仄暗い足音
テンたち一家の失踪事件は、予想通り世間を騒がせた。
ドラマや小説であるように、至る所にマスコミがやって来た。
当然、アタマが通う高校にも現れた。
テレビの関係者だけでなく、胡散臭い記者やロべチューバ―もやって来た。
隣のクラスやテンと親しかった者は「○○雑誌の××さんって人から話を聞かれた」「急にカメラを向けられてビックリした。どこかから情報が洩れていると思うと怖い」と話し合っていた。
だが、全てを知っているアタマに声がかけられることはない。
それが、どうにも皮肉に感じた。
仕方のないことなのかもしれないが、根も葉もない噂も飛び交う。
それは、筋の通るものからオカルトまで様々だ。
暫くすると、どういうわけか名前が挙がり、「こいつが犯人なのでは?」と疑われる人まで出てきてしまった。
疑われるだけならまだいいが、住んでいる家や職場など個人情報が晒された。職場には、電話がかかってきたこともあるそうだ。
「……小説でも、無実の人が家の壁に『死ね。犯罪者』とか『のうのうと生きてて楽しいですか?』とか紙を貼られる描写があったけど、無実だって分かった後、謝った人ってどれくらいいるんだろう?」
自室でぼんやりとスマホを眺めながら、アタマはぽつりと呟いた。
本棚に視線を向けると、その小説の背表紙が目に入る。
スプレーで『消えろ』と書いた者も、『町から出て行け』と書かれた紙を玄関に貼った者も、特に言及されることなく物語は終わった。
「一応はハッピーエンドで終わったけど、あの話で一番得したのって『名もなきあの人たち』よね。『正義』を振りかざすだけ振りかざして、何のお咎めもなく終わる。……きっと、無実だってことが伝わっても『疑われる奴が悪い』になるんだろうな。不確かなうちに攻撃した自分たちのことは、棚に上げて……」
煎餅をパリッと頬張り、アタマは口角を上げる。
自分にそれを言う資格がどこまであるか分からないからだ。
(理不尽に疑われている人がいて、私は真実を知っている。……でも、何もしない。真実を話すことも、疑われている人を庇うことも……)
スマホに視線を戻すと、真っ赤な文字とサムネが飛び込んできた。
『火勿一家失踪事件、これが真相です』と書かれている。
次に飛び込んできたのは、『つせらきっあ俳優の○○の発言を、ぐうの音も出ない程に論破』と言う文字。
「……分からなくは、ないんだよなぁ」
脳裏に思い浮かぶのは、テンが足蹴にしていた『お姉さんの子供』。
(よく「最近の若者は『正解』を求めすぎる」って言う人がいるけどさ、こういうの見たら、不安になっても仕方ないよねぇ……)
言い負かされてしまえば、負けた方は全否定される。
自分の人生観も、その考えに至る過程も、なにもかもがだ。
勿論、きっぱりと突きつける人は殆どいない。
だが、取り巻く空気はそうなってしまう。
医者になることを望まれている者が医者になれなくて、外様の者に「医者だけが全てじゃないよ」と言われても許されないように。
○○大学に合格することを望まれている者が、外様の者に「○○大だけが全てじゃないよ」と言われても許されないように。
論破されてしまえば、「その考えだけが全てじゃないよ」と言われても、自身の傷がほんの少し塞がるだけで、世間の目は変わらぬままだ。
(しかも、こんな連日『論破』『完膚なきまでに言い負かす』なんて文字を見ちゃったらさ、恐ろしくもなるよ。発言した瞬間、色々と言われまくったらどうしようって。それだけならまだいいけど、誰かに話されたら怖いなって……)
「はは、この『答え』だって、粗まみれ何だろうな。言わぬが吉だ」
怖い怖い、とアタマは暗い笑みを浮かべた。
スマホには、つせらきっあを讃える文字と否定する文字が並んでいる。
他にも、『引退した女優の○○、現在も変わらぬ美しさ』『アイドルの××、十キロ痩せて印象がガラリと変わる』といった文字。
「……ははっ、誰にでも目に付く場所にこんなこと書かれてんのに、『なぜ、最近の子は痩せることに固執し過ぎるのか?』なんて言われんだもんなぁ」
父が読んでいた新聞の文字が脳裏に浮かび、アタマは口の端を歪めた。
意味もなく、笑いがこみ上げてくる。
「……だっさ」
自分と先程見たサムネに向けて、アタマは皮肉な声を投げつけた。
贄を得て力をつけた許袁呂に頼めば、疑いを晴らすことなど造作もないだろう。ネットで好き勝手言う連中を、血祭りにあげることも――。
「なーんてね。もう終わったことよ。……それはそうと、包丁どうしよう。贄を捧げる時に必要なのは分かるんだけど、ずっと机の引き出しに入れておくって言うのも、……なんだかなぁ」
アタマの両親は、勝手に部屋に入り机の引き出しを開けるようなことはしない。
だが、万が一を考えると不安が募る。
(ついこの間も、私とそう年の変わらない女の子が人を刺したってニュースが流れたばっかりだし、誤解を生みかねないよね……)
「……まっ、それは追々考えるとするか」
アタマはそう言うと、頭にくーを乗せたまま部屋を出た。
玄関でストレッチをし、「行ってきまーす」と扉を開ける。
テンを殺してから、アタマはランニングを始めたのだ。
理由は『体力を作るため』。
許袁呂に力を付与されるとはいえ、やっておいて損はないと思った。
始めた直後は音を上げそうになったが、どうにか続けている。
くーが、アタマを応援するように羽をばたつけせた。
「ありがとう、くーちゃん。頑張るね」
アタマは小声でそう言うと、アスファルトの道を走り始めた。
■
(はあ、ネットで走り方を調べて、それをもとにやっているけど、傍から見たらどんな感じなんだろう?ちゃんと、綺麗なフォームになってるかな)
家から走って十五分ほどの場所にある大きな公園に到着した。
そして、池の周りをぐるぐると走る。
「や、やっぱ、まだ三周が限界かな……」
「充分じゃないか」
「えっ!?」
聞き慣れた声に振り返ると、許袁呂が夕焼けを背景に立っていた。
いつもの狩衣のような着物ではなく、Tシャツにデニムの長ズボンといった格好だ。初めて見る姿に、アタマは呆けたような顔をした。
「……あ、あれ?沼からこの公園まで、結構な距離があるような」
「ああ、贄を喰らったからな。長時間の実体化と移動が可能になった」
ぽてっとした腰に手を当て、許袁呂は胸を張る。
アタマは思わず「良かったですねっ!」と駆け寄った。
「まあ、可能になったと言っても、一日が限度だけどな」
「……そう、なんですね」
悲し気な目をした許袁呂を見て、アタマはなぜか泣きたくなった。
丸みを帯びた頬に、夕日が切なげに当たっているせいだろうか、と思う。
いつもは包容力を感じる頬なのに、今は庇護欲が勝ってしまう。
使命感のような何かが、アタマの胸の内から湧き上がってくる。
(頑張ろう!)
引き出しに隠した包丁を思い浮かべ、アタマは胸に当てた手を握り締めた。




