雑音を消す・上
テンにくーのことを知られてから、半月ほど経った日のこと。
許袁呂の元に行こうとするアタマの背に「花畑さん」と声がかかった。
肩を跳ね上げ振り返ると、茶色のシャツと黒ズボン姿のテンが立っていた。
まだ、夏の暑さが容赦ないというのに、彼の顔はどこか青ざめている。
(えっ、えええぇええ!?なんで!?あれっきり、もう関わってこないものとばかり思っていたし、そうであってほしかったんだけど……じゃないな!)
「あっ、あの、顔色が凄く悪いけど、もしかして熱中症になりかかっているんじゃない?その、私の家近いから、涼んでいく?」
下心も何もなく尋ねるアタマに、テンは微笑んだ。
しかし、悲し気に首を横に振る。
「ありがとう。でも大丈夫。それより、許袁呂さんの所に一緒に行ってもいい?……まあ、無理でもついていくけど」
許袁呂の名が飛び出し、アタマは「え?」と呆けたように口を開いた。
テンは「ごめん」と眉をハの字にし、「道すがら話すよ」と歩き出す。
「話すと言っても、花畑さんの後をつけただけなんだけどね」
「ぜ、全然気がつかなかった」
「うん。俺もちょっと驚いた」
「えっ、遠回しに『鈍い』って言われた感じですか?」
「想像にお任せするよ」
肩をすくめると、テンは鞄からマスクと帽子を取り出した。
「俺と一緒にいるところを誰かに見られると不味いんでしょ?……まっ、花畑さんが気にし過ぎなだけな気もするけど。俺は、そんな人気者じゃない」
「そ、そう……かなぁ?」
女子たちのテンに向ける黄色い声を思い出し、アタマは首を傾げる。
流石に徒歩はきついとバスに乗り、許袁呂の沼へと辿り着く。
許袁呂はテンを視界に捉えると、にいっ、と口の端を吊り上げた。
「あーあ、そう遠くない未来にやらかすとは思っていたが、ついにか」
「……どういう意味ですか?」
疑問符を浮かべるアタマに、許袁呂は手を叩く。
「お前、何も教えてないんだな」と。
ますます意味が分からず、アタマは混乱する。
テンは「これから話します」と表情を引き締め、帽子とマスクを外す。
「花畑さん。俺を、『贄』として許袁呂さんに捧げてくれない?」
「………………え?」
言葉の意味を噛み砕くのに、かなりの時間がかかった。
沼を吹き抜ける風も蝉の声もどこか遠い。
「か、火勿君は、どこまでのことを知っているの?」
どうにか絞り出した声は、酷く震えていた。
「どこまでというと、花畑さんと同じくらいかな。もちろん、贄になるということが死ぬってことも理解しているよ。いなくなったところで、家族が悲しまないってこともね。……だって、二時間くらい前に俺が殺してしまったんだから」
「……………………は?え、え?」
先程よりも長い時間をかけたが、言葉の意味が理解できない。
「つまり、花畑さんの目の前にいるのは、『元・クラスメイト』であり『贄希望者』であり『家族殺しの犯罪者』ってこと」
女子にモテそうな……いや、男子からも好印象しか抱かれないであろう爽やかな笑みを浮かべ、テンはあっけらかんとそう言った。
「ああ、証拠はこれ」
テンが鞄から取り出したのは、素人目に見てもよく切れそうな包丁だった。
ドラマのように、露骨に血は付着していないが、刃は薄いオレンジ色を引いたように鈍く光っていた。同時に、微かに鉄に似た臭いが鼻を突く。
「ちゃんと拭き取ったつもりだったんだけどね。やっぱ、血油の所為かどことなく色が変なんだよね。水で洗えば、また違ったんだろうけど……」
「ど、どうして?」
悲し気に目を細めたアタマに、テンは意外な顔をした。
「へえ、てっきり『近寄らないで、人殺し!』くらい言われると思ったのに」
「……なんというか、まったく実感が湧いてこなくて」
「ははは。確かに、包丁だけだからな」
「そんな時には、これの出番だ」
会話に耳を傾けていた許袁呂が、ラワタの時に使った鏡を取り出す。
テンは「今の家の中だけでお願いします」と頭を下げた。
「……ふぅ~ん。殺しに至る流れは見せたくないと?」
「はい。自分の口で説明します」
「俺としてはつまらんが、まあ、よしとするか」
許袁呂が鏡に視線を移すと、暫くして映像が映し出される。
「……っ」
めった刺しにされた両親らしき人たちを見て、アタマは口元を押さえた。
「ごめんね、驚かせて。……でも、俺がやったんだ。本当は、上手いこと言ってこの沼に連れてきて、俺共々『贄』にしてもらう予定だったんだけど、ぷつん、とくる出来事があってさ。気がついたらこんなことに……」
「まあ、立ち話もなんだろうから、取り敢えず岩に腰かけて、テンから話を聞け。その間に、俺は『準備』を進めておこう」
アタマは『準備』が気になったが、テンの話を聞くことにした。
岩に腰かけたテンは、ゆっくりと深呼吸をする。
「俺の父さん、学生の頃から走るのが好きでさ、仕事が休みの日は、まだ子供だった俺を連れて、近所の(といっても四キロは先の)広い緑地公園を一周して帰って来る、っていうのをしていたんだ。……けど、大人と子供の体力や歩幅をあまり意識しない人で、『こんなことでへばってどうする!?』って家に帰ってから怒鳴りつけてくる人でもあった。別に、俺が『走りたい』って言いだしたわけじゃない。断ると機嫌が悪くなるから、仕方なく頷いただけだったのに……」
だが、いつしか父の中では、テンが自分から『俺も、走りたい!靴買って!!』と言ったことになったらしい。
「『お前が欲しがるから、高いランニングシューズを買ってやった』『嫌だなんて言うが、走り終わった後、楽しそうに笑っていたじゃないか』って言うんだ。嫌な顔をしていたら『そんな顔すんな!』って怒鳴りつけるくせに」
「そ、そんなに怒鳴るお父さんなの?」
穏やかな父しか知らないアタマには、かなり衝撃的な話だった。
「ああ、いっつも怒鳴り散らしているわけじゃないよ。……ただ、気に食わないことがあった瞬間、パンッ、と怒りを爆発させて、かなりキツイことを言う。まあ、年が年だし、お父さんが子供の頃は『当たり前』だったのかもしれないけど、それにしたって酷い。それこそ、外で言おうものなら大炎上するし感じ。本当に、普段は凄く穏やかなんだけど。一緒に魚釣りに行ったこともあるし、他愛もない話だってできる。……行く道中で、道が混んでいたら車の中で舌打ちとか文句を吐きまくっていたけど。でも、優しい人ではあったんだ。ちょっとのことで、そうなるってだけで。……うん、本当、優しい人だったんだ……」
自分に言い聞かせるように、テンは膝の上で拳を握る。
アタマは視線を彷徨わせ、ごくっと唾を飲み込んだ。
「あ……っと、でも、仮に火勿君が『走りたい』って言いだしたんだとしても、『買ってやった』はあれじゃない?感謝するなってわけじゃないけど……」
「花畑さんの所みたいに、『普通』はそうなんだろうね。でも、俺の場合は違った。心を殺して、無理に笑顔を作った所為で、望まぬ借金が増えた」
「………………えっと、お母さんは?」
恐る恐る問いかけると、テンの顔から笑みが消えた。




