第12話 禁忌の遺物(ニ)
その頃、ムーンは一人、ドラゴンの亡骸の周辺を、無言のまま歩き回っていた。
地面に膝をつき、焼け爛れた土の上に残る、微かな痕跡を目で追う。
常人ならば、ただの風紋の一つとして見過ごしてしまうような、ごく僅かな凹凸。
だが、幼い頃から森で鍛えられた狩人の目は、そこに刻まれた意味を、見逃さなかった。
(……先客がいたな)
足跡は、複数人のパーティーが二つ。
一つは、四人組。
踵がほとんど沈まず、まるで踵が存在しないような地を滑るような足運び。二足歩行ではあるが、明らかに歩き方が人ではない。
二年間、どれほど探しても掴めなかった影が、今、目の前の焼け土に刻まれている。
(とうとう見つけた!)
ムーンは、震えそうになる指を土から離した。
うち二人は、歩幅が通常の人間よりも大きい。かなりの長身の者だと知れた。
もう一人は、小柄な女性。かなり体重は軽そうだ。
そして、残る一人は歩幅が極端に短く、それでいて足の運びに一切の乱れがない。恐らくは、小柄な種族、体重は軽い。足跡の凹みから装備は軽装だ。全員、重装備の兵士では無いが、動きに淀みがなく、統率の取れた足取りだった。ただの旅人や野盗の類ではない。かなりの訓練を積んだ者達の歩みだ。
もう一つは、五人組。
こちらの足跡には、また違った特徴があった。足幅が細く、爪先から着地する、踵が細い独特の歩法。エルフ、あるいはダークエルフに特有の特徴だった。こちらは軽装備と重装備のものが混じっている。
そして、両者の痕跡は、いずれも同じ方向へと向かっていた。
まるで、何かを追うように。
乾き具合、そして焼け土の上に残った痕跡の鮮明さから見て、まだそう時間は経っていない。半日と経ってはいないだろう。
「……ユルト」
ムーンは、痕跡から目を離さぬまま、近くにいたユルトを呼んだ。
その静かな、しかしどこか張り詰めた声音に、ユルトはすぐに異変を察したらしい。バスタードソードの柄に手をかけたまま、足早に歩み寄ってくる。
「どうした」
「先客がいた。……二組」
ムーンは、指先で地面をなぞるようにして示した。
「一組は四人。うち二人はかなりの長身……もう一人は小柄な女性。残り一人は、恐らくスモールフォーク。……素人の足取りじゃない」
「もう一組は?」
「五人。エルフか、ダークエルフ。歩き方でわかる」
ムーンは、そこで一度、言葉を切った。
「両方とも……同じ方向に向かってる。まるで、何かを追ってるみたいに」
ユルトの表情が、静かに険しさを増していく。
「……そんなに時間は経ってない、ということか?」
「ああ。痕跡がまだ鮮明だ」
その会話に、いつの間にか近づいていたユーヌリオンが加わった。
「面白いことになってきたな」
「面白がってる場合か」
ユルトが、呆れたように口を挟む。だが、二人とも、その目は真剣そのものだった。
「四人と、五人……両方とも、同じ方向へ。……偶然とは思えんな」
「ノリリスク側の斥候、という線もあり得るか」
ユーヌリオンが、静かに推測を口にする。
「あるいは、帝国の残党か。……いずれにせよ」
ユルトは痕跡の続く方向へと目を向けた。
「先を越されている、ということだけは確かだな」
ムーンは、腕を組み痕跡の続く方向へと目を細めた。今すぐこの痕跡を追跡したいという衝動に駆られる。
「……行き先は?」
「この方角なら……恐らく大樹の森だ」
ムーンが、その衝動を抑える様、大きく息を吐き短く答えた。
答えたムーン自身は、その言葉に複雑な思いを抱いていた。
三人がやり取りをしている所に、エルが祈りを終え、静かに立ち上がりムーンの方に歩み寄ってきた。
「……人の気配だ」
歩み寄って来たエルにムーンが、低く呟いた。反射的に弓へと手が伸びる。ユルトもまた、バスタードソードの柄を握り直した。ユーヌリオンもいつの間にか抜剣している。
警戒する様、全員が魔大公の大槍の近くに集まった。
焼け爛れた地平の向こう、まだ立ち込める煙の切れ間から、二つの一団が姿を現した。
一方は、旗印から神聖国クリシュトリアの聖騎士団の面々と分かった。
先頭は、胸元に紋章がある聖騎士団の鎧を纏った、鋭い目つきの男。その後方には、寡黙な佇まいの若い聖騎士、常識人然とした大柄な戦士、黒髪を短く切り揃えた知的な風貌の女、軽薄な笑みを浮かべた剣士が続く。
もう一方は、ドラウグヘイムの装束を纏った戦士が五人。そしてその中央に、両拳に鈍く輝く金属の籠手を嵌めた、筋骨隆々の大男が一人。纏う空気だけで、只者ではないと知れた。獲物を前にした獣のような、抑えきれない好戦的な気配を全身から放っている。
「……あの大男は?」
ユルトが、警戒を滲ませながら問う。
「知らんな」
ユーヌリオンが、興味なさそうに肩をすくめた。
聖騎士団の先頭の男が、真っ直ぐに近づいてくる。
そして大槍を見留めるなり、大股でこちらへと歩み寄ってきた。
「その大槍。魔大公の得物だな」
有無を言わせぬ声音だった。
「クリシュトリア聖騎士団副団長、クレオスだ。その禁忌遺物、こちらで回収させてもらう」
「禁忌遺物?」
カシミールが、静かに問い返した。
「呪われた魔具は、然るべき手順で封印・処分するのが、我が神聖国の務めだ」
クレオスが、冷ややかに言葉を継いだ。
「賢者殿、悪いようにはしない。教会が責任を持って管理する」
カシミールとクレオスに直接的な面識は無かったが、お互いの顔と存在は大陸連合の軍議で認識していた。
「お断りします」
カシミールの返答は、静かだが、揺るぎなかった。
「……何?」
「この槍には、まだ調べるべきことが多く残っています。魔大公という存在の正体、そしてあの日の閃光との関わり。封印してしまえば、その手がかりも共に失われる」
「知識欲のために、危険な代物を野放しにするおつもりか」
クレオスの声が、低くなる。
「賢者の学院の流儀は存じ上げないが、こちらは神聖国の教義に基づいて動いている。譲るわけにはいかん」
「こちらこそ、譲れません」
二人の間に、張り詰めた沈黙が落ちた。
その空気を破るように、ドラウグヘイムの大男が、大股でこちらへと近づいてきた。
「よう、あんたが剣聖ユーヌリオンか」
人懐っこいとも取れる、しかしどこか獰猛さを孕んだ笑みだった。
「ドラウグヘイムのベノンだ。……噂は、散々聞いてる」
「悪いが、そちらは知らないな」
ユーヌリオンが、素っ気なく返す。
「そりゃそうだ、俺の方が一方的に聞いてただけだからな」
ベノンは、気を悪くした様子もなく、むしろ愉快そうに笑った。
「大陸中の強者達が束になって、お前一人に敵わなかったって話。……嘘か本当か、この目で確かめたくてな」
彼は、拳の籠手を打ち鳴らした。金属の擦れる、重い音が響く。
「一つ、腕比べといこうぜ」
「おいおい……空気読めよ。今それどころじゃないだろ」
ユーヌリオンが、静かに首を振る。
ムーンは心の中で、空気を読む……。
(お前がそれを言うなよ)と呆れたが、口には出さなかった。
双子も同じ気持ちだったのか、顔を見合わせてニヤリと笑った。
だが、ベノンはユーヌリオンの反応をまるで気にする様子もなかった。
「関係ねぇよ。……お前とはいつかやり合いたいと思ってたんでな」
「ベノン様、今は状況が」
ドラウグヘイムの兵士の一人が、慌てて声をかけるが、当のベノンは聞く耳を持たない。
張り詰めた空気が、その場を満たしていく。聖騎士団は槍の回収を、ベノンは力比べの機会を、それぞれ求めて動こうとしている。数の上では、明らかにこちらが分が悪い。
ユルトが、無言でバスタードソードを引き抜いた。ムーンも、矢筒に手をかけたまま、静かに息を潜める。
誰かが一歩でも動けば、それが引き金になる。そんな緊張が、焼け爛れた大地の上に、重く垂れ込めていた。
張り詰めた空気の中、静かに口を開いたのはカシミールだった。
「クレオス殿。……一つ、提案があります」
「提案?」
「遺物や発見物の権利は、最初に発見した者に帰属する。これは、冒険者の間で古くから守られてきた不文律です。今回、この槍を最初に見つけたのは、私達です」
クレオスの眉が、微かに動く。
「ですが、私も無理を通すつもりはありません。研究が終わり次第、この槍は必ず教会へと引き渡す。……そして、そこから分かったことは、私達賢者の学院だけの知見に留めず、各国の首脳陣にも共有する。魔大公、そして魔神軍団の弱点に繋がる手がかりが、そこに眠っている可能性がある」
しばしの沈黙。クレオスは、値踏みするようにカシミールを見つめていたが、やがて短く息を吐いた。
「……賢者殿の言い分、一理あるな。分かった、それで手を打とう」
そして、一人の若い聖騎士へと目を向けた。
「アグニス。賢者の学院には、お前が同行しろ。学院での研究、逐一報告するように」
名を呼ばれた寡黙な青年、アグニスは、無言のまま小さく頷いた。
「おいおい、ちょっと待て」
不服そうな声を上げたのは、ベノンだった。
「じゃあ俺は結局、何もできねぇってことか。魔大公とはやり合えねぇ、剣聖ともお預けか」
「今回はそういうことだ」
クレオスが、素っ気なく返す。ベノンは、大きく舌打ちをすると、拳を打ち鳴らした。
「くだらねぇ。……付き合ってられるか」
吐き捨てるようにそう言うと、ベノンはドラウグヘイムの兵士達を引き連れ、聖騎士団とは違う方向へと、大股で歩き去っていった。
「……次だ。次は必ずだからな、剣聖!」
その背中越しに投げつけられた声に、ユーヌリオンは応えることなく、ただ肩をすくめただけだった。




