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灯台の魔法使い  作者: 有凪いちほ


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6/22

ディナー

 着いたときには、夕陽はさらに深くなっていて、光の届く世界の全てをオレンジに染め上げている。

 そこは村の家が集まっているところから少し外れた場所だった。今クラムの目の前にある建物は、村にある家々とほとんど同じだが、立て看板が立っている。

(お店かな、また誰かに会うんだろうか)

 何かわからず先生を見ると、クラムを促すように見て、建物の階段を登っていく。そのまま戸に手をかけると、開けて入っていってしまった。慌てて、開いたままになっている扉に向かう。

 中に入ったところで、先生は待ってくれていた。夕陽と同じような暖かな色の電気で照らされた中は、木と、おいしそうな香りがした。

「いらっしゃいませ」

  奥から人が現れ、丁寧なお辞儀をしてくれる。思わずクラムも頭を下げながら、ここがどこなのかわかった。

「お待ちしておりました、こちらへどうぞ」

  その人は先生の杖を預かりながら、私たちを招き入れてくれた。久しぶりに聞く、都の人々の言葉。

 案内を受け先に進んでいく先生の背中を、クラムはついていく。

「こちらでございます」

  通された部屋の中には、窓に面した大きなテーブルがあった。イスはそれを挟んで置かれている。白いレースのテーブルクロスが敷かれた上には、蝋燭がいくつか点っている。

 クラムは再び隣に立つ先生を見た。杖を受け取った先生は、穏やかな目を向ける。

「どうしたんだい?」

  そうグラスバードが問いたのは、クラムの瞳が不思議に揺れていたからだ。クラムは自分でもわからないまま、静かに感動していた。それはまるで、朝霧の掛かる湖に、陽が輝くのを見つめるように。

「座ろうか」

 そっと促され、席に着く。蝋燭の火が瓏々と揺れている。

「この蝋燭の火、先生の火に似ていますね」

  ぼうっと見たまま発していた言葉に、先生が少し目を見開き、そうしてクラムが気づいたのを喜ぶよう笑顔になる。

「これはね、私の火にかなり近い系統のものなんだよ。祖先が同じというのかな」

 先生が火の方に手をかざすと、炎が少しだけ大きくなる。先生の低く穏やかな声を聞きながら、今までになく心の溶けるのをクラムは感じていた。

「ここって、レストランですよね」

 先生が「そうだよ」と頷く。服をプレゼントしてくれたのも、ここへ来るからという理由もあったのだろうか。さっきのお店の人の反応からして、ここに来るのは決まっていたようだし。

 部屋へウェイターが入ってくる。グラスと水の入ったボトルを持って来て、目の前で注ぐ。クラムが座ったままお辞儀をすると、にこりと笑ってくれた。

 グラスを手に取り、一口飲む。冷たすぎない水が、体を驚かせることなく喉を滑り落ちていった。

「村にこんなお店もあったんですね」

 両手でグラスを持ち、親指でガラスの表面を撫でる。正面で先生も同じようにグラスに口をつけていた。

「二年ほど前からだったかな。ほとんどないのだけれど、たまに観光だったりでこの辺りを訪れる人間もいるからね。それ用なんだよ」

 クラムはへえと頷く。今まで会ったことはないけれど、そういう人たちもいるのか。

「何か観光する場所や有名なところがあるんですか?」

「特には無いはずだけれどね。ああいうのは、勝手に外の人間がああだこうだと言って始まるものもあるから、その土地に住んでる人間からすると、よくわからないものなんだよ」

 なるほど、とクラムは思う。

「まあ、本当に年に十人もいるかいないか、というところらしいから、今のところは本当にただもの好きがいる、というだけかもしれないけれどね」

  言い終わって先生は、また一口水を飲んだ。先生はあまり人が好きじゃないから、観光客は増えない方がいいと思ってるかもしれない。クラムとしては、村の穏やかな暮らしが守られ続ければ良いなと思う。

 二人が話していると、ウェイターが料理を持ってきた。白いお皿を二つ持っていて、先に先生の方に、次にクラムの前に置いてくれる。大きなお皿の中央に、まるで絵画のように美しく料理が並んでいる。

「前菜でございます」

 ウェイターは料理や材料の説明をすると、浅く一礼して戻っていく。クラムはフォークとナイフを持ちつつ、もしかしたらここは、お店の雰囲気以上に良いところなのでは、と感じ始めた。先生を見ると、綺麗な所作で料理を口に運んでいる。絵になる人だなと思いながら、クラムも一口大にした料理をフォークに刺した。

 こういう場所で先生と食事をするのは初めてだけれど、正直先生が食事のマナー的な所作に覚えがあるのは意外だった。確かに物知りな人ではあるから、知識として知ってはいるのかもしれないが、人間社会が作ったルールには興味がないというか、あまり好まないと思っていたから。

 最初に来た料理はムースやゼリーと野菜が層になっていて、口に含むと冷たく自然な甘さが口に広がった。

「おいしいかい?」

  クラムの様子に先生が尋ねてくる。頷き、「おいしいです」と言葉にする。

「先生、レストランに行くことがあるんですね」

  意外だと思われるのはわかっているようで、「そうだね」と答え、続けてフォークが前菜に向く。

「まあ、ごく稀にね。この店は、古い知り合いが開業に携わっているから、その伝手で少し付き合いがあるんだよ」

  クラムはその言葉に先刻の会話を思い出す。

「それは、さっきの火の祖先が同じ……というのですか?」

 「そうだね」と答え、先生はまた料理を口に運ぶ。クラムは少し考えるようにしながら、残りを口に運んだ。

 お皿の上から料理がなくなると、その頃にはグラスの水も少なくなっていて、クラムは窓際に置いてあったボトルを手に取った。

「先生も、水いりますか?」

 クラムの位置からは、テーブルの蝋燭で先生のグラスが見えなかったので尋ねた。

「いや、私は大丈夫、自分で注ぐよ」

 そういったことを遠慮されるのは珍しかったので、少し首を傾げると先生は笑った。

「今日は、そういう日だからね」

 それがどういう意味か、まだクラムにはわからない。自分の分にだけ、グラスに水を注いだ。

 次に来たのは焼魚のスープと、付け合わせのパンだった。付け合わせとは言っても、お店の石窯で焼いているようで、焼きたてのパンは小麦の香りを強く感じた。

 小さくちぎったパンと魚のスープとを交互に頬張っていたが、ふと目線を上げると、先生が蝋燭をじっと見ていた。クラムが目をやったことに気付いたように視線が交わり、少し微笑むと、食べる手を動かす。

「何か、考え事ですか」

「いや……うん、そうだね」

  歯切れ悪く返事をしながら、スープを口へ運ぶ。その様子では味もしないのではないかと思って、自分のスプーンで掬った黄金の海を見ながら言う。

「気になることがあったら、言ってください。せっかく美味しい食事ですから、何も気兼ねなく食べて欲しいですし」

  そう言ってスープを口に流すと、芳醇な香りが鼻に抜けていく。それを楽しんでいると、先生はクラムを見てクスリと笑い、料理を口に運んだ。

 先生が話し始めたのは、メインの肉料理を食べ終えた頃だった。次はリゾットだな、と、テーブルの上のメニュー表を見ながら考えていた。

「もう一年になるね」

 先生の言葉が何を意味するかは、一瞬の間を置いて思い当たるものがあった。

「私が来て、ですか?」

  先生が頷くのを見て、窓の外を向いた。暗い世界の中に、村の明かりがポツポツとあるのをぼんやりと見つめる。

「色々ありましたね」

 初めて出会った頃から、過ごした日々の記憶が巡っていく。先生とこんな風に過ごすようになるなんて、思ってもいなかった。

 リゾットが届き、お皿をそっと置いてくれた後に軽く頭を下げる。スプーンを入れると柔らかいチーズがとろける。

「私、先生には嫌われてると思ってました。しばらくずっと」

  どのくらいの期間そう思っていて、いつから思わなくなったか、考えたことがなかったので記憶を巡らせる。

 リゾットは、口に含んだ瞬間、熟成されたチーズの香りと甘さが口に広がりとろけた。クラムがほのかに笑う。じっと自分のリゾットを見ていた先生が、真っ直ぐにクラムを見た。

「最初の頃は、すまなかったね。でも誓って言いたいのは、キミを嫌いだったことはないということだよ」

 声色の真剣さに、クラムは頷く。先生もリゾットを食べ始め、おいしさに私を見る。おかしくて笑顔になる。

「わかっています。先生が嫌いなのは、協会でしょう?」

  嫌味でもなんでもなく、事実だった。たった一年だが、これだけ一緒に過ごしていれば感じることだし、先生も隠そうとしていない。クラムにとって協会が大事なものであるとしても。

 それでも、クラムは先生のことを嫌いではない。守る対象として命を受けているからだとしても、それとは違う部分で。暮らしや所作や、自分に対する変化を感じて、クラムは先生のことは嫌ではないのだ。

 それに、と正面を見る。同じ食事を楽しむ先生がいる。今の穏やかな時間とは考えられないものが、先生の中には存在していて、その過去や時間を私は知らない。先生の感じてきたものはわからないが、その中に協会と何かが起きたのだ。それに……

「先生は、とても長く生きているんですよね、きっと」

  帰ってから、という話だったが、切り込んだ。多分ではあるけれど、今日はこういうことを話す日なんだと思っていた。

 クラムよりずっと長く生き、協会と関わってきて関係を築いている人に、言えることは何もない。先生は静かな湖のように、穏やかだった。

「そうだね、……もう、二百年ぐらいになるかな」

  これでも、魔法使いにしては若い方なんだよ。と、静かに笑った。

「魔法使いというのは、勝手な呼称だけれどね。きちんと伝えるなら、『自然と契約をした者』とでもいうかな」

  水を一口飲み、食事を続ける。

「私が自然の中でも、何と契約しているか、わかるかい」

 クラムは思い当たるものを口にした。

「……火、ですか」

  先生はニコリと笑う。正解ということだ。先生は紺の瞳で卓上の蝋燭の一つを見る。自分のものに近いと言っていた炎が揺れる。

「火は自然のものだが、人工的なものでもある。契約は少し難しくて、皆誰かに師事して継ぐ形で契約をするんだ。……私にも、師匠となる人がいた」

  先生は炎の向こうに、遠くの記憶を見ている。

「……これだけ長く生きて、わかったことがある」

  言葉と声は、独り言だが、クラムに届くためだけに紡がれる。

「師になる者は、いつか手を離すなら、弟子になる者に自分を深く愛させてはいけない。師を愛する心は、その子の縛りになるから。私の師は、そうしないでくれた」

 そう言う先生の、窓の外の光の灯る闇を見る目は、少し懐かしいような、寂しそうに見えた。

 空になった皿をウェイターが片付けていく中、食後のデザートについて問われた。

「コーヒーか紅茶が付きますが、どちらになさいますか?」

 クラムはコーヒーを、先生は紅茶を頼んだ。ウェイターが一礼して戻っていく。静かな空間になり、先生はまだ窓の外を見ていた。クラムにはわかっている。さっきの先生の言葉には、クラムのことも含まれている。今日はそういう話をする日なのだ。先生がそう決めているようだから。

「キミが、使命があるから、世界に一人で立つことができているのはわかっている」

 心中でコツコツと音が鳴る。小さいが、確実に鳴っている。

「キミが役目を持ち、仕事をして、社会の中でも一定水準以上の金を稼ぎ、生活ができるのも、そこまで育てたのが協会であることも、君を壊したのが社会であることも、わかっている」

 それが鳴るのは、こわいことではあった。自分の心の深いところ。そこで音が鳴っている。先生の言葉に。

「協会がそういう場所だと、私は知っているから」

 クラムは先生を見た。先生もまっすぐにクラムを見ている。

 次の瞬間、ふっと電気が消え、暗くなった。思わず上を見る。パチパチと音がして、出入り口の方を見た。ウェイターの手の上で小さな花火が弾けている。

 目を瞬いていると、卓上にそのお皿は置かれた。まだ花火は消えない。それはケーキだった。綺麗に飾られ、花びらが乗っている。

 思わず先生を見た。先生は「キミのものだよ」という風にケーキをクラムに目で促す。

「……覚えてたんですか?」

  先生は少し目を開いてから、もちろんと頷いた。

「私としては、キミが覚えていた方が意外だけれどね」

 笑顔を見せる先生の言葉に、クラムはケーキを見た。

 それは半年ほど前の冬の日のこと。クリスマスのお祝いをしていたときだ。そのころは、やっと自分から先生に対して心を打ち解けられるようになった頃で、今までの分を取り戻すようによく話していた。

 クリスマスが誰かの誕生日である、ということについて、テーブルに豪華な食事を並べて話していた。

「自分の誕生日がこんなにお祝いされたら、幸せでしょうね」

「キミも誕生日が来たら、このくらいの食事を出してあげようか」

  クラムは笑った。

「無理ですよ。私誕生日わからないですから」

 先生が食事を並べる手を止めてクラムを見た。クラムにとっては気にしていないことだ。そう思うことにしている。

「協会ではどうしていたんだい?」

  今度はクラムの手が止まる。協会では『子供たち』の誕生日をみんなでお祝いする。協会に関わる者として、そのことを先生も知っているのだろう。テーブルを見つめたまま、意識は記憶の中へ巡った。

「協会では、そこでの『先生』が、初めて出会った日を誕生日としてお祝いしてくれていました」

  グラスバードはクラムの方を見ないまま、苦い顔をした。聞くべきじゃなかった、そんな顔を。しばらく無言で二人とも食器に触れていたけれど、先に口を開いたのはグラスバードだった。

「ではこれからは、キミがここに来た日を、そうすることにしようか」

  クラムは先生を見て手を止めた。先生はクラムを見ない。どんな気持ちでいるかはそのときはわからなかった。今思えば少し、照れていたのかもしれない。提案してくれた理由はわからないが、その気持ちは嬉しかった。

「……出会った日もいいですけど、もしよかったら、この家で暮らすことになった日がいいです」

  クラムへ目線をあげたグラスバードに笑いかける。それはつまりクラムにとって、先生が守ることを許してくれた日だ。

「……そうだね、そうしよう」

 微かに笑ってくれた。そうだ、このとき先生はまだ、笑い慣れてないような笑顔を見せていた。

 答えてはくれたけど、その約束も、その日がいつだったかなんてことも、先生にはもうわからないだろうと思っていた。だからそのときはただ、受け入れてくれたのが嬉しかった。


 花びらの乗ったケーキを一欠片、フォークに刺す。口に入れると、甘さがふんわりと広がって、目を細める。先生がクラムを見て嬉て口の端を上げる。

「おいしいかい」

 頷いて答える。先生は運ばれてきた紅茶を手に取り、香りを楽しんでから一口飲む。

「今日はそういう日、か」

 呟いて、クスリと笑う。クラムの呟きは先生にも届いていて、片眉をあげて、またカップに口をつける。ふわふわのスポンジにフォークを入れる。

「私先生のところに来れてよかったです」

 本心から言ったが、先生は照れているのか揶揄う。

「ケーキに釣られてるんじゃないだろうね」

  違いますよと不貞腐れると、簡単すぎて危ないから他のところにはやれないね、と続けて紅茶を飲む先生に、クラムは笑った。

 デザートを食べ終わった頃、先生は箱を一つテーブルに置いた。綺麗な装飾の施された箱で、模様はどこか今着ている服の細工に似ていた。

「開けてごらん」

  先生に促され、箱を手に取る。蓋を開けると、中に入っていたのは革のグローブだった。思わず先生を見る。

「これは落ち着いて私から渡したかったからね、アンジェリカの店では渡さなかった。一年もかかってしまったが、本当はもう少し前から注文してはいたんだ。良い革が見つからなくてね」

 グローブを渡すというのは、協会の人間にとって、「自分を守るのにふさわしい強さを持つ人」に対しされる行為である。つまりは名誉なことだが、クラムは腑に落ちないことがあった。

「先生は……私がこの仕事をしているの、辞めさせたがっていますよね」

  今まで直接尋ねたことはなかったが、つい聞いてしまった。グローブを渡されるというのはそのくらい重大なことだった。少なくとも、クラムにとっては。

 先生は、自分の考えが伝わっていたのが意外だったのか黙ってしまう。だが観念したように、ふうっと息をついて椅子の背にもたれた。

「そうだね。私はキミにその仕事を辞めて欲しいと思っている」

 クラムが「それは」と口を動かすより、先生が「だが」と切り返す方が早かった。

「それは私の考えであって、キミに影響を出すべきではないと思っている。少なくとも今の時点では」

 クラムは手袋をギュッと握り見つめ、唇を噛む。

 本当は知っているのだ、一年も一緒に過ごしていれば。先生に本当は協会の人間の守りなんて必要ない。そのくらい強く、先生の火の力は別格だ。だから協会の人間がいない間だって一人でやってこれた。必要ないのだ、本当は。

 なら、ここに協会の人間が来て、先生を守る体裁を作る理由は。先生がすべてわかりながら守られるフリをし続けてきてくれている理由は。クラムが考えて思い至っている答えは現状一つだった。

 (協会の力を守るため)

 さらに強くグローブを握る。クラムは珍しく、ショックを受けていた。

 協会は強い善性の世界だ。

 世界は美しく、すばらしく、人は優しく、思いやりを持ってできている。

 アーバンリキュガルのみが悪であり、我々は賢人を守るために生きている。私たちが存在する理由。

 その結果の先にあるのが、こんな、打算的な世界の仕組みだということが。

 クラムはふと思い出す。クラムは本が好きだ。だが協会にいる間は訓練と勉強の日々で、本を読む時間や本そのものがない生活をしていた。先生の家にはたくさんの本があり、時間のあるときによく読むようになった。その本の一節にあった言葉だ。

「人生は諦めでできている」

  その言葉を、窓から降り注ぐ午後の光の中で読んだとき、「そんなことはない」と思った。そういうこともある、とさえ思わなかった、絶対にないと思ったのだ。いや、思いたかった、のかもしれない、と今では思う。

  クラムはグローブを握りしめたまま、窓の外を見ている。

「私は……先生を守ります」

  独り言のような宣言。先生がクラムを見て何を思っているかはわからなかったが、同じ窓の外を、星の光る夜の空を見上げた。


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