。
視線をずらすと、紫色の瞳と目が合った。
くりくりとした丸い瞳に庇護欲をそそられ、自然とアタマの顔がほころぶ。
「……おかしな娘だなぁ。怯えていると思ったら笑顔になった」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
慌てて頭を下げたアタマに、少年は「怒っている訳じゃない」と言った。
次いで、小皿の上に置かれているチャームを指さした。
すると、チャームはふわりと浮き上がり、少年の手のひらに収まった。
目の前で起こった摩訶不思議な光景に、アタマは「ええっ」と目を瞠る。
「なんだ?俺はただ、供物を受け取っただけだ」
言葉の意味が分からず、何度も視線が小皿と少年を往復する。
「……で、先程の願い、叶えてあげようか?」
「さ、先程のって、あの喚き散らしていた願いのことですか?」
聞かれていたんだ、と今更ながらに恥ずかしくなりアタマは顔を覆う。
同時に、揶揄うだなんてひどい、と悲しい気持ちになった。
「か、勝手に、私有地?に入ってしまった事は謝ります。ですが、お気になさらないでください。ほんの戯言ですから。で、では――」
「待て」
走り去ろうとしたアタマの手首を、少年は優しく掴んだ。
柔らかく温かい手に、体から緊張が抜けてゆく。
何故だか無性に泣きたくなり、アタマは涙を堪えるように唾を飲み込んだ。
「まっ、いきなり現れた奴にこんなことを言われたら、怖がるのも当然か」
「い、いえ、怖がってはいません!その、は、恥ずかしかっただけで」
誤解を招きたくはない、とアタマは必死に首を横に振った。
少年は「そうか」とホッとしたように笑う。
その笑みに心臓を撃ち抜かれ、アタマの頭は真っ白になる。
胸を押さえ「……あぁあああ」と声にならない叫びをあげた。
「…………久方ぶりにここに来た人間が、こうも風変りとは」
「オ、オブラートに包んでくださり、ありがとうございます」
ぺこぺこと頭を下げるアタマに、少年は「顔を上げろ」と告げる。
言われたとおりに顔を上げると、そこには巨大な烏がいた。
時代劇で殿様が乗っている馬ほどもある烏。
そして、先程までいた少年と同じように、丸々としていた。
紫色の目を見つめ、アタマは「まさか……」と呟いた。
烏の口から「そのまさかだ」と声がする。
「これで、信じてもらえたか?」
靄のように体が霧散したかと思うと、烏は少年の姿に戻った。
「ちょ、ちょっと待ってください!色々なことが一気に起こりすぎて、頭がパンクしそうです!……ええっと、本当に神様であそばされ……なのですね?」
「無理に言葉を操ろうとするな。できる範囲で話せ」
「は、はいっ!あの、えと、烏の姿もお綺麗でした!!」
思いがけない言葉に、少年は目を丸くする。
そして、「ははは、面白い奴だな」と腹を抱えて笑った。
「気に入った!ますます願いを叶えてやりたくなったぞ!!」
いつの間にか手にしていた烏の羽で、アタマの頭上を一撫でする。
「■■」
疑問符を浮かべるアタマに、少年は何事かを口にした。
だが、その言葉が聞こえることはなく、代わりにアタマの面前に、半透明の花が一輪現れた。それは、どこからどう見ても八重桜の花だった。
(……あ、あれ、今って六月だよね?)
首を傾げるアタマに向かい、少年はまたも何事かを呟いた。
「■■、■■■」
口から声にならない言葉が紡がれる度、様々な花が咲き乱れてゆく。
「す、すみません。なんと仰っているのか分かりません」
「アホ、ドジ、マヌケ、ちっ、と言った」
ハッキリと聞き取れた言葉に、アタマは「えぇ」とっ声を絞り出す。
神様とはいえ、あんまりなのではないか、と。
「勘違いするなよ。実践してみただけだ」
「実践?」
「そうだ。お前に『自分が嫌だと思う音や言葉が聞こえなくなる』という呪いをかけたんだ。……俺の力では、『不具合』も出てしまうがな」
「不具合……この花のことですか?」
「ああ、一分ほどで消えてしまう、お前にしか見えない花だ」
「すてき!」
思わず、アタマは弾んだ声を上げていた。
嫌な音は聞こえず、代わりに美しい花が見れる。
しかも、半透明で直ぐに消えてしまうため、視界に困ることはない。
最高じゃないか!
何度も礼を言うアタマを見て、「やはり、おかしな娘だ」と少年は頬を掻く。
こほん、と咳ばらいをし紫色の目をすっと細める。
圧さえ感じる面持ちに、アタマは反射的に背筋を伸ばした。
「その花は、お前にしか見えない。間違っても、人がいる前ではしゃいだ声を出すんじゃないぞ?忘れるな」
「は、はい!分かりましたっ!!」
勢い良く頭を下げると同時に、アタマは「あっ」と声を上げた。
「忙しい奴だ。どうした?」
「あ、あの、まだお名前をお聞きしていなかったな……と」
アタマは「ああっ、先に私が名乗らないとですよね!花畑アタマと申します!!」と少年に叫ぶように言った。
「許袁呂だ」
こうして会うのも何かの縁、と右手を差し出される。
「え、ええ、ですが、神様と握手だなんて……」
「断る方がどうかと思うが?」
ふん、と鼻を鳴らされ、アタマはおずおずと右手を差し出した。
雨で冷え切った手のひらに、温かい体温が伝わってくる。
「また、ここに来てくれるか?」
「は、はははい!勿論です!!」
壊れた玩具のように、アタマは何度も頷いた。




