仕事が出来て大満足
翌朝、リナリアは気合い十分だった。
「今日は絶対に仕事を見つける!」
ぐっと拳を握り、リナリアはそうひとりごちる。
今日で蜘蛛族領へ来て5日目。
…未だに全く侍女として仕事が出来ていない。
これは由々しき事態である。
誰に求められてここへ来たのかはわからないが、養父が侍女としてと言ったのだ。
その名目で私が派遣されてきた以上、働かなければならない。
…そうしなければ居場所を失う。
人族の屋敷ではごく当たり前のことなのだ。
だから今日こそはと再度気合いをいれ直す。
「何としてでも仕事を見つける!」
そう言ってリナリアは勢いよく部屋をでたのだった。
「おはようございます!」
廊下ですれ違った蜘蛛人達へ元気よく挨拶する。
すると、そんな気合い十分なリナリアの姿を見た蜘蛛人達が皆固まる。
「お、おはようございます」
「挨拶された」
「朝から幸せだ…」
「リナリア様バーンして!」
「領主様は何処にいる?」
何故か感動されたり驚かれたりしているが、そんな事は後回しだ、私は仕事探しをしなければいけないのである。
リナリアは仕事を見つけるため、大きな屋敷の中を1人で歩き回る。
そしてついに発見したのだ、廊下の隅に無造作に積まれた箱を。
「運び物だ!」
これは絶対侍女の仕事である、間違いなく仕事である。
どこへ持っていけばいいかなんてわからないままに、リナリアは仕事を見つけたと嬉々として箱を持ち上げた。
ふむ、少し重いが問題ない。
「よし!」
リナリアがこの箱をどこへ持っていこうかと思案し始めた瞬間…
「何をしている」
「ひゃあっ!?」
突然背後から声をかけられリナリアは驚く。
最近よく聞くその声の主の方へと恐る恐る振り向くと…やはりそこに居たのはアシュヴァルだった。
いつの間にいたのだろうか?相変わらず気配がない。
「荷物を運ぼうかと…」
「そんな事はしなくていい」
「でも」
「置くんだ」
真剣な表情をしたアシュヴァルの圧に負けたリナリアは、しぶしぶ箱を元の場所へと戻した。
するとアシュヴァルは小さく頷いた後、無言で箱を持ち上げた。
…軽々と。
リナリアはエサを前におすわりをさせられている犬の様な気持ちになった。
「…力持ちですね」
「これぐらいは普通だと思うが?」
そう言ってアシュヴァルは残りの箱全てを糸を使い持っていってしまった。
…終わった。
ついでに会話も終わった。
…だが!私の仕事探しはまだまだ終わっていない!
そう、リナリアはとても諦めの悪い女だった。
次に見つけたのは庭にある花壇だ。
なんと花壇には雑草が所狭しと生えているじゃないか。
この雑草を抜くのは絶対に侍女の仕事だろう。
リナリアは花壇の側にしゃがみ込み、雑草を抜こうと手を…
「何をしている」
「ひゃっ!?」
伸ばしかけた手を引っ込め立ち上がり、背後へゆっくりと振り返るとそこにはやっぱりアシュヴァルがいた。
まただ、またいる!いつから見ていたのだろうか?
「雑草を抜こうと思ったんです」
「それは雑草ではない、違う」
「え?違う?」
リナリアは花壇に生えている緑一色の雑草を指差しながらそう答えた。
アシュヴァルは非常に残念そうなものを見る顔でこちらを見ている。
…非常に居た堪れない。
「これは薬草だ…」
「薬草でしたか…」
おっとこれは危なかった。
危うく仕事どころか損害を出すところだった。
リナリアは自分の過ちを素直に認め、誠心誠意謝る事にした。
「知らなかったとはいえ、損害を出してしまう所でした。申し訳ありません…」
「いや、気にするな」
眉を下げて謝るリナリアを見たアシュヴァルは少しだけ表情を和らげそう言った。
「怪我はないか?」
「ありません」
「そうか、ならば良かった」
アシュヴァルは何故か安心したような顔をした後、リナリアが瞬きをしている間にどこかへと消えていた。
蜘蛛族って身体能力がすごいんだなぁと思いながら目をぱちくりしていたリナリアだが、直ぐに気を取り直して両手を握る。
…いやいや、まだまだ何か仕事はあるはず!
リナリアは失敗しても諦めないタイプの人族だった。
次にリナリアは食堂へ来ていた。
きっとここなら何か手伝えることがあるだろうと目論んだのだ。
昼ごはんが近いからか、豪華な食事が並んでいる。
…多分これ、私の昼食だと直感した。
私、ただの侍女なのに。
…私って本当に侍女なのだろうか?
最近自信がなくなってきた。
リナリアが自分のものであろう昼食を眺めていると
「リナリア様!」
何処からきたのかミーヤが話しかけて来た。
アシュヴァル様といい、ミーヤといい、蜘蛛族は一体何処から現れるのだろうかとリナリアは不思議に思った。
それも束の間、ミーヤが焦った様子で話しかけて来た。
「リナリア様!大変です!」
「ミーヤさん!どうしましたか?!」
もしかして、ついに仕事か?!リナリアの目が輝く。
しかしミーヤが次に言った言葉は仕事の話ではなかった。
「領主様がお昼を食べていません!」
「…え?」
仕事の話ではなかった。
しかも、私の話ですらなかった。
「朝からずっと仕事をしていて!」
「はあ」
「朝食も忘れていて!」
「はあ」
「だからコレを持って行ってください!」
アシュヴァル様の食事事情を何故私に?と思い、気の抜けた返事を返していたリナリア。
けれど最後の言葉を聞いた瞬間、その意味を理解し固まった。
それは…それはもしかして!
リナリアは瞳を再度キラキラと輝かせてミーヤを見る。
「仕事ですか!?」
「仕事です!」
これがリナリアがこの屋敷に来て初めて与えられた仕事である。
そして、目の前にある豪華な食事が自分の昼食ではなかったことに安堵した。
その後ミーヤはリナリアへ、少しお待ちくださいといいながら、アシュヴァルへと持っていく為の準備をしてくれた。
ミーヤがお盆に食事を並べ、そのお盆をカートに乗せてくれる姿をリナリアはじっと見つめながら思った事は、それも私にさせてくれればいいのに…だった。
それから約数分で食事を運ぶ準備が終わり、リナリアの出番が来た。
カートを押す指先が震えた。
リナリアにとってこれが初仕事だからだ。
…あれだけ求めていた仕事なのだ、ここで失敗は許されない。
リナリアは気合いを入れてカートを押したのだった。
…だが、すぐにリナリアはアシュヴァルの執務室を知らないことに気づいた。
完全にやる気が空回っている。
リナリアはとても申し訳ない気持ちでミーヤに案内をお願いした。
心よく案内を引き受けてくれたミーヤが先導してくれる事になったのだけれど、カートを押しながら後ろを歩いてゆくリナリアの姿を見た蜘蛛人は皆が皆、驚愕な表情でこちらを見ていた。
「なぜ番様が食事を運んでるんだ…?」
「仕事したがってたからじゃないか?」
「怪我しないか心配だわ…」
「おい…まさか!?番様は執務室に向かってないか?!」
リナリアは蜘蛛人達の驚愕の表情も、言ってる内容もなにも入ってこない。
リナリアは今、とても真剣なのだ、周りに構っていられる状況ではない。
「執務室はこちらです」
「ありがとうございます!」
案内された扉の前に立ち、リナリアは深呼吸を一つ、そして…こんこんと、扉を叩いた。
「…入れ」
部屋の中からアシュヴァルの低い声がきこえた、リナリアはゆっくりと扉を開き中へと入ってゆく。
執務室の部屋の中に入ったリナリアは目を丸くした。
なぜならそこには大量の書類が山となって机の上に積まれていたのだ。
机に向かうアシュヴァルの真剣な横顔。
初めて見る仕事中の姿だった。
「リナリア?」
カートを押して中へと入って来たリナリアを見て、アシュヴァルが目を見開く。
同じく書類整理をしていたのだろう側近のビートも驚いた顔をしてリナリアを見ていた。
ふふっ、驚いている驚いている!
驚かされてばかりだったリナリアは嬉しくなった。
そんな内心を隠しつつ、リナリアは真剣な表情で仕事をこなす。
「昼食をお持ちしました」
「ちゅうしょく…」
沈黙、何故かカタコトになってしまったアシュヴァル。
視線を下げてしまったアシュヴァルのその耳が赤くなった。
またである、最近ずっと赤い。
「食べないと駄目ですよ」
「…ああ」
「仕事は勿論とても大事ですけど…」
「…ああ」
「アシュヴァル様の体も大事です」
リナリアの言葉に頷くだけの人形の様になっていたアシュヴァルだったが、最後の言葉を言った瞬間…
「ぴしり」そんな音と共に机が糸で覆われた。
「ぴしり」椅子も覆われた。
「ぴしり」壁も覆われた。
そんなアシュヴァルの糸の暴走を見て、ビートが頭を抱えているのが視界の端に映った。
真っ白になってしまった部屋の中で3人は沈黙していた。
その沈黙を破ったのはリナリアだった。
「アシュヴァル様?」
「…」
返事がない。
恥ずかしさからなのかアシュヴァル様は両手で顔を覆って俯いてしまった。
そんなアシュヴァルの様子を見たリナリアは一つ深呼吸をした後、仕事を再開する事にした。
糸で包まれた机の上の比較的平そうな場所へと食事の乗ったお盆を起き、倒れない事を確認した後一声かけてから執務室を退出した。
「昼食、冷めますよ」
リナリアが扉の前で一礼した後、アシュヴァルは小さな声で「わかった、ありがとう」と言っているのが聞こえた。
その絞り出された声はどこか敗北感に満ちていた様な気がしたが、リナリアは特に気にせず扉を閉めるのだった。
そんな執務室の窓の外、隠れて様子を窺っていた蜘蛛族達が深く頷く。
「リナリア様が食事を運んだ」
「「運んでいた!」」
「領主様のお体を心配していた」
「「心配していた!」」
「これは…給餌!!」
「「番様からの求愛行動!?」」
執務室の中を盗み見ていた3人の蜘蛛人全員がリナリアの仕事を求愛行動だと誤解していた。
そしてすぐさま領地に居る蜘蛛人達へとその情報は伝達されるのであった。
執務室から出たリナリアはやっと仕事ができた事に安堵していた。
自室へと戻るその顔はとても満足そうだったと、リナリアとすれ違った蜘蛛人はその様子を領地へと伝達するのだった。
リナリアと蜘蛛族達の間にある認識の差は、今日も絶望的だった。
自室へと戻ったリナリアはとても満足していた。
自室の椅子へ腰掛けながらふうと息を吐き、背伸びをしながら独りごちる。
「やっと仕事ができました…」
なんだかとても感慨深い。
何故ならリナリアが蜘蛛族領へ来て今日で五日目。
ようやく侍女らしい仕事を果たしたのである。
食事を届けるだけ、たったそれだけの仕事。
けれどリナリアにとっては大きな一歩だった。
「これで少しは認めてもらえるかもしれません」
両手に拳を作り、ガッツポーズをしながら溢れ出る笑みを隠せないリナリアはやる気に燃えていた。
もっと仕事を覚えたい、もっと役に立ちたい。
勿論、最初は怖かった。
蜘蛛族は恐ろしい種族だと聞かされて育ったから…でも実際に来てみればそれは全くと言っていいほど違った。
皆よくしてくれるし、食事は美味しいし、部屋も立派だ。
なんだか少し過保護なところはあるが。
…いやかなり過保護なところはあるが!
「明日も頑張ろう!」
リナリアが自室の中でそう決意している頃、領主館の屋敷の外では大変な事が起きていた。
「皆聞いたか!」
「聞いた!」
「見たか者はいるか!」
「俺は見た!」
「俺も見た!」
「今日…今さっきのことだ。番様が領主様へ給餌をした」
蜘蛛族の領民達は真面目な顔をして頷きあう。
これは蜘蛛族の領民達にとって非常に重大な案件だった。
…本当にとても重大案件だったのだ。
更に蜘蛛族達は今日の事を話し合う。
「しかも番様はなんと領主様の体調を心配したらしいぞ」
「それはまごう事なき番様からの愛情表現だな!」
「間違いない」
「完全に愛情表現だ」
「後はきっと時間の問題だな」
全員が深く頷く。
蜘蛛族にとって伴侶へ食事を運ぶ行為は特別な行為なのである。
そしてその上でその後の会話も重要だ。
好意のない相手にはしない、普通はしない、まずしない。
だからこそ結論は一つだった。
リナリアは知らなかったのだけれど、蜘蛛族では食事を運ぶことは侍女の仕事ではない。
やむおえない事情で運ぶ事になった場合は、3人以上で用意をするのが常識なのである。
そういった事情を知らないのはまさかの当事者、リナリア本人だけ。
なので領民達はこれほどに盛り上がっていた。
「番様は領主様を受け入れ始めている」
「順調だな」
「さすが強いお方は違う」
「非常に順調すぎて番がいない俺は悲しくなって来た」
…なお全員勘違いである。
もしもこの場にリナリアがいたら全力で否定しただろうが、残念ながらここに本人はいない。
結果、誤解はさらに加速した。
「祝いの準備を進めるべきでは?」
「まだ早いんじゃないか?」
「だが遅れてはならない」
「確かに、用意だけでもしておくべきだろう」
領民達の真剣な会議が始まる。
内容は主に結婚式の事だ、蜘蛛族は気が早い。
リナリアの予想出来ない速さで順調に物事が進んでいっている。
皆の目は少し血走っていた。
なんなら瞳孔も開きっぱなしである。
なぜならアシュヴァルが百年以上独り身だった為、このまま時代の王は産まれないのではないかと危惧していたのだ。
「領主様にもやっと春が来た」
「長かった…」
「本当に長かった…」
この場にはもう既に感極まって泣き崩れる者までいた。
もはやこの場の全員が親戚のおじさん状態である。
一方その頃の執務室では沈黙が続いていた。
アシュヴァルは机の前で固まったまま。
目の前にはまだ温かい昼食が美味しそうに湯気を立てていて、それを眺めているアシュヴァルの脳裏には先程の光景が何度もリフレインしていた。
『食べないと駄目です、アシュヴァル様の身体も大事です…』
『アシュヴァル様の身体も大事です…』
『アシュヴァル様が大事です…』
リフレインしていくうちに、その内容は都合のいい様に形を変えて再生され出していた。
耳が熱い、顔も熱い、心臓もうるさい。
この状況で仕事へ集中しろと言われても、到底無理な話だった。
「アシュヴァル様」
そんなアシュヴァルの様子を見てため息を吐いた後、ビートが声を掛けた。
「黙っていろ」
「そろそろ現実へ戻ってきてください」
「今いい所なんだ、黙っていろ」
「…せっかくリナリア様が持って来てくださった食事が冷めてしまいますよ」
「食べる」
即答だった。
おずおずと言った様子で食事を開始するアシュヴァル。
「食事を届けてもらえて良かったですね。アシュヴァル様のお身体の心配もしていただけましたし…しかも手作りではなくとも、これはれっきとした給餌です」
笑顔でそう言ったビートに対し、無言でそれを聞いていたアシュヴァルは眉間に皺を寄せた。
「黙れ」
その言葉と共にビートへ即座に糸が飛ぶ。
ビートはそれを慣れた様子で避けた。
もう86年の付き合いなのだ、ビートにとってはこれぐらい朝飯前だ。
「失礼しました」
「本当に思っているか?」
「まさか」
言い出したのはビートの癖に、本心では全くそうは思っていなかった。
人族のリナリアが蜘蛛族の常識を知っているとは思えないと理解しながらもアシュヴァルにそう言うのは、ただそう言えば反応が楽しいからである。
そんな側近を睨みながらアシュヴァルは小さく息を吐き、そして目の前の昼食を見た。
アシュヴァルの口元が自然と緩む。
「…冷める前に食べる」
その姿を見たビートは思った。
俺らの認識がどうであれ、この事は既に領地中に広まっているだろうし、今頃は皆で大騒ぎしてるんだろうな。
実際、その予想は正しかった。
翌日にはリナリアが知らないところで噂は広がってゆき、最後には
『領主様へ愛妻弁当を届けた番様』
という間違った噂になっていたのである。




