未来×明日
夢の出口で手をかざして現れたノブを捻る。
そして戻ってきた夢の狭間。
「なるほどね。ああ、この場にアキがいなくてよかったよ。そんな下品な話聞かせられない」
「下品だなんて失礼ね。あんた達がそれなりの欠点を抱えているように、私の体も一カ所ガラクタだったっていうそれだけの話」
どうやらオーレはうまく話題を変えて、女自身……サキュバスだと言っていたっけ。
そのことについて色々聞いているらしい。
そして、あたし達が戻って来た事には二人とも気が付いていないようだ。
あたしとバクは扉の影に隠れたままで、二人の会話を盗み聞く。
「しかし……君も人間なんだろう? なぜ、そんな……趣味の悪いことを。目的を果たすにしても、もっとまともなやり方があるだろうに」
「大人の事情ってものがあるのよ。……お子様に語ってあげるおとぎ話なんてないわ」
実年齢でいえば、オーレはかなり年上だと思うんだけどな……。
あの女が現実と夢の世界を行き来しているなら、体の成長……いや、老化か。
それが止まっているとは考えにくい。
「ま、別に隠す事でもないんだけども……いいわ、教えてあげる。サキュバスの素質は『現実じゃ孕めない女』」
女のその台詞の途中で、バクはあたしの耳をいきなり塞いだ。
いやでも……普通に聞こえてるんですけど。
「愛する人の子を孕めないのなら、種を借りるしかない。サキュバスとして奪った種なら、愛する人のものに変換できる……でも、そんな不本意な方法を取るしかないのなら、せめて楽しめる方法で搾取したっていいでしょう?」
「でもだからって、いちいちフられた直後にいきなり現れて襲うってのはちょっと……同じ男として、代表して言わせてもらおう、ドン引きだよ!」
「うるさいわねぇ、一番落としやすいし、ヘコんでるから攻めやすいのよ!」
と、その途中の会話でバクはあたしを引っ張るようにして二人から距離を離すべく歩きだした。
……うん、たぶんあの会話を聞かせたくなかったんだろうな。聞こえてたけど。
腕を引かれつつそれについていきながら、あたしはぼんやりと考えた。
あの人も可哀想なのかもしれない。
子供が欲しいのに、できなくて、サキュバスとしての力を使えば、子供が出来るかもしれなくて……。
そしてちゃんと愛する人との子供として授かることができても、実際は夢の中で襲った相手のもので。
なんだかとてもイビツだなぁ、と思った。
そんなイビツな性格してるから、悪魔としての力を宿しちゃったのかもしれない。
子供できたらどうするんだろ。
サキュバスとして夢に来るの、やめるのかな……。
と、そうして暫く歩いたところで、バクは立ち止まって振り返ると、あたしの腕を離した。
あの夢から出てきてもフードは脱いだままだったので、少し乱れた前髪の間から金色の瞳が覗く。
感情の読めない仏頂面なのはいつも通り。
しかし、次に彼の口から告げられた言葉に、あたしは唖然とする。
「亜紀は……やっぱり、次の『素質持ち』が来たら核を奪って。その時は俺のことも『貘』のことも……お願いだから、気にしないで」
そう言いきったバクは、少しだけ寂しそうに笑った。
それじゃ意味がない。
あたしだけなんて……そんなの、嫌だ。
「ちょ、いきなり何言ってんの!?」
「いきなりも何も。もうそれしかないでしょ。少なくとも俺を『貘』にさせた人とは会ったことがないし、『貘』からなんらかの形で解放されるのは本当だと思う」
何でもないことのようにさらりと言ってのけるけど、ついていけない。
そんなことしたら次の犠牲者が出るし、そもそも――。
「あたしは……バクと『一緒』に、『生きて』現実に戻るんじゃないと、やだ」
「もう一度言うよ。お願いだから、俺のことは考えないで決めて」
バクはかたくなだった。
その真剣な表情から、決して冗談で言ってるわけじゃないってことがわかる。
でも……考えないでだなんて、無理に決まってるよ。
「亜紀は、明るい希望を持って現実に戻ろうって気持ちがある。俺は戻りたくないからいいんだよ。だから、考えないで」
少し悲痛なものを含んだその声に対し、あたしはぶんぶんと首を振って拒絶した。
どうしても、バクは現実に戻りたくないみたいだった。
あたしが居てくれればそれで幸せ、とか言っちゃってたくせに、なんなの?
それなのに、あたしはひとりで戻っていいだなんて言うの?
ほんと、馬鹿。
なんでいざって時は自分の優先順位下げちゃうわけ?
今更バクを置いてあたしひとりのうのうと幸せになんてなれない。
誰かが記憶でも消してくれない限り絶対に、バクの存在は永遠にあたしの心に引っかかる。
バクが、あたしがいないと幸せじゃないっていうのなら――。
あたしは両手をぎゅっと握って、バクの顔を真っ直ぐに見据えて、それから……はっきりとした声で、告げる。
「バクが現実に戻らないって言うなら……あたしはずっとここで、バクと『一緒に生きて』いく」
「だから、俺はもう死んでるも同……」
「バクだって生きてるよ!」
もうそんな台詞聞きたくない。
バクが言いきる前に、あたしはそれを遮った。
「こうして泣いたり笑ったり……ってそれはほとんどあたしだけだけど。心配してくれたり、怒ってくれたり……そういうのができるあたし達が死んでるなんて、思えない」
問題のすり替えかもしれない。
だけど……やっぱり、こうして心があるうちは死んでるなんて認められないから。
綺麗事かもしれない。
辛い真実から目を背けているだけ、って、あの女とかには言われてしまうかもしれない。
だけど、仮にあたしが現実で死んだことになっていたとして……。
――じゃあ今ここにいるあたしはなんなの?
「あたし、なんか分かったよ」
少しずつ、まとまらない考えを伝えていく。
あたしがあたしとして、ここに『存在』している。
それだけじゃ、生きてるって言えないんだろうか?
あたしが話している間、バクは静かに聞いてくれていた。
もしかしたらバクのことも悪夢のことも、それこそ全部ただの長い長い夢なのかもしれない。
でも……あたしにとっては、今こうして夢の狭間でバクと向き合っている今こそが『現実』だった。
元の『現実』にだって、戻れるなら戻りたい。
もしそれが叶わないというのなら……。
「『今のあたし』が死んでるなんて思えない。バクも死んでない。……先に戻れなんて悲しいこと言わないで、ずっと一緒にいようよ。ここでも、いつかは、『もとの現実』でも」
好きとか嫌いとか、そういうものさしを越えて、あたしはバクが大切だった。
大切な人を置いていきたくない。
悲しい顔で笑うバクなんて見たくない。
たどたどしく伝えた、あたしの精一杯。
それを全部ぶつけ終えたときのバクは、また――穏やかに薄く笑っていた。
「……分かった」
そう言って頷いて、バクは再びフードを被りなおす。
それからひらりと近場の扉に飛び乗って――『雑談』するときのお決まりのスタイルに。
「そうだね、なんか……亜紀に言われると、死んでないのかもって気がしてきた」
「うん、ってか普通に動くわ跳ねるわでめちゃくちゃ活き活きしてるじゃん。夢の中とかでさ」
反射するように、バクはくすくすと笑った。
声を出して笑うのも珍しいけれど、ここまで嫌味のない、純粋な『笑み』を見せてくれるのは初めてかもしれない。
それから足を組むと、どこか楽しげな顔であたしに問いかけてくる。
「……亜紀が居れば幸せ、って言葉の意味。さっきはぼかしたけど、教えてあげるよ」
さっきは『分からなくていい』とか言われた言葉。
あたしも意味が上手く掴めずにひっかかっていたことだ。
教えてくれるというのなら聞かせてほしくて、あたしは次の言葉を待った。
「言ったでしょ? 『こんな生活、ひとりじゃ気が狂いそうだけど』って。でも、亜紀が来てくれたから……」
そこで一度言葉を切る。
――あたしは、バクの存在に救われてきた。
ひとりじゃ気が狂いそうな悪夢の世界も、バクが傍に居てくれたから耐えられた。
もしかしてバクも――。
「感謝してるよ。たぶん亜紀が思ってるよりよっぽど、俺は亜紀に助けられてるから。精神的にね」
同じだった。
あたしがバクを頼って支えにしていたのと同じように、バクも――あたしの存在で、救われていたらしい。
「『もとの現実』に居た頃からろくに友達も居なかったし、孤独なんて慣れてると思ってたけど……亜紀が来てから、考えが変わったよ」
孤独でいて平気な人なんて、いるはずない。
ずっと一人でいることが当たり前だと……あくまで、『思いこんで』いただけなんだ。
もしあたしの存在によって、バクが『孤独じゃない』のが普通で、それが幸せであるということに気がついたというのなら――それは、嬉しい。
それにバクは、『生きてた頃』や『人間だった頃』といういつもの表現を使わなかった。
あたしが言ったのと、同じ言葉を使っている。
それもなんだか嬉しいと感じてしまうのは、おかしくないよね?
「正直……個人的な理由で『もとの現実』に戻りたくない俺は、『もとの現実』に希望を抱いて戻りたがってる亜紀を手放したくなくなってたんだと思う」
少しずつ覇気を失くしていく声。
いつも余裕で、淡々としていても物事ははっきりいうバクから……どこか、申し訳なさそうな気持ちを感じるくらいだった。
それから彼は少しだけ――本当にちょっとだけ――照れたようにぷいと視線を逸らすと、口ごもりながらこう言う。
「だから、なんていうのかな……ごめん。意地張ってたのは俺の方」
「バク……」
やっぱり、バクは優しかった。
いつも足手まといで、まともに役に立たないあたしのことを見放さないでくれているだけじゃなくて、ちゃんと対等に向き合おうとしてくれている。
謝りたいのも、お礼を言いたいのも、あたしのほうだし……何度言っても足りないくらいなのに。
「俺は……『もとの現実』に、ちゃんと戦おうって強い意思を抱くことから逃げてた」
今度は、はっきりと、どこか強い意思を感じられる声で告げる。
あたしの目を見ると、真剣な顔で――。
「いつか一緒に戻ろう、『もとの現実』に」
その言葉にまた、あたしは目頭が熱くなって……涙が溢れてくるのがわかった。
バクがやっと、『生きる』ことに対して前向きなことを言ってくれた――!
「あーもう、またそうやって泣くし……」
そう呆れ声でいいながらも、ひらりと扉から降りてあたしの頭をぽんぽんと撫でる。
反射的にしがみつくと、今度は軽くだけどそれを返してくれた。
「絶対だよ? 約束だからね?」
「正直あんま見られたくないけどね、なんていうかそのー……病弱で貧弱だし」
少し言いづらそうにしているのがおかしくって、あたしはついくすくすと笑う。
それに対してバクは穏やかな声で、こう言うのだった。
「それから、そうだ。教えとかなきゃいけないことがあるよね」
何だろう、と思ってあたしは少し体を放し、彼の顔を見上げる。
バクは、少しだけ楽しげな表情で笑っていた。
「俺の本当の名前は――」
まだもう少し続きます。




