大輪の音
「……はあ、心変わりと仰いましたが……ねぇ」
自室の机に突っ伏したアタマは、くーの頭を撫でた。
許袁呂が放った言葉を、頭の中で反芻する。
そして何度も「私にはできない」という結論に至った。
(魚とかだって、死んだやつをさばいた経験しかない。それだって、中学二年の時の話だし。……相手が人だなんて、絶対に無理)
しかし、そうなると許袁呂は、あの沼の周辺しか移動できない。
力を取り戻したいと思う気持ちに、応えたいとも思う。
(……許袁呂さん、「お前は対象を沼に連れてきて、『お納めください』と言うだけでいい。後はくーがやる」って言ってくれたけど、それって狡いよね)
自分の手は汚れていない、と思い込める。
連れてきたら死ぬと、分かっていながら。
そのくせ、礼はちゃっかりと受け取る。
あまりにも姑息で卑怯だ、とアタマは自身の前髪を掴む。
と、その時――。
視界の端に、ロベリアやスノードロップが現れて消えた。
くーの頭を撫でOFFにすると、隣の家から怒鳴り合う声が聞こえてくる。
いつもの夫婦喧嘩か、と重たい溜息を吐く。
(そんなに喧嘩するくらいなら、さっさと離婚すればいいのに。……なんて、私が外様だから言えるだけのことか。あっちにはあっちに事情があるんだろうし。ただ、迷惑なことに変わりはないんだよねぇ。五月蠅いし、なにより怖い)
考え込んでいる間も、視界に花が咲き乱れる。
美しいだけに、とても皮肉だと感じた。
「はあ、うちを含むご近所さんが我慢していればいい気になって……じゃないな。きっと、我慢していることにすら気づいていない。文句を言われないのがデフォだと思っている。それって、ちょっと羨ましいな」
数瞬の後、「考えたって仕方ない」と溜息を吐く。
アタマは髪を掻き上げると、勉強を始めた。
■
朝。バス停に向かおうとしていたアタマの視界に、真っ赤な花が咲く。
ラワタの時と同じ、名も知らぬ美しい花。
思わず、「きれい」と言いかけた口を押さえる。
嫌な予感がし、アタマはゆっくりと後ろを振り返った。
少し離れた場所に、見知らぬ男が一人、真っ赤な水溜りの中に横たわっていた。
くーの頭を撫でると、シャッター音と叫び声が聞こえてくる。
男の近くには、彼を跳ねたであろう車。
青ざめた運転手が、ぼんやりと車の横に佇んでいた。
何が起こったのか、脳が理解を拒んでいる様子だった。
少しして、「あ、……あぁ」と口から声が洩れる。
同時に、誰かが呼んだ救急車の音が聞こえてきた。
アタマはハッと我に返り、足早にバス停へと向かった。
とある男子生徒に、見られていることに気づくことなく――。
■
(あの人、どうなったんだろう。ネットニュースになっているかな)
放課後、アタマは鞄からスマホを取り出し、直ぐに戻した。
(調べたところで、何かが変わる訳じゃなし……)
学校の門を潜り暫く歩いたところで、「花畑さん」と声をかけられる。
振り返ると、隣のクラス男子生徒・火勿テンが立っていた。
アタマとは、去年クラスが一緒だったという接点しかない。
成績優秀で、友達も多く、端正な顔立ち、……言ってしまえば、スクールカースト上位の人。アタマはテンを見上げたまま混乱した。
(な、なんで話しかけられたの?こんな、やんごとなき御方が?私に?え、なに、怖くなってきた。私、知らない間に気に障るような事しちゃったのかな)
威嚇の失敗したアリクイのような体勢のまま、アタマは「な、ななな、なんでしょうか?」と声を裏返られながら言った。
「……あの、そんなビビられると傷つくんだけど」
「ご、ごめんなさい」
「いや、怒っている訳じゃないよ……」
呆れと憐みを滲ませた笑みを浮かべ、テンはアタマの肩に視線を移す。
「それ、なに?」
人差し指の先には、肩で羽を休めているくーがいた。
「ぁ……っと、火勿君はくーが見えるの?」
テンが頷くと同時に温い風が吹き、彼の短くも艶のある髪を微かに揺らす。
「実は、物心ついたころから『霊感』ってのがあってさ、他の人には見えないモノが視えるんだ。……最初は、聞こうか迷っていたんだけどね」
今朝の交通事故。
そこで、くーの頭を撫でているのを見て、声をかける気になったのだそうだ。
「ほら、こういう『感』って、イタイ奴って言われがちじゃん?変に根掘り葉掘り聞かれるのも面倒臭いし、こうしてカミングアウトするのは、花畑さんが初めてだよ」
「は、はあ、さようでござ……そ、そうなんだ」
くーを手のひらの上に乗せ、アタマは視線を彷徨わせる。
「ああ、誰にも言わないから安心して。…………言ったところでって話でもあるし。ただ、ちょっと興味があっただけだから」
悲し気に伏せられた目を見て、気づけばアタマはくーを差し出していた。
「触る?」と問いかけると、テンの目が大きく開かれる。
「ふう、全力ダッシュで逃げられるんじゃないかとヒヤヒヤしていたのに」
「火勿君なら、簡単に追いつけるでしょ。足速いし」
去年の運動会を思い出し、アタマはそう言った。
だが、テンは喜ぶでもなく、ただただ曖昧に微笑んだ。
「……あっ、で、でも、ここじゃだめだ。もっと人気のない所に行かないと」
アタマはテンから距離を取り、足早に歩き出す。
「え、どうして?」
心底理解できないという風に、テンは首を傾げた。
「火勿君がモテるからだよ!私と話しているところを見られたら、私が周囲から色々と言われそうだから、私の身の安全の為にもお願いします!」
勝手なのは承知のうえで、アタマは勢いよく頭を下げる。
テンは暫くポカンとしていたが、やがてくつくつと笑い始めた。
「花畑さんって、結構面白いね」
■
「ああー、触れはしないなぁ」
くーをすり抜ける自身の手を見つめ、テンは悲しげに笑った。
二人が今いる場所は、学校から少し離れた所にある共同墓地だ。
時間帯の所為もあり、人っ子一人いない。
墓地の端に設けられた四阿に、テンの溜息が響いた。
蚊の羽音が、カスミソウの花になっては消えてゆく。
「……守護霊みたいな存在って説明された訳だけど、何ができるの?」
「えっ?ええっと、嫌な音を消してくれる感じ……かな」
「それだけ?」
「それだけって言うけど、すごいことなんだよ?」
アタマは、許袁呂のことを話そうかどうか迷い、最終的には口を噤んだ。
許袁呂とテン、……きっと仲良くできるだろう。
だが、会えば必然的に『供物』の話が出てくる。
そのことが、アタマに二の足を踏ませていた。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない」
「……この守護霊って、物心ついた頃から一緒なの?」
「……あっ……と、そうじゃないかな。少し前から急に見えるようになって」
「意思の疎通は出来ていない感じだけど、よく守護霊だってわかったね」
探るような目に、アタマの頭は混乱を極めてしまった。
元より、人と話すのは苦手な質だ。それが、異性となると尚の事。
あわあわと狼狽えるアタマを見て、テンは「ごめん」と肩をすくめた。
「消化不良ではあるけど、話ができて良かったよ。ありがとう」
爽やかな笑みを浮かべ、アタマとくーに会釈をする。
「こ、こちらこそ……ありがとう?」
アタマもぎくしゃくとしながら、どうにか礼を言う。
「またね」
テンはそう言うと、足早に四阿を後にした。
「……また?」
二度目は勘弁願いたいなぁ、とアタマは夕焼け空を仰いだ。




