第十九話 死神の笛(三)
この事実は、この天幕にいる六人にとっても、いや、大陸連合の各国にとっても、非常に深刻な結論であった。
事実、魔大公がこの世界に肉体を持ち、顕現していること。それは、もはや紛れもない現実であったのだから。
魔大公率いる一隊に、ロンダルシア帝国の精鋭二万が成すすべなく、壊滅の憂き目に遭った事は記憶に新しい。
あのクラスの高位の魔神が、今後この世界に肉体を持ち、しかも複数体、顕現できるとなれば、人類の勝利の見込みは、限りなく小さなものとなるだろう。魔大公の恐ろしさを見たこの場の全員共通の認識であった。
しかしカシミールはひとつの疑問があった。仮に魔王軍が魔神に身体を与えたのであれば、その後、どう魔神を使役していたのだろう。魔導王国時代のように、魔力で構築した身体であれば、その魔力の供給を停止してしまえば魔神を制御できる。だが、身体を与えてしまえばその縛りは無くなる。完全なる自由を与えてしまうのだ。魔王軍と魔神との間に利害の一致があるのか……。この場で発言するには、現状余りにも情報が少なかった。
そして、重苦しい沈黙を破るように、話は次の疑問へと移った。
「では」
ライガルドが、一同に問いかける。
「あの、魔大公をも巻き込み、消滅させた破壊の光。……あれは、いったい何だったのか」
ライガルドは魔大公の死体を見たわけでは無かったが、カシミール達の報告を聞く限り、いかに魔大公であっても無事に済んでいるとは思えなかった。
しばしの沈黙の後、口を開いたのは、カシミールであった。
「……これは私個人の憶測の域をでませんが……」
彼にしては珍しく躊躇いがちに、慎重に言葉を選ぶように続けた。
「恐らく、魔道具【夜明けの明星】が、使われたのではないかと。大地が一瞬の高温で熱せられ融解し、七色に光るガラス状に変形していました。夜明けの明星が使用された場所の状態に酷似しています。古い文献からの引用ですが」
「夜明けの明星?」
クレオスが、聞き慣れない言葉を、繰り返した。
ヘルマールの表情が曇る。
「魔導王の五大秘宝の一つです」
カシミールが、補足するように口を開いた。
「かつて、大陸全土を支配していた魔導王が所持していたとされる、伝説の魔法器具。……城壁の破壊、敵の拠点もろとも消し去るほどの、恐るべき威力を持っていたと伝わっています。城一つ、砦一つを、跡形もなく吹き飛ばすために用いられていたとも」
「そんなお伽話のような兵器が」
ライガルドが、低く唸る。
「ただし」
カシミールが、続けた。
「これもまた失われて久しい秘宝。元来、二つの塔がなければ、稼働できない代物のはずです。あれほどの力を行使するには、途方もない魔力の供給が必要になる」
「……ここに来てまた二つの塔か……賢者殿その二つの塔が、魔王軍によって再編されたとは考えられないか?」
ライガルドがカシミールとヘルマール二人の顔を交互に見る。
「……それは、限りなくゼロに近いと思います」
少し思案しながら、カシミールは断言した。
「なぜそう言い切れる?」
今度はクレオスが質問を畳み掛ける。
「水ですよ」
「水?」
言葉の意味が分からず、クレオスとライガルドは同時に尋ねる。
「詳しいことは省きますが、古い文献によると、あの二つの塔を維持する為には大量の水が必要だったようです。その為、世界最大の【アラル湖】が、【アラルクム砂漠】となりました」
テーブルに広げられた大陸地図を指差しながらカシミールが語った。
「その水がないと?」
クレオスが更なる説明を欲しているようだった。
「ですね。今の何倍も魔法技術が進んでいた魔導王国時代ですら、塔の稼働には大量の水が必須条件だったのです。その大量の水を地下都市が用意できたとは考えられません」
カシミールは断言した。
「……他の国ならば?」
しばらく無言を貫いていたユーヌリオンが、よく通る声で唐突に呟く。
「……なッ!?」
思いもよらぬ呟きに、その場にいた全員が驚愕した。ただひとりカシミールを除いて。
「それはないですね」
カシミールは親友に、静かな笑みを浮かべながら答える。
「地理的にも技術的にもほぼ不可能です。あの砂漠を満たす水となると……そうですね【ホルス山脈】の永久凍土の氷を全て水に戻すぐらいしか手はないですよ」
少し考えながら努めて明るくカシミールは答えた。そして心の中で感嘆の声を漏らす。やはりユーヌリオンは常人と視点が全く違う。常に俯瞰して状況を捉える事ができる。彼がもし、賢者の学院で学び、魔術師になったのであれば、学院の歴史に名を残す魔術師になったに違いないと確信している。
「五大秘宝とやらは他にも?」
クレオスが尋ねる。
「はい。……怨嗟の鎖を除く四つは、いずれも所在不明とされています」
カシミールが静かに答え、ヘルマールに視線を移す。
「怨嗟の鎖は、我が国の神殿にて竜王猊下の管理下に置かれてます」
ヘルマールは静かに答えた。
竜大国にとっては、怨嗟の鎖は単なる魔法のアイテムではない。かつての【憤怒の竜王】フロルマージュをも支配した実在する呪われた鎖そのものである。一度その鎖に囚われた者は、決して逃れられない。巨人族の王であろうと、竜王であろうと、何者であろうともその肉体は、鎖を繋いだ者の完全な支配下に置かれるのだ。
囚われた者が命令を拒否すれば、全身に激痛が走る。逆らおうとする全ての意志を打ち砕く、耐え難い苦痛である。その痛みは肉体を傷つけるのではなく、心そのものを、意志そのものを折ってしまう。やがて、その者は自分の身体さえ自分のものだと感じなくなるだろう。自分は単なる道具に成り果てるのだ。かつての魔導王達は、この鎖を用いて、様々な命ある者を支配していた。
「【星の目】、【夜明けの明星】、【叡智の王冠】、そして、名すら定かでない、最後の一つ」
カシミールが賢者の学院の禁書庫で手に入れた知識をも共有する。
「五大秘宝の行方……これはもう私達が対応できる範囲を著しく超えますね」
ヘルマールが大きく息を吐き皆に同意を求めた。
クレオス、カシミールも同意するように頷いた。
「確かにそうだな……我々も……」
ライガルドがその同意を受け、次の言葉をつなごうとした時。
「ひとついいか?」
ユーヌリオンが今度は右手を挙げ、その同意からの言葉を遮った。
ライガルドは頷き、ユーヌリオンの次の言葉を待つ。




