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灰と誓い ―五つの秘宝と竜の咆哮―   作者: ARUKA KAWATOMO


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第2話 灰燼(ニ)

 その混乱の只中、【オクタゴン】の傭兵連隊九番隊に所属していた、精霊使いアウロラと、その連隊に賢者の学院から派遣された魔法使いティロネは、三人の前衛の傭兵と共に、今にも崩れそうな陣形を組んでいた。

 アウロラは、エルフという大樹の国に根差している種族の若い女性、細身に若草色の軽量なレザーアーマーを纏っていた。毛先がわずかに青みがかった金髪は、高い位置で後ろに結われている。

 その手には、投擲にも突きにも使える細身のスピアが握られていた。

「これ本格的にまずいかも……」

 手入れの行き届いた金髪は、砂塵と返り血に汚れ、背中に嫌な汗が伝うのを感じながら呟く。

 腰に付けた水袋の端から、水の精霊である、瀬音の乙女ウンディーネの優雅な髪の毛が、アウロラを守るように靡いていた。

 相棒の妖精族のパピーは平時であれば、アウロラの肩に乗って談笑したり、頭上をクルクル回り気まぐれな笑みを浮かべているのだが、すでに彼女は力を使い果たしてアウロラの外套の中で、静かに身を潜めている。

 パピーの精霊魔法、風のプロテクションがなければ、アウロラやティロネも今まで無傷ではいられなかっただろう。

 傍らのティロネは、深紅に紫を溶かしたような色合いの大ぶりな魔術師ローブをまとっている。すでにローブは砂塵で全体が白く色付いており、戦闘の激しさを物語っている。

 ウェーブのかかった赤毛が、戦闘の熱気に汗ばんで頬に張り付く。ローブの下には、彼女が決して人に見せることのない、無数のタトゥーが刻まれている。右手には樫の魔術師の杖。

 全員に魔法抵抗力が上がる魔法をかけ直し、次の呪文の準備に入る。もう大魔法は一、二発程度しか発動できない。失敗は許されない。彼女の精神力も尽きようとしていた。

 前衛の傭兵三人が、魔神の群れを堰き止めていた。三人とも手練であったが、数の差は如何ともし難かった。

 鋭い爪が閃き、前衛の一人が呆気なく斬り伏せられる。

「このままじゃ……!」

 ティロネが悲鳴のような声を上げた瞬間。

 風を切る、一本の矢。

 眉間の急所へと吸い込まれるように向かう、寸分の狂いのない一射。それは前衛を屠らんとしていた魔神の眉間へと突き立った。

 魔神が、声もなく崩れ落ちる。

「今! ライトニング!」

 好機を逃さず、ティロネが杖を振るった。

 直線に走る電撃が、隊列を崩した魔神の一体を貫く。その電撃は貫通し、後ろに控えていた魔神をも貫いた。

 その刹那。

「退がれ! 二人とも、俺の後ろに!」

 矢を放った青年が、駆けながら叫んだ。

 同じ連隊に所属するムーンだった。褐色の肌に黒髪、深い青の瞳。海牛の革を使った漆黒のハードレザーアーマー、手には大樹の弓を独自に改良した複合弓、コンポジットボウが握られている。腰には実用性だけを考えて作られたようなマチェットが下がっていた。

 アウロラとティロネは、迷わず彼の背後に回る。

 撤退しながらも、ムーンは矢継ぎ早に矢を放ち続けた。

 時に一射で仕留め、時に連射—常人ならば命中率を半減させるはずの二射同時放ちを、いとも容易く放つ。

 狙いを乱すはずの反動すら、まるで見えない手が支えているかのように、矢はまっすぐに標的へと吸い込まれていく。

 追い縋る魔神の一体、また一体と、正確に敵の急所を射抜いていく。

 だが、限界は近かった。

 残る二体の魔神が左右から迫る。矢筒はもう空だ。

(接近戦、か)

 覚悟を決め、腰のマチェットに手をかけたその時。ムーンの背後に迫る影があった。

「遅くなった!」

 野太い声と共に、バスタードソードを両手に構えた男が横合いから斬り込んだ。オクタゴン傭兵連隊四番隊隊長ユルトだった。

 彼はまず、迫る魔神の一撃を剣で受け流し、そのまま柄を返すパリィの要領で、相手の爪ごと大きく弾き飛ばした。体勢を崩した隙に、一気に喉笛を斬り裂く。

「散らばるな、円陣を組め! 弓は中央、前衛は外側だ!」

 戦乱の中よく通る声が、混乱する生き残り達に号令を飛ばす。オクタゴンの傭兵連隊随一の剣技で知られたその声には、誰もが従わざるを得ない重みがあった。

「押し返すぞ!」

 その号令に応じるように、後方から加勢の剣戟が次々と魔神へ叩き込まれていく。オクタゴン傭兵連隊の生き残り達だった。

 押されていた戦況が、僅かながらも押し返される。

「今のうちに、隊列を組み直せ! 撤退戦だ遅れるな!」

 ユルトの指示に、生き残った者達が一斉に動いた。

 荒野を抜けようとする一団の行く手を、新手の魔神の群れが阻んだ。

 十体ほどの魔神、爪と牙を持つ、獣に似た姿の一団だった。逃げ場を探る間もなく、それらは咆哮と共に殺到してくる。

「くそっ、まだ湧くのか……!」

 剣を構えた傭兵の一人が、吐き捨てるように呟いた。

「隊列を崩すな! 二人一組にて魔神一体に当たれ!」

 ユルトの声が響くと同時に、彼自身が真っ先に前へ躍り出た。バスタードソードを両手に構え、迫る魔神の初撃を受け流し、体勢を崩した魔神の眉間に致命の一撃を叩き込んだ。闘いの始まりから常に最前線で剣を振るってきた。体力は既に限界に近い、しかし倒れることそのものを、彼自身が許していなかった。

「合わせろ、俺に続け!」

 剣士の傭兵達が、ユルトの動きに倣うように前へ出て、武器を振るう。その後方から、弓を持つ傭兵達が次々と矢を放った。

 ムーンもまた、複合弓を構え、他の弓兵から受け取った、残り少ない矢で応戦していた。

「足を止めるな、下がりながら撃て!」

 己の声を張り上げながら、狙いを定める。放たれた矢は、迫る魔神の眼窩に深々と突き立った。

 傷を負った者達を庇いながらの後退戦は、単純な激突よりも遥かに難しかった。

「危ない!」

 ティロネの叫びが上がる。隊列の端、傷を負った弓の傭兵の一人に、魔神の爪が振り下ろされようとしていた。

(間に合え!)

 魔術師の杖から放たれた魔法の矢(マジックアロー)が、間一髪でその魔神を撃ち抜く。しかし、魔法の矢を受けながらも執拗に目標に絡みつき、標的になっていた傭兵の脚を深く裂いた。

「ぐああっ……!」

 崩れ落ちるその男を、アウロラが咄嗟に支えた。スピアの穂先に、一瞬だけ水の輝きが纏う。アクアランス。間合いを引き伸ばされた一閃が、追い縋る魔神の顔面を深々と薙いだ。

「掴まって、離れないで!」

 だが、その隙を突くように、別の魔神が横合いから躍りかかった。

「アウロラ!」

 ムーンの声と共に放たれた短剣二本が、寸前でその魔神の両目を貫いた。

 一体の魔神が、剣士の隊列の隙間を縫って、重傷者に躍りかかる。

「させるか!」

 横合いから飛び出したバトルアックス使いの傭兵が、その一撃を受け止めた。

 刃と爪がぶつかり合い、火花が散る。

 鍔迫り合いの末、傭兵の得物が魔神の頸を捉え、その場に崩れ落ちさせた。だが、その傭兵自身も、深手を負った脇腹を押さえてよろめいていた。

 だが、一体を倒す間に、また新たな魔神が迫る。戦いの勢いは、まだ魔神側に傾いていた。

 悲鳴が上がる。また一人、傭兵の姿が消えた。

「森だ! 木々の間に入れば、奴らの動きも鈍る! 急げ!」

 ユルトの怒声が、後退する一団の間を貫いた。

 数十メートルほど先に森の入り口が顔を出している。そこに向けて、ジリジリと撤退を始める。

 背中を森に預けての戦闘は、徐々にユルト達に有利に働いていった。

 戦場にユルトの声が響き渡っていた。勢いに任せて力押ししてくる魔神達に、しっかりと陣を敷き、その勢いを上手く殺していた。

 徐々に戦いの勢いは、魔神達から、ムーン達の方へと流れていった。



 森を背にしての攻防を制し、周辺の魔神をあらかた片付け終わったその時。

 苦しげな何者かの咆哮が、戦場に響き渡る。

 ユルト達の頭上すぐ上を、大きな風と共に低空飛行する影が過ぎった。

 影の正体は、撤退する竜騎士の姿だった。両翼は裂傷により傷ついており、両口の端からチロチロと炎を煌めかせながら、辛うじて空を掻いている。竜は酷く傷ついていた。

 この世界においても竜(ドラゴン)は最強の種のひとつである。原始の精霊力を宿した肉体は頑強で、並の武器ではその堅牢な鱗を傷つけることすらできない。しかし、そのドラゴンをもってしても魔神軍団は容易い相手ではない。

 今回の連合軍には、竜大国から二騎の竜騎士が参戦しているはずであったが、傍にその対となる竜騎士の姿は無かった。

 だが、その竜騎士を追う影が、さらにあった。

 三十を超える、飛行型の魔神の群れ。

 しかし、ユルト達を見つけると、一部の魔神達は竜騎士を追うのをやめ、ぐるりと旋回すると、標的を地上のユルト達へと切り替えた。

「……嘘だろ」

 誰かが呟いた声が、絶望的なまでに小さく響いた。

 空を埋め尽くす魔神の群れが、一斉に急降下してくる。

 もはや、防ぎようがない。

(ここまでか……)

 覚悟を決めたその時、ムーンの脳裏には、巨大な白蛇の抜け殻がよぎった。人にも見える禍々しい形。大量の血を吸った大地。血の海に伏した母親。斬り落とされたまま転がる、白磁のような白い左手。

(……まだだ。まだ、あいつに届いていない)

 彼が、最後の抵抗にと弓を構え直し、瞬きをする程度の一瞬。

 その場が静寂に包まれた。

 刹那、妙に甲高い、重い金属同士がお互いに圧力を掛け合い、悲鳴を上げるような音が鳴り響く。

 神経を逆撫でするその音。そして背中が無意識に粟立つような不吉な感覚、誰もが無意識に身体を硬くした。

 その音の意味を、この場の誰もが理解していなかった。

 しかしその直後、轟音と共に、天を割るような、灼熱の吐息が奔った。

 魔神に埋め尽くされた空が、一瞬で朱に染まる。炎に似た、しかし炎と形容するには遥かに凄まじい熱線が、空を切り裂くよう、魔神の群れを真一文字に薙ぎ払う。

 まるで、夜明けの太陽そのものが、地上へ向かって怒りの一撃を叩き込んだかのような、灼熱の奔流。その光の前では、魔神も等しく塵芥に過ぎなかった。

 魔神の群れが、悲鳴を上げる間もなく、次々と燃え尽き灰へと変わっていった。

 誰もが、呆然とその光景を見上げた。

「……竜騎士の、援護か……」

 ユルトが、荒い息の中で呟いた。誰もが、そう思った。

 傭兵達から歓声が上がる。

 ただ一人、ティロネだけがその熱線に、微かに混じった「魔法の残滓」に、言葉にならない違和感を覚えていた。

 だが、今はそれを口にする余裕もない。

「全員、森へ撤退する! これ以上はもたない、怪我人をカバーしつつ隊列を保て!」

 ユルトの号令に、生き残った者達が応じる。

 開戦当初、百を数えたユルトの四番隊は、この一戦だけでその大半を失い、残ったのは十六人ほどだった。

 そして、九番隊の生き残りはムーンとアウロラとティロネとパピーだけであった。

 森の中を、魔神の襲撃を警戒しながら慎重に進む。

 どれほど森の奥へと分け入っただろうか。

「……光だ」

 誰かが、前方を指差した。

 木々の隙間から、篝火の灯りと、幾張りものテントが見えた。旗印は、二匹の竜が宝玉を咥え込んでいる紋章。

「……竜大国か」

 誰かが、掠れた声で呟いた。

 大陸連合軍。味方には違いなかった。

 

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