仰ぐ空より
生きるって、どういう事だろう。
きっとその疑問に、多くの人たちが頭を悩ませてきたんだろう。
でもあたしは、それほど深く考える必要はなかった。
あたしにとって
生きるとは
死ぬまでの、ほんのわずかな猶予でしかなかったから。
================================
あの日。
自分以外の女の子たちは、身も心も壊された末にバラバラに刻まれた。
もはやその亡骸は、人間だったとは思えないほど細切れにされていた。
あたしもこうなるんだ。
もうすぐ。
その瞬間、あたしの心は死んだ。
体より先に、心が死を受け入れた。
そう思わずにはいられなかった。
だけど。
あたしは死ななかった。
あたしを救ってくれたのは
女の子たちの体を切り刻んだ、人の形の何かが崇拝していたもの。
名を魔王ガンダルクと言った。
彼女は
人の形の何かを
一瞬で
人の形ではない何かに変えた。
そして
あたしを見た。
その顔は
その顔に浮かんだ表情は
殺されたお姉ちゃんの
最期の顔に似ていた。
そうしてあたしは
死から引き戻された。
その後の日々は楽しかった。
楽しかったけど
短かった。
別れの日に
それまでのいつよりも強く思った。
あたしの命は
この人のためにあるんだと。
================================
食事を終えた皆の語る思い出話も、さすがに一段落していた。
「飲み物入れ直してきますね。」
そう言ってアルメダが立ち上がる。あえて誰も手伝わなかった。
今日という日に限り、それが野暮な事だと分かっていたからだった。
寂しくないと言えば嘘になる。
それでも、決して哀しくはない。
発つ前の日だからこそ、アルメダのやりたいように任せる。
最初から決めていた事だった。
================================
「さあて、じゃ餞別でも渡すか?」
そろそろお開きという段になって、ルクトがそんな事を言った。
よほど意外だったのか、トッピナーもラジュールも目を丸くする。
「え?」
「そんな話でした?悪いけど準備も何も…」
「いや冗談だよ。」
「なあんだ。」
あわてて発言を撤回するルクトに、アルメダ含めた皆がため息をつく。
らしくない冗談発言は、冗談として捉えるのが難しかった。
「まあ今さらだよね。んじゃあ…」
「ちょっといいですか。」
トッピナーの言葉を遮り、控え目に挙手したのはレムリだった。
いつもは聞き役に徹する彼女からの発言に皆、興味深い視線を向ける。
「ああ、うん。」
「珍しいね。」
「どうした?」
「せっかくの機会だから、あたしも少し昔話をと思って。」
「へえー、そりゃ聞いてみたい。」
「うん。」
「是非に!」
確かに、極めて珍しい話だった。
レムリは今日まで、聞かれない限り過去を語ろうとはしなかった。
別に心を閉ざしているとか、そんな闇深い話ではない。問えば答える。
自分から話題にしないというだけの話だった。
彼女はレムリだ。
ようやくその事実を受け入れられるようになってきた、今だからこそ。
皆、そのままの気持ちで彼女の方に向き直る。
「それでは。」
控え目な笑みを浮かべて、レムリはゆっくりと語り始めた。
================================
「実のところ、百年も経っているという実感が未だに湧きません。」
想像に反し、話の出だしは実に普通だった。
「田舎育ちで、そもそも世間知らずだったというのもあるんですが。」
「あー、そうだったわね確か。」
トッピナーがそう言って頷いた。
小村だった彼女の故郷は、現在では完全に消滅してしまっている。
「まさかこんな事になるとは、本当に夢にも思いませんでした。」
「まあ事故みたいなもんだからな。転生術が解けたのは…」
「いえ、そういう意味ではなく。」
ルクトの言葉を遮り、レムリは少し語調を強めた。
「まさか百年以上、ガンダルク様がこのままでいるとは思わなかった。
あたしたちは、本当にそんな展開は予想しなかったんです。」
「たち?」
『ええ、その通りです。』
専用の台座に突き立てられた二番刀のアミリアスが、そこで口を挟む。
『せいぜい数年か、長くても十年は超えないと思っていましたから。』
「…どういう意味だよ。」
ルクトが怪訝そうな声で問う。
「転生した後は不老だろ?だったら別に歳月なんか関係ないんじゃ…」
「もっと早く亡くなると思ってたんです。つまり、死を選ばれると。」
「え?」
きょとんとするアルメダに、レムリは苦笑を返した。
「自分の境遇に絶望して死を選ぶ。あたしはそれまでの繋ぎ。最初から
そういうつもりだったんですよ。」
「…ガンダルクが自殺すると思ってたのか?」
『ええ。あたしも彼女もそう思っていました。冗談ではなく本気で。』
アミリアスの口調には、冗談めいた響きは一切なかった。
『ガンダルクの生前の強さはご存じでしょう。正直、あの体を失って
人間に転生して、絶望しないわけがない。自分がレムリの体を得た事を
知れば、すぐに死は選ばない。でもいずれは限界が来るだろうとね。』
「じゃあ、何でそこまで分かっててガンダルクを転生させたんだ?」
ルクトの声に険しさが宿った。
「その考えが当たってたとすれば、苦しめるだけじゃねえか。」
『もちろん否定はしません。』
「だったらどうして…」
「時間が必要だったんですよ。」
ラジュールの言葉を遮り、ひときわ強い口調でレムリが言い放った。
「もう一度転生するための時間が、どうしても必要だったんです。」
================================
しばしの沈黙ののち。
「…何だよ、もう一度転生するってのは。」
ルクトの顔には、形容し難い表情が浮かんでいた。
『言葉の通りですよ。レムリの体に宿ったガンダルクが死ぬと同時に、
もう一つ用意した体に転生させる。今回はかつての魔人の体を模した、
魔術錬成の肉体です。…もちろん、以前ほど強大ではありませんが。』
「……………………?」
『グレインの侵攻は速かった。別の肉体を用意するのは間に合わない。
だからこそ、数年でいいから彼女の中で我慢していて欲しい。我々は、
最初からそういう心づもりで転生を行ったんですよ。』
「…本当か、レムリ?」
「ええ。」
ルクトの問いにレムリは即答した。
「少なくとも数年。それだけあればアミリアスさんは体を錬成できる。
可愛がってくれたあたしの命なら、ガンダルクさんはその程度の価値は
見出してくれるはず。そう信じて、あたしはこの身を差し出しました。
間に合う事を願いながら。」
「マジかよ…」
額に手を当て、ルクトは絶句した。
トッピナーもラジュールもアルメダも、言葉を見つけられなかった。
この子は、そんな悲しい覚悟をしてガンダルクに身を捧げたのか。
最初から死を受け入れていたのか。
だったら…
……………………………………
「え?ちょっと待って。」
そこでトッピナーが口を開いた。
「じゃあ結局、ガンダルクの新しい体ってどうなったの?」
『もうとっくの昔に、完全に朽ちてしまいましたよ。』
そう語るアミリアスの声は、何とも形容し難い響きに満ちていた。
『ガンダルクは死ななかった。このあたしに会えない状況にもめげず、
役に立たない連中を連れて戻っては守護者と戦わせていました。』
「あれは想定外だったのかよ。」
『まさかガンダルクが、百年以上もあのまま生きるとは思わなかった。
ほぼ3年で完成した魔人の肉体は、使う機会が来ないまま朽ちました。
いったい何をやってたんだろうと、心底馬鹿らしくなりましたよ。』
「時の流れだけは、このあたしにも感じられていました。眠りながら、
あたしも呆れてました。」
そう言って、レムリは笑った。
「ああ、あたしたちガンダルクさんを見損なってたんだなって。」
================================
長い沈黙ののち。
「…それで、どうなったんだよ。」
問うたのはルクトだった。
「魔人の肉体が朽ちた後で、お前はどうしたんだよアミリアス。」
『感知術を駆使して、ガンダルクがどんな事をしてるかを可能な限り
探りました。どこへ行くのか、誰と何をするのか。感知術の及ぶ限り、
彼女を知ろうと努めたんですよ。』
「…それで?」
『もうガンダルクは、魔人の体など欲しないだろうと確信しました。
たとえどこかで死ぬ事になっても、そんな転生は望まないだろうと。
そもそも時間が経ち過ぎて、もはや再転生を成せる自信がなかった。
だから…』
「だから何だ。どうしたんだよ。」
『とりあえず、人間の体を用意しておきました。レムリの体の情報を
解析して、ほぼ同じ肉体を錬成して「時止め」に似た術を施してね。』
「…どこにあったんだよ、それ。」
『もちろん、あの洞窟ですよ。』
「え?つまり…」
刹那。
不意に外が騒がしくなった。
================================
「見て見てウナクスさぁん!」
「でっかいフライドラグンだぁ!」
「おお、すげえな。」
「どこ行くんでしょうか?」
「運河の向こうに降りる気だな。」
「ええ!?」
「あの図体で!?」
呆れ顔の三人が、仰ぎ見る空に。
巨大な翼を広げたフライドラグン―――
グルークが飛来していた。
================================
喧騒は、彼方に遠ざかっていた。
何も聞こえない自分を、おかしいと思ったりはしなかった。
立ち上がるルクトは、誰の声も外の音も聞いていなかった。
ただ立ち上がり、入口の扉を開けて外に出て行く。
騒ぐ人たちも逃げ惑う子供たちも、舞い上がる土埃も。
すぐ目の前に降り立つ、グルークの羽ばたきさえも。
彼の耳には何ひとつ届けなかった。
聞きたい音は
声は
たったひとつだけだった。
「にゃははははは!ルクトオォ!!ただいまぁ!!」
屈み込むグルークの巨大な背から、迷いなく飛び降りた小柄な少女。
さっきまで語らっていたレムリと、全く同じ顔を持つ黒髪の少女。
その体を、ルクトはしっかりと両手で受け止めた。
乾いた喉から、それでも叫ぶべき名を渾身の力で吐き出す。
「ガンダルク!!」
「愛してるよ!!」
下手な言葉は必要ない。
抱き合う体越しに伝わる、お互いの温もりと鼓動。
それさえ確かなら、他に何も望みはしなかった。
それはよく晴れた、アルメダ出発の前日の事だった。




