第8話 剣聖と賢者(ニ)
だが、安堵する間もなかった。
「……まだいる」
パピーの声が、緊張を帯びた。
村の奥、崩れかけた家屋の陰から、新たな影が二つ、三つと湧き出してくる。
オーガー、さらに三体。しかも先ほどの五体とは、明らかに気配が違った。
三体とも、先程のオーガー達よりも、ひとまわり体躯が大きい。先頭の二体が手にした棍棒は、大木をそのまま削り出したような代物だった。
「オーガーメイジだ……!」
ティロネが叫んだ。三体のうち奥にいる一体。赤黒い装飾を身にまとった個体の手に、禍々しい大振りの杖があった。先程、男達が圧倒した群れの頭だった。
「メイジ(上位種)が混じってる……!」
灰色の剣士が舌打ちした。先ほどの五体を仕留めたばかりの四人は、まだ体勢を立て直しきれていない。
「カシミール様、下がって!」
ヒルスが叫んだ、その時だった。
「援護する!」
走り出していたユルトの号令が、村の中に響き渡った。
「エル、頼む! ティロネ、ムーン、アウロラ、続け!」
答えを待たず、ユルトはバスタードソードを抜き放ち、飛び出していく。
最初に動いたのは、ムーンだった。
崩れかけた家屋の屋根に、彼の姿は既にあった。
助走もなく、傾いた瓦礫の上を一足で駆け上がると、そのまま宙へと身を躍らせる。
回転しながら着地した先は、隣の建物の梁の上。複合弓を担ぎながらとは思えぬ、無駄のない身のこなしだった。
その動きに、風がまとわりつく。ムーンの周囲だけ、心なしか空気が軽い。彼自身は気づいていないが、機嫌のいいシルフ達が、彼の矢筋を絶えず読み、風を整えていた。
高所から見下ろす形で、ムーンは矢をつがえる。標的は、右手の杖に紫の光を纏うオーガーメイジ、ただ一体。
言葉はなかった。ただ、静かに息を吐き、弦を引き絞る。
放たれた矢は、まっすぐにオーガーメイジの右腕、術を紡ごうとしていたその手首を貫いた。
「グガッ!?」
紫の光が、術を成す前に霧散する。
だが、ムーンの手はもう止まらない。矢筒から次々と矢を抜き取り、二射同時、三射連続。常人ならば反動と照準のブレで到底成し得ない速射を、事もなげにこなしていく。標的を変え、狙いを変え、まるで戦場全体を俯瞰しているかのような的確さで、他二体のオーガー達の膝、腱、そして眼窩へと、矢が吸い込まれていった。
「なんだ、あの矢は……」
灰色の剣士が、思わず動きを止めて見上げた。だが、その一瞬の隙を突かれかけた彼の背後で、正確に放たれた矢が、迫っていた先頭のオーガーの手首に突き立つ。
「まだ来るぞ!」
屋根の上から、ムーンの短い檄が飛んだ。
灰色の剣士は苦笑を浮かべる暇もなく、体勢を立て直して斬り込んだ。
地上では、エルが動いていた。
ムーンの矢を膝に受けながらも、大柄な二体のオーガーは止まらなかった。地響きを立て、棍棒を振りかざして突っ込んでくる。
エルは腰のドラゴンテイルを引き抜いた。黒鉄の柄に、竜の尾骨を思わせる節くれた頭部。一見すれば、ただの無骨なメイスでしかない。
「一体は、私が」
静かな声と共に、エルは先頭のオーガーの前へと踏み出した。振り下ろされる棍棒を、竜鱗の装飾が施された盾で真っ向から受け止める。並の人間ならば骨ごと砕かれる一撃だったが、エルの足は微動だにしなかった。
「……重い」
ぽつりと、それだけを呟いた。
もう一体の前には、ユルトが立ちはだかっていた。
唸りを上げて、大木のような棍棒が横薙ぎに迫る。ユルトは身を沈めてそれを躱した。頭上を過ぎた風圧だけで、髪が千切れそうになる。
(当たれば、ひとたまりもねぇな)
返す棍棒が、今度は真上から叩きつけられる。ユルトが飛び退いた跡の地面が、轟音と共に抉れた。剣を合わせる隙すら、与えてもらえない。
『シルフよ……沈黙をばら撒け!』
アウロラの肩から飛び立ったパピーが、沈黙の魔法【サイレンス】を行使する。
手首を射抜かれながらも、再び術を練り上げようとしていたオーガーメイジの周りから、音が消失した。声にならない呪文に、メイジは混乱して喉を掻きむしる。
『不可視の魔法の縄よ』
ティロネの声が響き、【マジックバインド】が発動する。ユルトに向かって暴れ回っていたオーガーの全身に、見えない縄が巻きつき、振りかぶった棍棒ごとその巨体を縫い止めた。
ティロネは、止まらなかった。
杖先を、そのままエルと対峙するオーガーへと振り向ける。
『マジックアロー!』
詠唱と共に、左手首の金の腕輪に刻まれた古代語の紋様が、淡く光を帯びた。言葉が腕輪を通り抜けるたび、光の筋が紋様の溝を走り、杖先へと流れ込んでいく。いつもなら喉の奥で引っかかる詠唱の最後の一節が、今は、するりと抜けていった。
放たれた三本の魔法の矢が、エルの盾を押し込もうとしていたオーガーの胸と、右腕に突き刺さる。
『ウンディーネよ……!』
呼び掛けと共に、アウロラの腰の水袋から、水の精霊ウンディーネが顔を覗かせる。
(貫け!)
アウロラの意思と同時に、ウンディーネは鋭い槍【アクアランス】へと姿を変え、そのオーガーの膝裏を正確に貫いた。
巨体が、大きく傾ぐ。
その時、ティロネの背後で、静かな声がした。
『マジックアロー』
灰色のローブの魔術師が、ワンドを軽く振った。
ただ、それだけだった。
彼の周囲に、十本の光の矢が、一斉に生まれた。
ティロネは、息を呑んだ。同じ呪文だった。自分が全力で放って、三本。
十本の矢は二手に分かれ、五本ずつ、二体のオーガーへと吸い込まれていった。膝を折りかけた一体の胸に、縄に縫い止められた一体の背に、寸分の狂いもなく突き立っていく。
巨体が二つ、同時に揺らいだ。
エルが、ドラゴンテイルの柄を捻った。
ガチリ、と、内側で何かが噛み合う音がした。
節くれた頭部の継ぎ目が割れ、折り畳まれていた八本の刃が、竜が鱗を逆立てるように、一斉に外へと跳ね上がる。無骨なメイスは、一瞬にして、凶悪な刃の花を咲かせたモーニングスターへと姿を変えていた。
八つの刃が円弧を描き、傾いだオーガーのこめかみを、横殴りに抉り抜く。
ユルトのバスタードソードが、縄に縛られたままのオーガーの頭蓋を、真上から叩き割った。
二体の巨体が、相次いで地に沈んだ。
残るは、ムーンに手首を射抜かれ、声を封じられたまま後ずさるオーガーメイジ、ただ一体だった。
それでも尚、最後の力を振り絞るように、手首から血を滴らせながら杖を掲げようとした、その瞬間。
稲妻が、走った。
そう見えた。
灰色の外套が、いつの間にかオーガーメイジの懐にあった。誰の目にも、その間合いを詰める足取りは映らなかった。
青白い刃が一閃し、オーガーメイジの首が、杖ごと宙を舞った。
灰色の剣士は、刃を一振りして血を払った。息ひとつ、乱れていなかった。
村に、再び静寂が訪れた。
八体のオーガーの骸が転がる中、灰色の剣士は、屋根の上のムーンへと視線を向けた。
その目には、隠しきれない好奇の光が宿っていた。
「……お前」
剣を鞘に納めながら、彼は言った。
「その弓の腕、ダークエルフか?」
「ユーヌリオン! 先ずは感謝が先だろう!」
灰色のローブの魔術師が、呆れた表情で剣士を窘める。
「いやすまない! その通りだな。先ずは援護ありがとう! 助かったよ!」
ユーヌリオンと呼ばれた剣士は悪びれる様子もなくムーン達に向き直り笑顔で礼を述べる。
「剣聖ユーヌリオン!」
ユルトは驚嘆の声を上げる。
【剣聖】帝国で開催された大陸中の有名剣士を集めた大会での無名の身からの優勝。巨人殺しと誉れ高い剣士との名誉をかけた代理決闘。そして廃都の峡谷での邪竜討伐。どれも冒険者の中でも語り草になっている逸話ばかりだ。
「……初めて見た!」
アウロラも冒険者の端くれ。最高峰の冒険者との思いがけない遭遇に、目を見張り、感嘆の声を上げる。
「……母親はな」
声を掛けられているムーンは、位置取っていた梁の上からひらりと音もなく飛び降りると、振り返りもせずに、マチェットを右手に構え、オーガーに刺さっている矢の回収に向かった。
その声を聞いた瞬間、ユルトの頬が歪む。
ムーンの出自は、ダークエルフと人間のハーフエルフである。褐色の肌に切れ長な涼しげな目元、長い手足に、細身ながらしなやかな筋肉をまとった肉体。確かにダークエルフの特徴を持っていた。
【ダークエルフ】これ程、種族全体で運命に翻弄された一族はそうはいないであろう。
元は大樹の国に根ざしていた大樹のエルフと、双璧を成す一族であったが、とある事件を境に、大樹の国を追われ、流浪の民となり行き着いた先がロンダルシア帝国であった。
帝国も富国強兵の真っ最中、周りの小国を併合し領土を大きく拡大していた為、剣、弓、精霊魔法に秀でたダークエルフの一族の亡命は歓迎するところであった。
この戦いにも数多くのダークエルフが、ロンダルシア帝国兵として徴兵されているであろう。
ダークエルフという響きが、ユルトの古い傷口をそっとなぞる。
忌まわしい記憶。あの日、絶望に駆られて仲間を斬った己の手も、救い出した女達の怯えた目も、忘れたことなど一度もなかった。
ユルトは小さく息を吐き、込み上げかけた感情を胸の奥へと押し戻した。今、この場で語ることではない。
「……そうか」
短くそれだけ呟くと、ユルトはムーンから視線を外し、何事もなかったかのように矢の回収を手伝い始めた。
その一方で、灰色のローブの魔術師、賢者カシミールは、ティロネの姿にじっと目を留めていた。
「……もしかして、図書館の君?」
不意にかけられた声に、ティロネは驚いたように顔を上げた。
「え? ……賢者カシミール様?」
「賢者の学院の、図書館です。お話ししたことはありませんでしたが、いつも熱心に通っていたでしょう。朝早くから閉館間際まで、机に向かっているのをよく見かけました」
カシミールは穏やかに微笑んだ。
「……覚えていてくれたんですか」
ティロネは、意外そうな、それでいてどこか嬉しそうな表情を浮かべた。
「熱心な方だと、ずっと思っていましたよ」
カシミールは、ティロネの持つ樫の杖と、その佇まいをさりげなく見やった。
「……その様子だと、【書庫】閲覧の資格は得られたようですね」
「え、あ、はい……。【研究生】として正式に試験をクリアできました」
ティロネが頷くと、カシミールは得心したように目を細めた。
「そうですか、それはおめでとうございます。私も、あの書庫の資料にはずいぶん助けられました」
「……はい。でも」
ティロネの声が、わずかに翳った。
「……【導師】の資格が頂ければ【希書庫】の閲覧が許されると聞きました。私はまだ、そこまでは……」
「そうですね。希書庫は、さらに厳選された知識の宝庫ですから……」
カシミールは何かに納得したように頷いた。
「我求めるが故に、我そこにあり……という事ですね」
カシミールの言葉に、ティロネは賢者の学院の入り口に、大きく古代語で綴られてある言葉を思い出した。何かを欲する時にこそ、自分の存在意義と自意識を見出せる。そのような意味であったと思う。
その言葉に、ティロネは満面の笑みで応えた。
「はい! 精進します!」
実は、賢者の学院の書庫ランクには続きがある。さらにその上、【学院長】か【賢老】、あるいは特別に認められた者だけが立ち入りを許される書庫がある。
【賢者】の名を持つカシミールにはその権限があった。
それは【禁書庫】と呼ばれ、貴重な知識ではあるが、非常に扱いが難しく、使い方を誤れば災いにもなるような危険な知識が多数収められていた。
賢者の学院の魔術師の中で、禁書庫のことは半ば公然の秘密であった。人の口に戸は立てられない。閲覧できる者が限られ、秘匿されている禁断の書庫。
いつかはそこの知識の一端を自分のものにしたい。魔術師であれば、誰もが皆思い描いていることであった。




