雑音を消す・下
「あの人は、『お父さんの言う通りにしてbot』だった……」
テンは、庇われなかった悲しさを宿した目をアタマに向ける。
「まあ、気持ちは分からないでもないけどね。誰だって怒鳴り声は怖いし、暴力は振るわれたくない。力の差がありすぎたってのもある」
「そ、それを言われちゃうと、何とも言えないな……」
アタマは自身の弱々しい手を見つめ、テンの母親の立場を想像した。
「私の立場だから、『離婚したら良かったのに』とか『訴えたらいいのに』って言えるけど、実際は色々と難しいんだよね。親戚の目とかお金のこととか、お互いの気持ちだってあるだろうし……」
親権とか、とは聞けずアタマは言葉を濁す。
テンは何度も相槌を打つと、「まぁね」と肩をすくめた。
「穏やかな時は本当に穏やかだったから、切り捨て難かったのかもしれない。……恋愛なんてしたことないから、よく分からないけど」
(そうなんだ。私が知らないだけでいると思っていたのに。……でも、今の話を聞いたら、恋とか愛にキラキラしたものを見出せないか)
「……うん。花畑さんが考えている通りだよ。あの二人を見ていると、どれだけ愛し合って結婚しても、結局はああなるんだって胸の中を冷たい風が吹き抜けて行ってね。正直、怖くて嫌だったんだ。虚しくてさ」
ぎりっと拳を握り締め、テンは痛みに耐えるような顔をする。
そして、「さっきの話だけど――」と口を開いた。
父から「走るのが遅い!」と怒られていても、さっと目を逸らす。
そのくせ、体育の授業でタイム測定があった日は、恐る恐る尋ねてくる。
どうだった、と。
無言で紙を差し出しても気にすることはなく、食い入るように数字を見る。
そして、「よかった。これでお父さんの機嫌は普通ね」か「……ねえ、どうしてお父さんの言う通りにしてくれないの?」のどちらかが返ってきた。
「……良いタイムが出た時だって、喜んではくれなかった。ホッと胸を撫で下ろすだけ。でも、それって『喜ぶ』じゃないよな」
加えてテンを悩ませていたのは、父の『怪我マウント』だった。
父が高校生の頃、交通事故で大怪我をしたという話。
「俺が風邪で寝込んだときとか、目に菌が入って病院に行ったときとかに『大事が無くてよかった。まっ、俺が高校生の時にした怪我と比べたら――』って小学生の子供に言うんだ。母さんは『お父さんなりの励ましなの。不器用な人だけど、本当は凄く心配しているのよ』って言っていたけど、しんどい時に言われると、どうしても好意的に受け取ることができなくてさ」
「うん、こう言ったらあれだけど、ムカつく話だね」
怒りを滲ませるアタマに、テンは「やっぱ変わっているね」と苦笑した。
「……ただ、そうやって怒ってくれてちょっと嬉しい。その、俺が望んでいたのって、それだったからさ。理不尽を怒ってほしかったんだ」
悲しげに微笑むテンを見て、アタマはハッとした。
少し話をしただけで、彼が両親を殺したことを忘れそうになっていたからだ。
「何度もごめん。話を戻すけど、そんな感じで鬱屈とした毎日が続いてたんだけど、さっきテレビでスポーツの映像が流れて、その時――」
野球かサッカーでもよかったかもな。
「……って、父さんが笑いながら言ったんだ。あれだけ『高い陸上用の靴買ってやったのに』とか『お前がやりたいって言いだしたんだろ』とか言っていたくせに、急に頭の中の歴史を書き換えたんだ。……それに、ぷつん、と後頭部の後ろ辺りから音が聞こえて、気づいたら刺してた」
「はあ!?」や「ふざけんな!」と思う気持ちすらなく、無表情のまま包丁を手に取り、何の躊躇いもなく父の背中めがけて突き刺した。
同時に、テンの脳裏をある記憶がよぎった。
体調が悪く、いつもより走る速度が遅かった時の記憶だ。
顔を伏せるテンに向かい、父は「男だろ!ビクつくなっ!!」と怒った。
子供の体調不良に、気づくことなく。
俺に怒られたからむくれている、そう解釈して――。
何度も包丁を振り下ろしながら、テンは「今思うと……」と心中で呟いた。
(父さんが怒鳴ることを止められなかったように、俺も、怯えることを止められなかった。……ははは、すごい顔だな。あと、血の臭いに噎せ返りそうだ)
父が完全に息絶えた直後、母が買い物から帰って来た。
いつも父が飲んでいる種類の茶が冷蔵庫になくて、買いに行っていたのだ。
ドサッと買い物袋を落とし、呆けたように口を開いて固まっている。
そうだろうな、とテンは思った。
誰だって、こんな状況を見たら固まってしまうだろう、と。
散らばったペットボトルが、日の光を反射して煌めいている。
(でも、ここまで来たらもう止められない……さようなら)
漸く状況を理解した母が悲鳴を上げるより早く、テンは包丁を振り上げた。
「――とまあ、ざくっとした流れはこんな感じ」
説明を終えたテンは「それにしても暑い」と鞄からペットボトルを取り出す。
包丁と一緒に入れていたからか、白いキャップに血が付着していた。
アタマの耳に、蝉の声が戻ってくる。
「……不思議と、後悔はしていないんだ。いつかはこうなると思っていたから」
「……そっか」
面白そうに二人を見ていた許袁呂は、「もっと気の利いたことを言ってやれ。今からこいつを捧げないといけないんだぞ」とアタマを見た。
「捧げるってことは、火勿君を殺すってことですよね?」
「そうなるな。……どうする?こんな感じだぞ?」
許袁呂の視線を受け、テンは「そりゃあそうだよね」と笑う。
全てが異常な世界に、アタマは頭がくらりとした。
「こうなるんじゃないかとは思っていたよ」
「ご、ごめん」
「花畑さんが謝る必要ないって。誰だってそうなるよ。……ただ、半日以内に答えが欲しい。引き延ばしをし過ぎると、それこそ鈍る」
テンは、ペットボトルに入っていた茶を一気に飲み干すと「でも、こっちの方が良かったかもしれない」と立ち上がる。
「そうか。……準備が終わったぞ!受け取りな!!」
許袁呂はそう言うと、ぽっちゃりとした手を天に向けた。
「実は、二日ほど前にこいつから供物を受け取っていてな。それなりに強いモノが作れるようになったんだ!人間でないのが残念だが」
アタマに説明を終えると同時に、許袁呂は手を降ろす。
二人の目の前に、くーの何倍もデカい鳥が現れた。
「わあ、すごい!昔の写真かなにかで見た、薬局の前とかに置いてある乗り物くらいの大きさだ!百円入れたら動くやつ!」
「あのなぁ、もっと良い例えはないのか?」
「す、すみません」
アタマは許袁呂に頭を下げた後、テンに向き直った。
何度も口を開閉し、視線を泳がせる。
「……あー、供物のことでしょ?小動物とだけ言っておくよ。正直、罪悪感としては小動物の方が上かな。何もされてないし」
さらりと言ってのけるテンに、アタマは唾を飲み込む。
箍が外れた人間を目の当たりにし、自然と体が震えた。
「じゃあ、俺ちょっと行くところができたから、夕方またここに来てよ。それまでに、覚悟を決めておいてほしい。勝手な頼みであることは百も承知だけど」
テンはそう言うと、足早に去って行った。
同時に、くーの上位互換のような存在も消える。
「あ、あれ、消えちゃいましたけど」
「ああ、まあ見てろ」
許袁呂が言い終わらないうちに、鳥は戻って来た。
そして、アタマの目の前にテンの両親の死体を置いた。
「……っ」
「おっと」
後ずさり沼に落ちそうになったアタマの背を、許袁呂は難なく支える。
程よい柔らかさとぬくもりに、アタマは「ふう」と息を吐く。
「予行練習だ。この二人を俺に捧げてくれ」
「…………さっ、捧げ、ます」
アタマが手を合わせると同時に、許袁呂は本来の姿に戻った。
そして、美味そうに死肉を喰らいだした。




