流れ出る音
(あーあ、案の定、忘れている……)
アタマは、目の前にいる親戚のお兄さんを見上げ、心の中で舌打ちをした。
『アタマちゃん久しぶり!大きくなったね!!』
それが、玄関先で目が合った時の第一声だった。
アタマの両親は、一応ではあるが過去の出来事を覚えている。
だが、彼らの中ではすでに『子供同士の戯れの一幕』とされていた。
(いや、そうしておいた方が楽ってだけなんだろうな。変にギスギスしたくないだろうし、皆にとっては、とっくの昔に過去のものなんだから……)
もやもやと鬱屈した思いを抱えながら、アタマはくーの頭を撫でる。
リビングを埋め尽くさんばかりの花の量に驚き、急いで『OFF』に切り替えた。
「本当、ご無沙汰しています。それにしても、暑いですね――」
お兄さんの口から聞こえてくるのは、当たり障りのない言葉。
アタマは首を傾げると、もう一度くーの頭を撫でる。
やはり、先程と同じように花畑になった。
(……ああそっか。私、お兄さんの何もかもが嫌なんだ。罵詈雑言じゃなくても、声だけでも聴くのが嫌。頭を掻く音も、湯呑みをテーブルに置く音も……)
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
その言葉を、アタマは心の中で咀嚼した。
今すぐにでも、部屋に戻ってロべチューブでも見ていたい。
理不尽に鼻で嗤ってきたこいつに時間を割きたくない。
(許袁呂さんの話じゃないけど、もしあの時、妹さんが不治の病に罹っていて、それで私が『星』を渡していたら、この人はどう言ったんだろう)
それでも、喜ぶ妹を前に「綿と布だろ?」と言ったのだろうか?
気落ちして、命を縮める可能性だってあるのに。
それでも、『正論』を選ぶのだろうか?
逆に、若気の至り、だって表六さんが、と言って逃げるのだろうか?
どうであれ、自分の所為だと認めはしないだろう。
考えたって仕方ない、と思いつつアタマは眉を顰めてしまった。
(全部、私の妄想でしかないのは百も承知だけど、でも、幼い妹さんや私に言い放てたんだから、そのあたりの分別がおかしくても不思議じゃない)
思い返せば思い返すほど、苛立ちが募る。
同時に、好青年然とした顔で両親と話すお兄さんを恐ろしく感じた。
(笑顔の下で、お父さんとお母さんが見下されていたら嫌だなぁ。……いや、心の中だけならいいけど、それを他の人に言ったりとか……)
お兄さんの交友関係を知らないだけに、アタマは不安を募らせる。
スノドロで呟かれたら、と嫌な想像が頭をもたげてしまう。
(お兄さんも炎上は怖いだろうから、そこまではしないと思いたいけど……)
アタマは考えることを止め、力をOFFにした。
聞きたくはない。
だが、全てが聞こえないとなると、OFFにするしかない。
(話しかけているのに無視した、って思われるのも嫌だし。……なんというか、この力も万能じゃないのね)
そう思った瞬間、アタマはハッと我に返った。
次いで、「今、とても失礼なことを考えてしまった」と後悔した。
(ちょっと前まで、嫌な音が聞こえなくなるだけで喜んでいたのに、これ以上を望むだなんて罰が当たるよね。私の使い方がダメってだけだ……)
許袁呂に心中で詫び、アタマは斜め前に座っているお兄さんを見た。
先程と変わらない爽やかな笑顔で、父や母と話をしている。
「実は、付き合って一年半の彼女がいるんです。今はお互いに仕事があるけど、ゆくゆくは結婚できたらいいなと思っていて」
(ふーん、結婚かぁ。彼女さんは、お兄さんの『正論』を受けたことがあるのかな?それとも、結婚した後で徐々に出してゆくつもりとか?)
会ってこともない彼女に、不安と同情を覚えた。
同時に、「もしかしたら似た者同士なのかも」とも思う。
(まっ、別にどっちでもいいか。結婚式とかに呼ばれるのは嫌だけど。最近は、写真だけ撮って終わりの人たちもいるらしいって、お母さんが言っていたけど)
結果として、お兄さんは「式にはぜひ」とは言わなかった。
言い忘れたのか意図的なのかは分からない。
話題は、妹のことに移っていた。
学校ではいつも一人で、友達と遊ばず本ばかり読んでいる、と。
(あんなに活発だったのに。ああでも、このお兄さんの家族なんだもんね。お爺ちゃんっていう守ってくれた……叱ってくれた人が亡くなってだいぶ経つし)
大人しい子に育ったのではなく、大人しい子にさせられたのでは?
それも、張本人でさえ気づかない、真綿で首を締めるようなやり方で。
アタマは、「困ったもんです」と笑うお兄さんから目を逸らす。
そして、気がつくと「別にいいんじゃないですか?」と口にしていた。
だんまりだったアタマが口を開いたことに、お兄さんは驚く。
が、そんなことはどうでもよかった。
「私も、小学校から今日まで一人でいることが多かったです。むしろ、そっちの方が気楽でした。お兄さんのような人からしてみれば、あれかもしれませんが」
自分でも驚くくらいに棘のある言葉。
両親も、呆けたように口を開けてアタマを見つめている。
(でも、私はこれ以上のことを言われたんだから、構わない筈よね)
くーの頭を撫で、「ふう」と溜息を吐き出す。
目の前に、ぽん、ぽん、ぽんぽんぽん、と花が咲いてゆく。
きっと、大人げを含んだ棘のついた言葉を吐いているんだ、と思った。
その証拠に、両親の顔はどこか焦りを滲ませている。
だが、彼らの言葉や椅子の擦れる音も、全て花になってしまう。
(お兄さんが帰ったら、絶対怒られるだろうなぁ。……でも、別に構わない)
アタマはのびのびとした気持ちのまま、現れては消える花を見つめていた。
■
後日、妹からアタマに「ありがとう」と手紙が届いた。
兄が帰ってくる度に言われて嫌だった、と。
(良かったぁ。……てっきり、まだ家で暮らしているもんだと思っていたから、家族に当たり散らしていたらどうしようって思っていたんだよね)
机の中に手紙を仕舞い、アタマは部屋を出る。
お兄さんが帰った直後、アタマは案の定怒られた。
だが、過去の負い目が少なからずあったのか、そこまでひどくはなかった。
その事実に、アタマは胸を撫で下ろした。
今では、お兄さんが来る前と同じ日常へと戻っている。
対して、アタマはそうではなかった。
(いくら声や音が聞こえなかったからって、かなり大胆だったな……)
お兄さんに言い返した日を思い出し、心臓が早鐘を打つ。
胸がすくような気持は、確かにある。
だがそれ以上に、得体の知れない恐怖心があった。
(なんて言えばいいんだろう、タガが外れちゃったというか、一線を越えちゃったというか、……お兄さんと、『同じ』になっちゃったというか)
上がるべきでない『同じ土俵』に上がってしまった。
そう思えば思うほど、アタマの中で自己嫌悪が頭をもたげてくる。
(これからは気をつけないと。気分が高揚するままに行動して、誰かを傷つけてしまったら大変だ。力はちゃんと使わないと……)
胸に手を当て、アタマは大きく頷いた。




