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雨音と出会い

 ぱしゃぱしゃ、ぼたたっ、ぽちゃ、ぴちゃん……。

 雨音の五月蠅い道を、花畑(はなばたけ)アタマは憂鬱な顔をして歩いていた。


 今年で十七となるのだが、漂う雰囲気は疲れ切った老婆のようだ。

 アタマは顔を上げると、先程まで自身が乗っていたバスの背を眺めた。


 『これだから最近の若い(もん)は!』

 苛立った老人の声が、ぐわんぐわんと頭の中に反響する。


 「はあ、今年に入って、もう何度目だっけ……」

 じわり、と目尻に涙が溜まり、アタマは、頬についた雨と一緒に拭い取る。


 すし詰め状態のバスの中、どれだけ注意していようと鞄や傘は当たってしまう。

 それはときに、怒声を生むことになる。


 アタマの()に立っていた大学生であろう女の傘が、反対側に立っていた老人の足に当たってしまったのだ。


 眉を顰め、「おい!」と振り返った老人は、彼氏であろう男の存在に気づく。

 見るからに鍛えており、……なにより、軽薄(チャラい)


 女の方も同様で、「あ?」と眼光鋭い視線を老人へと向けた。

 分が悪いと感じた老人は、アタマの足元へと視線を移す。


 棒傘であるのを確認し、「傘が当たっているだろ!」と怒鳴る。

 アタマはびくりと肩をすくませ、「ごめんなさい」と頭を下げた。


 理不尽だ。周囲だって分かっている。

 だが、庇ってくれるような人物は現れない。


 「もっと周囲に気を遣わんか!」

 「す、すみません……」


 「まったく、これだから最近の若い者は!」

 「………………すみ、ません」


 私はちゃんとしていました!

 ……そう言えたなら、どれだけ良かったことか。


 老人から発せられる怒気が、アタマの足をすくませ、声を封じる。

 舌が異様なほど渇き、心臓が不規則に早鐘を打つ。


 乗客全員の視線が、自分に突き刺さっているような錯覚を覚える。

 居た堪れなくなり、アタマはバスを降りた――。


 「……あと五つなら、歩けない距離じゃないか」

 次のバスを待つ気持ちも失せてしまい、アタマは濡れた道を歩き出した。


 「はあ、耐性がついて、何も感じ無くなればいいのに……」

 雨粒が傘に叩きつけられる音を聞きながら、そう独り言ちる。


 先程のようなことは、今に始まったことではない。

 幼い頃はなかったが、十四を超えてから徐々に言われるようになった。


 その殆どが、アタマに非のないものばかりであった。

 酷く粘着質な、鬱憤と憎悪と嘲笑の籠った目と言葉。


 きっと、自分は『言いやすい存在』なのだろう、とアタマは思う。

 見目はチャラくなく、筋骨隆々でもなく、反抗心のない弱々しい瞳。


 だから、()()して言葉を投げつけることができる。

 悔しかったら言い返せ、ほら、できないだろう?……と。


 「私も、チャラい格好をしてみようかな。……って、外見だけ取り繕っても無意味だよね。絶対にボロが出るに決まっている」


 アタマは、知らぬ間に閉店していた弁当屋のガラス戸に映る己を見る。

 貧相な手足、どんよりとした目、強い要素が何もない。


 「誰も庇ってくれなかったって、恨んじゃだめだよね。私だって、逆の立場だったら、下を向いて無視を決め込んでいたんだから……」


 ぽた、と雨とは違う水音が聞こえたような気がした。

 双眸から流れ落ちるそれを、鬱陶しそうに何度も拭った。


 「…………はは、損だなぁ」

 投げつける側からすれば、小石を放る程度の感覚なのだろう。


 だが、放られる側は違う。

 相手は一人ではないのだ。

 

 (やめよう、やめよう。虫の居所が悪かっただけかもしれないし、きっと家に帰ったら、お孫さんに笑顔を向けるような、()()お爺ちゃんなんだ……)


 「なーんて、馬っ鹿みたい」

 スマホを持つアタマの手が、怒りと悔しさでぶるぶると震える。


 SNSに晒して、これでもかというほど罵詈雑言を浴びせかけたい!

 それぐらいしたって、許されるでしょう!?


 「……はは、お人好しめ」

 水溜りに映った自分の顔を、アタマはばしゃりと踏み潰す。


 下手にそんなことをして、『盛りすぎじゃね?』『嘘言うな』『こんなヤバい投稿が話題となっている』なんて言われては堪らない。


 (それに、あっちだって『人』で、生活がある。……ああ、えげつない深爪しろって思うくらいなら、許されるかな?あくまで、思うだけだし)


 そんなことを考えながら歩いていると、視界の端に赤い花が映った。

 古びた民家と民家の間にある、細い土道に点々と咲いている。


 「……なんだろう?彼岸花ではないみたいだけど」

 アタマは引き寄せられるように、土道へ足を踏み入れた。


 ■


 少し歩くと家の壁と花は途切れ、代わりに田畑が現れた。

 真っすぐ伸びた土道の先に、小さな森が見える。


 「ああいう森の中って、高確率でお社や祠があるのよね……」

 アタマはそう独り言ちると、森へ向かって歩き出す。


 森に入ると、ただでさえ暗い景色が、一層暗くなった。

 木の枝や葉から滴る水が、ぼたっ、ぼだだ、と傘を鳴らす。


 数メートル先には、朽ち果てた赤い鳥居。

 さらにその先には、小さな沼と、その中央に建てられている小さな祠。


 祠が建っている浮島には、アタマをここまで導いた赤い花が咲いていた。

 薄闇のなかで、花だけが異様にはっきりと見えた。


 (すごく不気味。だけど、どうしてだろう。目が離せない……)

 沼に向けて、一歩を踏み出す。


 かちり、と靴の先が欠けた皿に当たった。

 賽銭箱代わりに置かれていたものらしく、錆びついた十円玉が一枚ある。


 「……一円くらいなら」

 立ち寄った記念にとばかりに、アタマは鞄の中をまさぐった。


 「あれ、これなんだろう?」

 指が、アタマもよく知る高級ブランドのバッグチャームを掴んだ。


 「……あっ、私の隣に立っていた人がつけていたバッグの!」

 チャームだけでもかなりの値段だろう、と焦りを覚えたのは一瞬だった。


 「私が盗んだわけでもないし、あっちだってそこまで考えないわよ。探し出して返してあげる義理だってないし……」


 つらつらと言い訳を並べ立て、アタマはチャームを小皿へと入れる。

 持っていると、いつまでも今日の出来事を引きずりそうな気がしたのだ。


 (でも、もし大切な物だったらどうしよう。困って泣いていたら……)

 そこまで考えて、アタマは「天罰よ」と呟いた。


 「知ーらない、知ーらない!これはもう神様の物ですっ!!」

 ぱんっ、ぱんっ、と両手を打ち鳴らし、思い切り頭を下げる。


 願いたいことは山とある。

 今日のような目に遭いたくない以外にも、色々と。


 「怒鳴り声を聞きたくありません。舌打ちを聞きたくありません。脅すように壁を叩く音も嫌いです。……あっ、私の家の右隣に住んでいる夫婦がよくケンカをして、その音が怖いんです!あと、左隣に住んでいる家族も、ガレージがシャッターなんですけど、油が切れているのか、車を出し入れする度に、ギギギッて音が凄く五月蠅いんです!お隣さんだし、波風を立てたくないから言えなくて。……お願いです!嫌な音を、全部消してください!心穏やかに過ごしたい!!」


 久方ぶりに出した大声に、肺と喉が痛みを訴えた。

 はぁ、はぁ、と呼吸を整えると同時に、口角が歪に吊り上がる。


 「……ははっ、何やってんだろう、私」

 どっと惨めな気持ちが押し寄せてきて、アタマは大きな溜息を吐いた。


 「神様なんて、いるわけないじゃない」

 「それはどうかな?」


 びくりと肩を跳ね上げ振り返ると、アタマと同い年くらいの少年が立っていた。

 固まってしまったアタマを置き去りに、笑う。


 「さっきの願い、叶えてあげようか?」



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