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灰と誓い ―五つの秘宝と竜の咆哮―   作者: ARUKA KAWATOMO


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第3話 竜司祭(一)

 崩れるように陣に飛び込んだ一団を、竜大国の従軍神官達が慌ただしく出迎えた。

 担架が次々と運ばれ、呻き声と祈りの声が入り混じる。傷の浅い者から深い者まで、篝火の灯りの下で治療が続けられていく。

 その中でも、ひときわ的確な手つきで負傷者を診て回る女がいた。

 傷口に手をかざすたび、淡い光がその手のひらに宿る癒しの光。深く裂けた傷が、見る間に塞がっていく。

 魔神の爪に掠められ毒に苦しんでいた者には、解毒(キュアポイズン)の魔法の光が体内を巡り、荒い呼吸がやがて穏やかなものへと変わっていった。

 その夜は、慌ただしく更けていった。

 空からの奇襲に備え、篝火は最小限に絞られている。見張りの兵が木々の合間に配され、テントの中では傷ついた者達の浅い寝息だけが響いていた。

 誰も、多くを語らなかった。語る余力すら、残ってはいなかった。

 皆気絶するように眠りについた。


 翌朝。

 傷の浅かった者、あるいは幸いにも無傷だった者達が、天幕の一角に集められていた。

 ユルト、ムーン、アウロラ。その肩には、ようやく元気を取り戻したパピーが乗っている。そして、ティロネ。四人だった。

 そこへ、あの女が歩み寄ってきた。

 黒髪を長く垂らした、百八十センチ以上ある、ユルトと並んでも見劣りしない長身。左目には黒革の眼帯、左手には同じ素材の黒革の手袋。深い濃紺のローブを纏い、胸には竜大国の紋章のペンダントが下げられていた。昨夜、傷ついた者達を真っ先に治療していた、彼女だった。

「昨夜は、名乗る間もなく失礼しました」

 落ち着いた声で、女は一礼した。

「エル・マスカレーヴと申します。竜大国の司祭です」

「……ユルトだ。オクタゴン雇いの傭兵連隊、四番隊の隊長をしていた」

 ユルトが恭しく頭をさげる。

「ムーンです」

「アウロラ。この子はパピー」

 肩の上でパピーが、ちょこんと会釈するように頭を下げた。

「ティロネです……賢者の学院から」

 順に名乗る一同を、エルは静かな眼差しで見つめていた。

「皆さんの働きがなければ、昨日の戦場で命を落としていた者は、もっと多かったはずです」

 感情の起伏をあまり感じさせない、しかし確かな敬意の滲む声だった。

「隊の者は助かるのか?」

 ユルトがエルに向き直る。ユルトから見てもかなりの重傷の者が何名かいた。

「大丈夫です。まだ予断を許さない方が何名かいますが、神官が多いこの天幕なら命を落とすことはないでしょう」

 エルは皆を安心させる言葉を紡いだ。そして続けた。

「詳しい話は、後ほど。今は、私どもの指揮官にお会いいただけますか」

 エルは、その場ではそれ以上を語ろうとはしなかった。ただ、その瞳の奥には—ムーン達の誰もまだ気づいていない、静かな確信のようなものが、揺らめいていた。



 案内された先には、ひときわ大きな天幕があった。

 中では、四十代半ばと見える、体格の良い男が地図を広げた卓の前に立っていた。

 竜の鱗を思わせる装飾の入った鎧。重装歩兵隊スケイルガード第一師団の団長、ライガルドだった。長年、現場で叩き上げてきた者特有の、飾らない貫禄がある。

「あの戦いをよく生き延びたな。先ずは座ってくれ」

 低く、しかし芯の通った声で、ライガルドは一同を促した。

「あの絶望的な混乱の中、良くぞここまで辿り着いた。ここ迄の経緯を、話していただけるだろうか」

 ユルトが代表して、あの惨劇を説明する。

 竜騎士の話に触れた際、エルの頬が微かに歪んだ。一通り説明が終わった後、今度はライガルドが、今知る現状を語ってくれた。

「連合軍と魔王軍は、昨日の昼まで、戦況は拮抗していた。いや、連合軍が苛烈に攻め立て、こちらに有利に傾いていたかもしれない」

 ライガルドは頷きながら話を続けた。

「だが、戦場の中央に突如として、異常な現象が起こった。巨大な扉(ゲート)のようなものが戦場の真っ只中、その上空に現れた」

 彼は地図の場所を示し、ひとりひとりの顔を確認しながら続けた。

「そのゲートから魔大公自らが軍勢を率いて増援に現れた。あれで、戦況は一気に魔神側へと傾いた」

 魔大公。魔神軍団の最高戦力のひとり。その力は魔大公一体で一大隊に匹敵する。ドラゴンにも引けを取らない怪物中の怪物だ。

「竜騎士の一騎は味方を混乱から救うため単身突貫し魔大公と対峙していたという」

 ムーン達は、無言でその言葉を受け止めた。

「そして、その直後、轟音と共に空から光が降った。あれが何なのか、我々にもまだ分かっていない。だが、あの光は敵味方の区別すること無く、戦場を蹂躙した」

 ライガルドの声に、苦しみが混じった。

「前方や中央に展開していた部隊の多くが、あの光に巻き込まれた。我が竜大国軍は、比較的後方に陣取っていたため壊滅は免れたが……参加した兵の、半数近くを失った。魔大公とまみえていた竜騎士も一騎失っている」

「魔大公は?」

 ユルトは遠慮がちに問うた。

「……わからん。あの光以降目撃されてはおらぬが生死不明だ」

 天幕の中に、重い沈黙が落ちた。

 ライガルドが続ける。

「今、我々は幾つかの部隊に分かれ、残存兵力の救出に当たっている。……お前達も、その中の生き残りというわけだ」

 ライガルドは、そう言って一同を見渡した。

「これからのことは、追って伝える。今はまず、休め。……そしてよく、生きて辿り着いた」

 長い沈黙があった。その言葉に、誰も、すぐには応えられなかった。


 

 ムーン達が天幕を後にすると、中には、ライガルドとエル、二人だけが残った。

「傷ついていた竜騎士は、何とか無事に退却できたようだ」

 ライガルドが、地図から目を上げずに言った。

「翼をやられている以上、長距離を飛ぶのは難しいだろうが……地上から、地竜騎兵隊が並走してサポートしている」

 地竜とはドラゴンとはまた別種の地上を走ることに特化した二足歩行の竜種である。非常に頭が良く、機動性も軍馬と変わらず、また訓練次第だが、竜騎士が駆るドラゴンに対して怯えがないので、竜大国では騎馬隊の代わりにこの地竜を機動部隊として運用している。

「魔神からの追跡範囲は脱した。もう心配はいらんだろう。竜騎士を二体とも失うという最悪の事態は避けられた」

「……そうですか」

 エルの声に、僅かな安堵が滲んだ。

「大陸連合の総数は十三万だったな」

 ライガルドは、地図の上に散らばる駒の一つ一つに、指先で触れていった。

「ロンダルシア帝国、三万」

 赤い駒を、こつん、と押す。

「ドラウグヘイム、二万三千」

 次の駒。

「クリシュトリア、二万」

 また一つ。

「オクタゴン、一万八千。V公国、一万五千。大樹の国、八千。賢者の学院、五千」

 駒が一つずつ、卓の上で軽い音を立てていく。

「……そして、我が竜大国、一万一千」

 最後に触れたのは、竜を模した、小さな駒だった。

「合わせて、十三万というわけだ」

 ライガルドは、卓上に広げていた、もう一枚の羊皮紙を、エルの方へと滑らせた。従軍書記官が戦の前にまとめたという、連合軍全体の編成表だった。


国兵力主な兵科

ロンダルシア帝国三万重装歩兵、帝国槍騎兵、征服工兵、連弩兵

ドラウグヘイム二万三千戦士隊、騎兵、大弓兵

クリシュトリア二万聖騎士団、神官戦士、弓兵隊、審問騎兵

オクタゴン一万八千技術兵、機巧弩兵、傭兵連隊、修繕兵

V公国一万五千重装騎兵、騎士従士、黄金近衛隊、弓兵、契約騎士

大樹の国八千長弓兵、獣人戦士、精霊術士隊、沈黙の斥候

賢者の学院五千魔導士隊、魔法戦士隊、研究従軍兵

竜大国一万一千+竜騎士二騎竜騎士、地竜騎兵、重装歩兵、槍兵、弩兵


 エルは、その編成表に目を落とした。文字にされると、その規模の大きさが、なおのこと実感として迫ってくる。

「どの国の軍がどれほどの被害を出したのか……正直、まだ全容はつかめていない。前方や中央にて、魔神と相対していた部隊ほど、あの光に巻き込まれた可能性が高い。それだけは分かっている」

 ライガルドは、そこで竜の駒をそっと横に倒した。

「我が竜大国は……竜騎士を一騎、そして、兵の半数近くを失った」

 その声には、初めて明確な重みが滲んだ。

「一万一千のうち、今、この戦場で動かせるのは、六千に満たない。……しかも、そのうちの地竜騎兵隊は、傷ついた竜騎士の護送に回っている。実質、この陣にいるのは、それよりもさらに少ない」

 エルは、目を伏せた。竜大国の大隊がこれほどまでに手薄になっているとは、改めて聞かされると、その事実の重さが、一層深刻さを持って感じられた。

「本国からは、負傷者を抱えているこの状況でも、現状の調査を続行しろとの命が来ている」

 ライガルドは、そこで初めて、エルへと視線を向けた。

「我が隊はここに留まり、負傷者の救助と……必要とあらば、残存する敵勢力の掃討にあたる。それが、表向きの任務だ」

「表向き……」

「……お前が受けている特命について、俺は詳しくは知らされていない」

 ライガルドの声は、静かだが、揺るぎなかった。

「だが、本国からは、お前に最大限の支援をするよう、厳命が下っている。……必要とあらば、お前の指揮下に入れとも」

 エルは、僅かに目を伏せた。

「……申し訳ありません」

「謝る必要はない」

 ライガルドは、短く言った。

「現場を長くやっていれば、嫌でも分かることがある。……お前が背負っているものが、ただ事ではないということくらいはな」

 それ以上、彼は何も問わなかった。ただの現場叩き上げの武人には、詮索すべきでない領域があることを、経験が教えていた。

「……ありがとうございます」

 エルは、それだけを言うと、静かに一礼して、自分専用の天幕へと戻っていった。

 見送るライガルドの目には、エルが背負わされているであろう使命の重さへの、微かな憐憫の情が浮かんでいた。

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