第5話 竜司祭(三)
翌日の朝、ムーン達に与えられた天幕の外から控えめに声がかかった。
「失礼します」
少し間があり、天幕の入り口の布をめくって顔を出したのは、エルだった。
休息を邪魔したことを詫びるように、僅かに眉を下げている。
「早朝から申し訳ありません。……団長が、皆さんにお話があるそうです」
ムーン、アウロラ、ティロネの三人は顔を見合わせた。パピーも、何事かとアウロラの肩の上で首を傾げている。
「ユルト殿も呼ばれています。すでに、天幕へ向かってもらっています」
エルの言葉に、三人は身支度を整え、彼女の後についていった。
団長の天幕に着くと、すでにユルトが先に来ていた。
地図を広げた卓の傍らに立つライガルドが、一同が揃ったのを確認して、ゆっくりと口を開いた。
「呼び立ててすまない。単刀直入に言おう」
ライガルドの視線が、まずエルへと向けられた。
「エル、お前をあの惨劇、空から降った光の正体を調べる調査に向かわせたい」
エルは、僅かに目を伏せて頷いた。
「だが」
ライガルドは、そこで一同へと視線を移した。
「見ての通り、この隊は重傷者を多く抱えている。護送も治療も、まだ手一杯だ。……エル一人を、単独で向かわせるわけにはいかない」
彼は、一拍置いてから、静かに、しかし真摯な声で続けた。
「頼めないだろうか。お前達にも、この調査に加わってもらいたい」
天幕の中に、束の間の沈黙が落ちた。
「あの光がなんだったのか、我々にはまだ分からない。……だが、あれがただの自然現象でないことだけは確かだ。放っておけば、また同じことが起こるかもしれん」
ライガルドの声には、指揮官としての重みと、それでいて頭を下げる者としての謙虚さが、同時に滲んでいた。
「この戦いを生き延びた者の責務とまでは言わないが、誰かが何か手掛かりを掴まなければならない」
ライガルドの心の中からの声のように聞こえた。
「危険な任務になる。無理にとは言わない。だが……お前達の力を、貸してほしい」
誰も、すぐには答えなかった。
だが、その沈黙は、拒絶のためのものではなかった。それぞれの胸の内で、応じるだけの理由を、静かに巡らせているだけだった。
最初に口を開いたのは、ユルトだった。
「……行きます」
短い言葉だったが、その声には、迷いの色はなかった。
「俺の部下は、十六人まで減った。だが……あの戦場には、まだ他の連隊の生き残りがいるはずだ。バリスの連隊も、他の連中も。散り散りになったまま、誰にも見つけられずにいるかもしれない」
彼の脳裏には、寝台に横たわる傭兵達の顔が、次々と浮かんでいた。振り返らずとも伝わってきた、あの小さな頷き。名も知らぬ、しかし確かにこの戦場を共に生き延びた仲間達の顔が。
「調査のついでで構わない。……もし、道中で他の生存者が見つかったら、このキャンプへ導かせてほしい。それだけが、俺の頼みだ」
ライガルドは、深く頷いた。
「約束しよう」
ユルトは、それだけで十分だというように、小さく息を吐いた。だが、すぐに表情を引き締め、ライガルドへと向き直る。
「その代わり……いや、頼みついでにもう一つ」
「なんだ」
「怪我人達のことだ。……くれぐれも、頼む」
その声には、隊長としての、そして生き残ってしまった者としての、痛切な響きがあった。
「命に別状はないと聞いたが、それでも……重傷の者が何人もいる。俺達が留守にする間、見捨てられるようなことがあってはならない」
「もとより、そのつもりだ」
ライガルドは、真っ直ぐにユルトの目を見て応えた。
「竜大国の名にかけて、彼らの治療は責任を持って続ける。……それに、これは正式な依頼だ。危険な任務を、ただで頼むつもりはない」
彼は続けて、報酬の内容を語った。危険な任務にふさわしい、十分すぎるほどの内容だった。
ムーンは、それを黙って聞きながら、ユルトの方へと視線を向けた。
そして、何も言わず、静かに頷いた。
その様子を見ていたアウロラも、続いて頷く。パピーもまた、いつものおどけた様子を潜め、真剣な顔で頷いた。
「私も……行きます」
ティロネもまた、頷いた。だが、彼女はそこで、遠慮がちに手を挙げた。
「あの、団長……一つ、よろしいでしょうか」
「なんだ」
「報酬の一部を、金銭ではなく……魔法の道具などでいただくことは、できませんか」
ライガルドは、意外そうに片眉を上げたが、すぐに得心したように頷いた。
「賢者の学院の魔術師か。……いいだろう、少し待て」
しばらくして、従者が運んできたのは、精巧な細工の施された、金の腕輪だった。
「詠唱時の負荷を軽減する効果を持つ、魔法の発動体だ。……お前になら、生かせるだろう」
ティロネの目が、輝いた。
「ありがとうございます……!」
差し出された腕輪を、彼女は両手で恭しく受け取ると、まるで長年探し求めていた宝物であるかのように、頬に押し当てた。
「うふふ……いい子、いい子」
その微笑ましい様子に、天幕の中に、束の間だけ、緊張とは違う空気が流れた。
「出発は翌早朝としよう。各々準備を怠らないように。必要なものがあれば補充しよう」
ライガルドの言葉で、皆心中様々な思いを抱いていたが、それを口には出さず、各自退出していった。
こうして、エルを筆頭にユルト、ムーン、ティロネ、アウロラとパピーが爆心地調査の正式なメンバーとなった。
その夜、ユルトは再び重傷者用の天幕へと足を運んだ。
「ユルト隊長……?」
バリスが、痛みを堪えながら顔を上げる。
「明日、爆心地の調査に出発する」
ユルトは、寝台の傍らに屈み込んだ。
そしてバリスに囁くように話しかける。
「竜大国第一師団団長直々の依頼だ。あの光の正体を調べに行く。……俺達連隊の、他の生き残りがいないかも、道中で捜すつもりだ」
バリスの目に、微かな光が宿った。
「……危険な任務なのでしょう」
「まあな」
ユルトは、素っ気なく答えると、片方の口の端だけを上げた。
「だが、今更、危険を怖がるような柄でもないだろう。俺もお前も」
バリスは、小さく笑った。
それからユルトは、声を潜め真剣な顔になって言った。
「この大隊の団長、ライガルドだったかな。好感の持てる人物だ、信用できる。しかし、嘘は言っていないが全てを話してはいない」
バリスも声を潜めた。
「何か裏があると?」
「さぁどうだろうな。俺達の連隊だけでは無く、各国の軍は壊滅的なダメージを受けているだろう。恐らくは魔王軍も」
「えっ!?」
バリスは驚いて声を上げた。彼はあの光は魔王軍が放った物と思っていたからだった。
「あの光の後、魔王軍の魔神達のまとまりも小規模になり、統率された隊の体をなしてなかった。開戦当初はあんなに統率されてた軍団だったのに」
ユルトは開戦当初の、押せば引き、引けば押し込んでくる。
そして、機動力と魔法で揺さぶりをかけ、こちらの挑発にも決して深追いしてこない。まさに訓練された、軍隊のような魔神達の動きを思い出していた。
「確実に魔王軍もあの光の被害を受けている。あの光と爆音の後、明らかに動きが変わった。魔神の残党は、まるで恐怖にかられ手当たり次第に標的に襲いかかる手負いの獣のようだった」
そこに統率された意思のチカラは感じなかった。
歴戦を戦い抜いた傭兵にこそ感じた感覚であった。ユルトは自分の考えを、さらに確信に変えるように続けた。
「だからあの混乱の中、軍隊として組織的に行動できた俺やお前が生き残った。俺はあの光は魔王軍の放った物とは思えない。何か途方もない……上手く言えないが、決定的な、誰も予想だにしなかった何かが起こったと感じている」
「歴戦の傭兵の勘ですか?」
バリスもあの絶望的な戦場を思い出し、問いかけた。
「かもしれないな。だが、その勘に俺は幾度も命を救われてきたからな」
そこまで話した後ユルトはバリスの肩にそっと手を置いて語った。
「ここの連隊の負傷兵をおまえに託す。何かあった際はお前が指揮を取れ」
真っ直ぐに目を見て語りかけた。
「……必ず、戻ってきてください」
バリスから力のこもった、眼光と言葉が返ってきたことにユルトは笑みが零れた。
「当たり前だ」
ユルトは立ち上がり、バリスの寝台を軽く叩いた。
「お前は先ず体を治すことだけ考えてろ。……戻ったら、皆と一緒にルバートの酒場だ!」
それだけ言うと、ユルトは踵を返した。
バリスは、オクタゴンの都市ガンゼンロウにある連隊の溜まり場ルバートの酒場。そこの名物である羊の香草焼きの味と、ほろ苦いエールを思い出していた。
振り返らずとも、バリスの視線が、しばらくユルトの背中に残っているのが分かった。




