第18話 死神の笛(ニ)
きっかり一時間、ライガルドの天幕に六人の男が集まった。
軍議にも使えそうな広々とした天幕。
中央のテーブルには大陸の地図と資料、また脇には厳重に封印を施された、件の大槍、魔大公の得物が、静かに横たわっていた。
この会談には、賢者の学院からは賢者カシミールと剣聖ユーヌリオンの二人が、聖騎士団からは副団長のクレオスと聖騎士アグニスが、竜大国からは団長のライガルドと従軍司祭ヘルマールが参席していた。
その顔ぶれを見た瞬間、カシミールは、微かに目を見開いた。
「……ヘルマール殿? お久しぶりです」
「これは……賢者殿」
ヘルマールもまた、驚いたように、そして少し懐かしそうに、口元を緩めた。
「まさか、こんな場所で再びお会いするとは。……竜王猊下のお導きかもしれません」
ヘルマールは元は賢者の学院で学んだ研究生であった。非常に研究熱心で、導師達の覚えもよく、次期導師確実と言われていたが、ある日忽然と学院を去った。その後、人伝に竜大国に身を寄せていると噂では聞いていた。
二人のやり取りに、ライガルドが、興味深そうに口を挟んだ。
「知り合いだったか」
「学院で、賢者殿の講義に何度か」
ヘルマールが懐かしそうにカシミールに微笑みかける。
「えぇ、非常に研究熱心でしたよね。貴方の論文は何度か拝見させていただきました。視点が素晴らしかったと記憶しています」
穏やかな空気が流れ、カシミールも昔を懐かしんでいるようだった。
ライガルドが仕切り直すように、喉を鳴らした。
「さて賢者どのもヘルマールも積もる話は、また後にでもしていただくとして……まずは、本題に入らせてもらおう」
ライガルドの声で、場の空気が再び引き締まった。
話は、ヘルマールから切り出された。
「事前に、この天幕には、外に声も物音も漏れぬよう、魔法を施してあります。ご安心して、お話しいただければと」
カシミールは了解したと頷く。ユーヌリオンも同様に頷く。
クレオスが、傍らのアグニスへと、確認するように視線を送る。アグニスは、無言のまま周囲をぐるりと見渡し、小さく頷いた。それで十分、事足りるということなのだろう。
まずは、現状の情報共有から始まった。カシミールが、これまでの経緯を語る。爆心地での発見、痕跡の追跡、そしてエル達が大樹の森へと向かったこと。その内容は、先にクレオスと交わした情報交換と、大筋で違わなかった。
一通り語り終えたところで、ライガルドが、静かに口を開いた。
「……この中に、魔大公を、実際にその目で見た者はいるだろうか」
その問いに、二人の手が挙がった。
カシミールと、アグニスだった。
「詳しく、聞かせて貰えるだろうか」
ライガルドが、二人へと視線を向けた。
カシミールが、静かに口を開く。
「私は、直接その場にいたわけではありません。……私はこの戦いで何人かの導師と、視覚共有の魔法を掛け合っています。想定外の状況に対応する為にですね。その内の一人が、帝国の師団に派遣されていましてね。……ゲートが出現し、魔大公が姿を現す瞬間を、その導師の視界を通して見ました」
「私は……戦場の遠目からです」
アグニスが短く付け加える。
「おい、あの場にいたのか? 良く無事だったな」
ユーヌリオンが、心底驚いたように声を上げた。
カシミールも同様だった。あの爆心地の状態を見て生存者がいた事が信じられないという反応だった。
「……色々な幸運が重なり、大型の魔神の死体の影で気を失っていたようです」
アグニスは、それだけを答えた。
「今回の戦いのために、アグニスに下賜された、教皇猊下より賜った聖銀の剣と盾——あれに探知魔法が施されていたおかげで、我が隊が彼を発見する事ができた」
クレオスが、それを補足するように語る。
「……それでも無傷とは」
と、発言しようとしてユーヌリオンはその言葉を飲み込んだ。
カシミールの鋭い静止の目が届いていたからだ。ここは能動的な情報交換の場だ。相手を必要以上に追求すると、出てくる情報も出てこなくなる。
「詳しい経緯はさておき……お二人が、実際に魔大公の姿をその目で見た、ということですね」
ライガルドが、二人の顔を交互に見た。
「どう感じましたか」
カシミールが、記憶を辿るように、静かに語り始めた。
「……獰猛な獅子のような、猛々しい顔立ちでした。額から二本、牡牛の角が伸びていて。体躯は、巨人族に匹敵するほど」
「雄叫びだけで、鍛えられた軍馬が恐慌をきたしていました」
アグニスが、静かに続けた。
「あの出現一つで、戦況は一気に、魔神軍へと傾いていったように見えました」
ライガルドは、しばし黙り込んでいたが、やがて、再び口を開いた。
「……もう一つ、聞きたい。他に、何か気になったことは、なかっただろうか」
「他に、というと?」
カシミールが、問い返す。
アグニスは、無言のままだった。
ライガルドは、自分の両頬を、軽く叩いた。
「……すまん。まどろっこしいのは、性に合わん」
彼は、真っ直ぐに二人を見据えた。
「腹の探り合いをしている時間は、我々にはない。……ここでの答え次第では、これから先、我々は大きな脅威を抱える事となる……」
ヘルマールが、その言葉に、静かに頷いた。
「お二人に率直に伺う」
ライガルドが続けた。
「魔大公は、あの大槍での攻撃、そして魔法。……それだけではなく熱線……ドラゴンのような、ブレスを吐かなかっただろうか」
カシミールとアグニスは、互いに視線を交わした。
「……見ました」
カシミールが、静かに頷く。
「出現と同時に、連合軍へ向けて、業火のブレスを放っていました」
「私も、見ています」
アグニスも、そう認めた。
二人は確かに見た。そして思い出した。そのブレスを浴びた物は、馬ごと、鎧ごと消し炭になっている凄惨な様を。
「間違い無いですか?」
ヘルマールが、念を押すように尋ねる。
「間違いありません」
カシミールが答える。
今度はヘルマールが、さらに問いを重ねた。
「そのブレスの前に……何か、音を聞きませんでしたか」
「私は、視覚共有の魔法だけでしたので……残念ながら音までは……」
カシミールは静かに首を振る。彼らが使用していた魔法は視覚共有だけで、音や匂い、触覚は共有できない。
自然と、全員の視線がアグニスへと集まった。
「……音?」
クレオスが、促すように、彼へと声をかける。
「……そういえば」
アグニスが、記憶を辿るように、僅かに目を細めた。
「甲高い、金属の擦れるような音を、聞いた気がします。……例えるなら、なんだろう。森の中で何万羽の鳥がいっせいに鳴くような……酷く神経に響くような……」
「……聞いた、というのですね」
ヘルマールが念を押す。
「聞いた」
アグニスの返答に、ライガルドとヘルマールが、互いに視線を交わした。
「……同じ報告を、前線から退却した竜騎士からも受けている」
ライガルドが静かに口を開いた。
ヘルマールが続ける。
「ドラゴンは、生まれつき喉の奥に『竜燗石』と呼ばれる石を持っています。……大きく息を吸い込んだ際、その石が反応し、発火する。それが、吐く息と共にドラゴンブレスとなるのです」
彼は、指を一本立てながら続けた。
「ブレスの種類、例えば炎の属性を持つか、雷の属性をもつかは、この竜燗石の性質によって決まります。そして、この石はドラゴンの成長と共に大きくなる。そして、長く生きれば生きるほど、この石は更に大きさを増し、より強大なブレスを操れるようになる」
「竜騎士の報告によれば……魔大公がブレスを吐く直前、その音が響いたそうだ」
ライガルドが、重々しく続けた。
「竜騎士が聞いた音は、今アグニス殿から聞いた音と全く同じ物。我が国では『死神の笛』と呼ばれている。……エンシェントドラゴン(古竜)クラスが放つブレスの予兆だ」
その言葉に、天幕の中の空気が、一段と重くなった。
「……その音なら俺も聞いたことがある」
ユーヌリオンが、低く呟いた。
「昔、邪竜討伐に駆り出された時だ。……カシミール、お前もいただろう」
「ええ。……その時はアグニス殿が仰るようなそこまでの高音の音ではなかったですが、原理は同じということですね」
カシミールが、静かに頷いた。そして、一同を見渡すように、話を継いだ。
「魔神に関しては、賢者の学院でも、研究が進んでいます。過去にも、高位の魔神が召喚された例は、幾度かありました」
「その活動期間はどのくらいでしょう?」
ヘルマールが、すかさず問う。彼は既にこの事実が何を示すか理解しているようだった。
「極めて短いものです。……長時間、高位の魔神をこの世界に顕現させ続けることは、非常に難易度が高いと言われています」
カシミールは、淡々と続けた。
「何故なら、魔神は別の世界の住人と賢者の学院では定義されています。この世界に稀に現れる魔神は【アストラルボディ】という、実体を持たない概念、また意識のような存在です。彼らが、我々の世界に干渉する為には、実体化が必要とされています。彼らの肉体を形作る為に、莫大な魔力の質量を必要とするのです。だからこそ、長時間の顕現は不可能なのです。……過去その問題を強引な方法でクリアした方々もいましたが」
「二つの塔ですね」
ヘルマールが、静かにその言葉を継いだ。
「かつて、魔導王国が大陸全土を支配していた時代。二つの塔が、無尽蔵とも言える奔流の魔力を生み出し続けていました」
カシミールが、説明を続けた。
「その膨大な魔力の供給元があったからこそ、魔神王という最高位の存在すら、長時間この世界に顕現させることができた。……それがあの時代の異常性です」
「だが、今はその塔はない」
クレオスが、確認するように口を挟む。
「はい。塔は既に崩壊し、二度と再現できないはずの供給源です」
カシミールは、頷いた。
「賢者の学院の研究の見解では、魔神が長時間この世界で活動を続けるためには、二つの方法が可能性として考えられています。ひとつは魔導王国時代のように、莫大な魔力を供給し続けるか……」
「もうひとつは、この世界で長時間活動できる物質的な肉体を、依代とする事です」
カシミールの声に熱がこもる。
「依代? それは肉体を作るということか?」
クレオスがカシミールに質問する。賢者の学院での熱の入った講義の様相を呈してきた。
「魔神の肉体を作る。そんな事が可能なのですか?」
ヘルマールが、間髪入れずに問う。
「肉体を一から構築する手段……不可能とは言いませんが、私はそうした手段を記した文献や実例を知りません」
一拍、間を置いてから、カシミールは続けた。
「となると、もっとも現実的なのは——」
「物質的に、既に存在する肉体を拝領する。……その形が、最も可能性が高いかと」
意識をなくした肉体や死体に死霊が取り憑く。石像や無機物である鎧に精霊が憑依する。似たような実例はあった。
天幕の中に、重い沈黙が満ちる。
誰もが、既にある一つの結論へと辿り着いていた。だが、それを最初に言葉にしたのは、ユーヌリオンだった。
「……つまり」
彼は、腕を組んだまま、静かに言った。
「エンシェントドラゴンの肉体を——魔大公は、顕現するために使用した。そういうことだな」
誰も、それを否定しなかった。




