策士の策
翌朝、リナリアは非常に機嫌が良かった。
なぜなら昨日…ついに仕事ができたからだ。
食事を届ける
たったそれだけの仕事だったが、リナリアにとっては大きな進歩だったのだ。
侍女として認められる為の第一歩、そう思うと自然と足取りも軽くなる。
「今日も頑張りましょう!」
そう言って元気よく自室を飛び出したリナリアだったが…
「おはようございます!」
廊下に出た瞬間仕事中だろう侍女さんと目が合い物凄い笑顔で挨拶され、リナリアは少したじろいだ。
なんなんだろう?
私へと向けられていた熱量が昨日までと全く違う。
出鼻を挫かれてしまったリナリアだが、再度やる気を入れ直して仕事を探し始めたのだが…
「おはようございます番様!」
「今日もお美しいです番様!」
「お身体は大丈夫ですか!?」
「重い物は持たないでくださいね!?」
「転ばないでくださいよ!?」
出会う蜘蛛人達が皆、リナリアへとものすごい勢いで話しかけてくるのだ。
「…?」
何故か昨日よりさらに過保護になってしまっている蜘蛛人に、リナリアは疑問を抱いた。
いや、寧ろこれはもう過保護を通り越して心配性だ。
リナリアが首を傾げつつ考えるが答えは出ない。
種族間での違いだろうかとおもいつつリナリアは更に歩いていると、何か悩んでいそうな侍女を見つけた。
「私にも何かできる事ありますか?」
リナリアは瞳を輝かせながら近寄ってゆき、そう尋ねてみた。
その蜘蛛人はその声に振り向き、声の主がリナリアだと認識した途端に感極まったような顔でこちらを見つめてきた。
「な、なんて心優しい番様…!」
「え?」
「私、最優先させなければいけない事ができましたので、失礼します!」
…そう言い残して走り去ってしまった。
「蜘蛛族の人達って時々よくわかりませんね…」
走り去る侍女の背中を見つつ、リナリアはそう独りごちた。
もしかしたら蜘蛛族全員が何かの時期なのかもしれない。
猫族などには発情期があるし、熊族には冬眠期があるのだ、蜘蛛族にもなんかそういった時期があるのだろう。
そして、リナリアはもうこの事を深く考えるのをやめた。
今はそれより仕事である、今日も仕事を見つけなければならないのだ。
リナリアが仕事を探していた同時刻、領主館の厨房にてミーヤは優雅に紅茶を飲んでいた。
向かい側では料理蜘蛛人がじっとこちらを見ている。
「…ミーヤさん」
「なんでしょう?」
「昨日の件…仕組みましたよね?」
ぴたりとミーヤの手が止まり、そして
「人聞きが悪いですね」
と、にっこり。
満面の笑みだった。
だが、そんな笑顔に料理蜘蛛人は騙されない。
「領主様へ昼食を運ぶ担当者が全員別の仕事に回されたのは?」
「偶然です」
「その直後に仕事を探していたリナリア様が食堂へ来たのは?」
「素晴らしい偶然ですね」
「そのタイミングでリナリア様に頼んだのは?」
「リナリア様が丁度お仕事を探されていたのですよ」
「全部偶然?」
「全部偶然です」
ミーヤのその言葉を聞いた料理蜘蛛人は確信した。
嘘だ、これは絶対に嘘だ。
…しかし証拠がない。
ミーヤは悠々と紅茶を飲んでいる。
その姿はまるで何も企んでいない善良な侍女そのものだった。
でも実際は違う、絶対に違う。
だって仕方ありませんよねとミーヤは心の中で思う。
仕事をしたがるリナリアと、そんなリナリアに弱い領主様。
なら会わせればいい。
領主様の本能が既にリナリア様を番だと認識しているのだから簡単な話だ。
百年以上独り身だったのですから、少しくらい背中を押しても問題ありませんよね…むしろ必要だ。
ミーヤは早々にそう結論づけていた。
ちなみに昨日の夕方。
アシュヴァルが誰もいない執務室で空になった食器を見ながら少し笑っていた事もミーヤは知っている。
その姿をミーヤはばっちり見ていた。
これは偶然通りかかっただけである。
本当に偶然に窓の外を散歩していただけだ。
たぶん。
「良い結果になったでしょう?」
ミーヤが微笑みながらそう告げると、料理蜘蛛人は遠い目をした。
「背中を押すっていうか…崖から突き飛ばしてません?」
「失礼ですね」
ミーヤは心外そうな顔をしたが、次の瞬間にはにっこり笑っていた。
「まだ押し始めたばかりですよ?」
「怖い」
料理蜘蛛人のジヌは震えた。
そして今現在、仕事が見つからないまましょんぼりと部屋へと向かっているリナリアの背中へ声がかけられた。
「リナリア様!」
また狙い澄ましたようなタイミングでミーヤが現れたが、リナリアはそんな事には全く気づかない。
「ミーヤさん!」
「お願いがあるので…」
「仕事ですか!?」
前のめり気味のリナリアの目が輝いている。
眩しい、あまりにも眩しい。
ミーヤは一瞬だけ良心が痛みそうになった…が、それはやっぱり気のせいだった。
「はい。仕事で…」
「やります!」
話の最中だったが、リナリアは即答だった。
リナリアは本当に仕事が好きらしい。
もしかしたら本当に領主様の役に立ちたいのだろうか?
まぁ、真意はどうだったであれ好都合だとミーヤはにこりと笑った。
「こちらの書類を執務室までお願いします」
「任せてください!」
両手で大切そうに書類を抱え、ニコニコ笑顔のリナリア。
その姿を見送りながらミーヤは心の中で呟く。
領主様、頑張ってくださいね?と、今日もきっと面白いことになる。
ミーヤにはそんな確信があった。
それと同時刻、アシュヴァルは執務室で仕事をしているフリをしていた。
何故なら昨日の出来事が頭から離れないから仕事が手につかないのだ。
『食べないと駄目です』
『アシュヴァル様のお身体も大事です』
『アシュヴァル様が大事です』
…思い出すたびに耳が熱くなる。
そんな時だった、こんこんと扉が鳴る。
「入れ」
返事をした瞬間…アシュヴァルはなんだか既視感を感じて扉の方へと視線を走らせた。
「失礼します」
聞き慣れた声と共に入ってきたのはリナリアだった。
何故か両手に書類を抱えてにこやかにそこに立っている。
「ミーヤさんに頼まれて持ってきました!」
「そうか」
「ぴしっ」机がまた糸に包まれた。
2人の視線が机へ向くと同時に少しの沈黙が落ちる。
「アシュヴァル様?」
「いや、なにも問題はない」
問題はあった、かなりあった。
これはもしや神からの試練ではないかとアシュヴァルは本気で思った。
この調子だとリナリアをいつか糸で拘束してしまいそうである。
危険だ、逃げろ!とアシュヴァルは叫びそうになった。
しかしリナリアはそんなアシュヴァルの様子には全く気づいていないので、無防備なまま机へ近付いてくる。
「こちらです」
書類を置く…ただそれだけの事、だがアシュヴァルの心臓には非常に悪かった。
だが神はそんなアシュヴァルの様子を嘲笑うかの如く試練を追加してくる。
「お疲れではありませんか?昨日も遅くまでお仕事をされていたそうですし…お忙しいのはわかりますが、本当に無理は駄目ですよ?」
リナリアが優しい。
とても純粋にアシュヴァルの事を心配しているだけなのだろう。
それはわかる…わかるのだが…だからこそ破壊力が高い。
もはや殺傷力といっても過言ではない。
「ぴしぃっ!」壁や天井がものすごい勢いで糸で覆われた。
まさに一瞬の出来事である。
突然執務室が糸で覆われてしまった事に、流石のリナリアも驚いた。
「ひゃっ!?」
「…驚かせてしまって…本当にすまない」
アシュヴァルは羞恥により顔を押さえることしかできなかった。
この時丁度糸で覆われるタイミングで執務室へと入室しようとして扉を開け、中の様子を見ていたビートは頭を抱えた。
そして気づく、扉を触っていた自身の右手が糸で完全に覆われている事に。
ビートは勢いよくその糸を断ち切り、手のひらをブンブンと振って糸のカスを払いのけた。
蜘蛛族では自身の系を他人へ巻きつける行為は求愛となる。
無意識での偶然の事故だったとはいえ、いい気分ではない。
ビートは遠い目をした。
…もう慣れた、最近は毎日こんな感じだ。
原因が毎回同じなんですがねとビートは思った。
…だが口には出さない。
出したら殺傷力のある糸が飛んでくるからである。
その頃また領民達の間では新たな噂が広まっていた。
「聞いたか?」
「聞いた!」
「今日は書類を届けたらしいぞ!」
「昨日は給餌!今日は仕事の支援!」
「つまりこれは…夫婦の共同作業では?!」
「「間違いない!!」」
昨日に続き、領民達の期待が限界突破していた。
百年以上独り身だった領主、そこへようやく現れた番。
皆が終始浮かれていた。
領主様と番様の状況をすぐに知りたい!
そんな気持ちが隠しきれない領民は皆、本気だった。
どれ程本気かと言えば、領主の屋敷の至る所へ系を張り巡らせ、新着状況をすぐに把握できるようにしている程にだ。
「結婚式の準備を始めるか?」
「それはまだ早いと思う!」
「だが遅れてはならない!」
「準備ぐらいならいいかもしれない!」
真剣な会議が始まる、内容は当然2人の結婚式の話である。
そんな騒ぎを何一つ知らないリナリアは。
今日は書類を運べました!と1人自室で満足そうに日記を書いていた。
侍女として少しずつ成長している、その事実が嬉しくて仕方なかった。
もちろん、自分が仕事をするたびに領地中で婚約発表みたいな騒ぎになっていることなど、欠片も知らないままに。




