第14話 樹海(一)
大樹の森を目指す一行の足取りは、これまでの道中とは明らかに違っていた。
街道を辿る通常の行軍であれば、一日に進める距離はたかが知れている。休息を挟み、食事を摂り、夜には確実な野営地を選ぶ。
それが定石だ。だが今の一行に、そんな悠長さはなかった。
「休憩は最小限に。飯は歩きながらでも食え」
ユルトの号令に、誰も異を唱えなかった。
夜明け前に発ち、日が完全に沈むまで歩き続ける。仮眠は交代で、火も焚かず、乾いた携行食を齧るだけの食事。
まさに強行軍と呼ぶに相応しい行程だった。
それでも、先を行く二組の痕跡だけは、決して見失わなかった。
これは、ひとえにムーンの目のおかげだった。
街道を外れ、獣道へと入っても、彼の目は決して迷わなかった。踏み荒らされた下草、折れた小枝の角度、湿った土に残るわずかな凹み。
常人ならば風景の一部として見過ごしてしまうものの中に、彼は確かな意味を読み取っていく。
「……こっちだ」
迷いのない声で、ムーンは先頭を歩き続けた。ユルトでさえ、彼の後ろについていくしかなかった。
最初に見つけた四人組。スモールフォークを含む一団の痕跡は、意外なほどはっきりと残っていた。急いでいるのだろう、足取りに、痕跡を隠す余裕がない。重い荷を運んでいるのか、時折、地面に擦れたような跡も見つかった。
だが、五人組。恐らくエルフの部隊の痕跡は、様子が違った。
「……手強いな」
ムーンが、珍しく舌打ちに近い声を漏らした。
足跡は、明らかに意図的にぼかされていた。踏みしめる場所を選び、石の上や根の上を渡り歩き、土の上に残る跡を最小限に留めている。
時折、痕跡そのものが唐突に途切れ、しばらく先でまた現れる。
これは、後方からの追跡を警戒し、あえて迂回や偽装を織り交ぜている証拠だった。
「並の斥候の仕事じゃない」
ムーンは、地面に片膝をつき、指先でその痕跡をなぞった。
「追跡に慣れてる。……それも、相当」
「エルフで確定……というわけか」
ユルトが、低く唸った。
「……ダークエルフの線もある。いや、九割帝国のダークエルフだな」
「え? 足跡だけで種族までわかるの?」
アウロラが驚いたようにムーンの顔を覗き込む。
「あぁ、エルフは足跡まで我が儘だからな」
ムーンは全く表情を変えずに、アウロラの顔を見た。
「プッ!」
パピーが思わず吹き出した。
感情をあまり表に出さないエルでさえ、下を向いて笑いを堪えている。
ユルトに至っては、手を叩いて大笑いだ。
ここで、ようやく揶揄われている事に気付いたアウロラは口を尖らせて反論する。
その反論を含み笑いで聞き流し、ムーンは改めて痕跡を確かめていた。痕跡を追ううちに、この痕跡はダークエルフで間違い無いと確信するようになってきた。
行軍に余計な感情が見当たらない。迷いがないというか、訓練されすぎている。
森のエルフだともっと、感情的に、行ったり戻ったり、偶に道を外れたり、そしてペースに個人差が出るはずだ。
しかし、いかに訓練されていようとも、僅かな痕跡を完全に消し去ることまではできていない。
わずかに残る手がかりを、ムーンは根気強く拾い集めながら、先へ先へと進んでいった。
二日目の朝、一行はようやく、小さな村へと辿り着いた。
木々に囲まれた、素朴な農村だった。柵の向こうには畑が広がり、家々の煙突からは細く煙が上っている。この数日で見てきた荒廃した光景とは違う、ささやかな日常がそこにはあった。
「……水と食料、分けてもらえるだけありがたい」
ユルトが、安堵の息を吐いた。
村の広場で、一行はしばしの休息を取ることになった。井戸から水を汲み、村人から食料を分けてもらう。強行軍の疲れが、ようやく少しだけ緩んでいく。
その一方で、村の井戸の傍らでは、村の若い娘達が数人、ひそひそと言葉を交わしていた。
ちらちらと視線が向けられる先は、水を汲むムーンだった。
「……ねえ、あの人」
「褐色の肌、私初めて見た……」
「なんか、村の男達とは雰囲気が違うよね~」
「やっぱりカッコいい~」
その様子に、真っ先に気づいたのはパピーだった。
「あら~、また視線を集めてるじゃない」
アウロラの肩から飛び立ち、ムーンの周りをくるくると回る。
「……知らん」
ムーンは、素っ気なく水瓶を担ぎ直した。
「あら、手を振らなくてよかったの? あの子達、頬赤くしてたわよ」
「……モテるのね、相変わらず」
アウロラがパピーに追随し、井戸の水を汲みながら、からかうような笑み交じりにそう零した。
「戦場でも、村でも」
「羨ましいのか?」
ムーンが、珍しく茶化すように問い返す。
「へえ、やっと反撃してきたわね」
アウロラは、そう言って、少し呆れたように肩をすくめた。
「あら、アウロラも見た目は十分綺麗じゃない? ミステリアスさがもう少し欲しいけど」
パピーが、今度はアウロラをからかいにかかる。
「褒めても何も出ないわよ」
「あら、そうなの?」
アウロラは、軽くいなしながらも、口元には小さな笑みが浮かんでいた。
ムーン達の軽口を、ティロネが笑いながら聞き流していたが、先程の若い村娘達の言葉を思い出しハッとした。
(やっぱりカッコいい? やっぱり?)
「あの! あなた達! 最近……彼みたいなダークエルフを、見かけませんでしたか?」
ムーンを指差し村娘達に詰め寄る。
突然の問いに、村娘達は少し驚いたように目を瞬かせた。
「見ました~!」
「そうそう! カッコよかったんです~」
「……二人組のダークエルフが、食料と水を分けてほしいって頼みにきたんですよ~」
「いつ頃です?」
「昨日です。夕方くらいかな?」
その言葉に、ティロネとアウロラが、思わず顔を見合わせた。
「……二人分、でしたか? 食料?」
ティロネが、静かに確認する。
「う~ん……」
村娘達は、少し首を傾げた。
「二人にしては、少し量が多かったかも。水も食料も。……何人分か分からないけど、二人って事はなかったよねぇ」
ムーンに一番熱い視線を送っていた娘が頷く。
「保存食だけじゃなかったし、四、五人分はあったと思う」
その答えに、一行の間に、緊張が走った。
「なるほど……。表向きは二人だけを村に寄越して、残りは森の外で待機していた、ってことか」
ティロネが、顎に指を当てながら呟いた。
「痕跡を隠す腕前といい、補給の仕方といい……相当、訓練されてるね」
「詳しいのね、そういうの」
アウロラが、感心したように言う。
「学院では、魔術以外にも色々学ぶんだ。……もっとも、こうして実戦で目の当たりにするのは、初めてだけど」
ティロネは、少し苦笑しながらそう付け加えた。
「……つまり、姿を見せたのは二人だけ。だが、実際にはもっと大人数だった、ということか」
ユルトが、腕を組んで低く呟いた。
「痕跡通りだな。五人のダークエルフということで間違いなさそうだ」
「半日余りの差……か」
ムーンは、静かに拳を握った。追いつける距離だ。そう遠くはない。
その時だった。
「あの、失礼します」
声をかけてきたのは、村長らしき老爺だった。困り果てたような表情を浮かべている。
「司祭さま御一行の方々とお見受けしましたが……助けていただけませんでしょうか」
村長が遠慮がちに、エルに話しかけてきた。
「私に、ですか?」
エルが、問い返す。
「実は……先日、森で熊に襲われた者がおりまして。傷が深く、村の薬師の手には負えず……。もし、お力をお貸しいただけるなら」
エルは、一瞬だけ痕跡の続く方向へと視線をやった。時間が惜しい。誰もが、それを分かっていた。
だが、彼女はすぐに静かに頷いた。
「お連れください」
「エル」
ユルトが、小さく声をかける。だが、エルは首を振った。
「急いでいるのは、事実です。……ですが、目の前で助けを求められている人を、見捨てるわけにはいきません」
その言葉に、誰も、それ以上は何も言わなかった。
治療は、思いのほか手早く終わった。エルの神聖魔法。回復魔法【ヒール】の光が、深く抉れた傷を見る間に塞いでいく。村人達は、その光景に驚き、そして涙ながらに感謝の言葉を口にした。
その間、ユルトは村長の元へと向かい、別の交渉を持ちかけていた。
「馬を、借りられないだろうか。もちろん、相応の礼はする」
目的地を伝え、この村から大樹の森への最短ルートも確認する。
村長は、少し困ったように眉を寄せた。
「馬は……村の大事な働き手でしてな。長く貸すのは、正直厳しいのですが」
「森の入り口までで構わない。……こちらの足を、少しでも速めたいだけだ」
しばしの相談の後、村長は頷いた。
「分かりました。あなた方には、助けて頂いた御恩もあります。……うちの若い衆を二人、付けましょう。馬の世話も兼ねて、森の入り口までなら、ご一緒させます」
「助かる」
ユルトは、深く頭を下げた。
こうして一行は、村の若者二人と借り受けた馬を伴い、再び大樹の森へ、痕跡の続く先へと、足を進めることとなった。




